ファミリアに捧ぐ 45
森の中をアンバーとスコルの二頭が駆けている。二頭は激しく吠え合い、互いに飛びかかると牙を剥き出しにして地面に転がり込む。一回りも体躯の大きいスコル相手にアンバーは少しも怯むことがない。
「アンバー!」
自身の名を呼ぶ声に反応してアンバーが即座に飛び退いた。その瞬間、どこからか飛び出してきたチサトがスコルを殴り飛ばした。スコルが悲鳴を上げながら近くの木に激突した。
飛び出したチサトのあとに更に二頭のスコルが駆けてくる。チサトは片足を踏み込み体を旋回させると、飛びかかってきた二頭に拳を叩き込んだ。
一頭は空中に打ち上げられ、もう一頭は茂みに飛んでいく。アンバーが茂みの奥に消えた一頭を追いかけていった。
軽く息をついたチサトは額に滲んだ汗を拭う。ガントレットを外すと外気に触れた腕が涼しい。
「あっつ……」
火傷をするほどではないが、数発敵を殴っただけで尋常でない汗を掻いた。しばらく冷まさないと、もう数発で発熱による火傷を負いそうだ。
チサトは辺りを見渡し、息絶えたスコルを視界に捉える。三頭も狩ればこの大きさだ、解体作業に時間が取られる。全てを終える頃には午後になるだろう。明日も明後日も、その先もこれを続けていくのだ。
ずっと同じ作業速度を維持する為には一日の魔物を狩る頻度と休息、食事の時間は徹底して守っていかないと気力も体力もすぐに底を尽いてしまう。
と、アンバーが木陰から姿を見せ、先ほど茂みの向こうに消えてしまった一頭を咥え、引きずってきた。褒めてくれと言わんばかりにチサトに駆け寄ってくる。
「ありがとう、お前は本当にいい子だね」
アンバーにも目立った怪我がないことを確認し、近くの沢まで三頭の運び込み解体処理を始める。どんなにハンター生活が長くても、この処理だけは骨が折れる。この大きさの三頭であれば、一頭につき約一時間と言ったところか。
起き上がってしまう前にどの三頭もまず、最初に魔力結晶を引き抜く。血抜きを行い、皮を剥ぎ、腸内の残留物を流し、大きすぎる骨は鋸を入れて小さく運びやすくする。
一部の肉は罠用にとっておき、残りは丁寧に洗い終えたあと、加工紙に包んで数日保管する。肉もそうだが、魔物、魔生物の部位で人間が即日食べられるものは残念ながらない。
ハンターの野営は、魔物を狩り、食糧になるまでは自前の保存食、または水や木の実で飢えを防ぎ、その間にまた魔物を狩り、数日分の食料を確保する、この繰り返しだ。
特に木の実を探すのは水よりも苦労する。食用に向いているものがそう多くはないからだ。ナーノスがいる森は人が食べても問題ない木の実が見つかることが多い。それはナーノスが魔物の中でも人に近しい姿をしているからだと言われている。
ナーノスは二足歩行をする小型の魔物で、大きさは人の子供ほど。自分の気に入った木の枝や、人間が落とした武器を好んで使う。片言ならば人間と意思疎通ができるが、友好的ではない。縄張りにさえ人間が侵入しなければ、共存はできないにしても害はない存在である。
しかしナーノスの中には好戦的なものもいて、人間のものを戦利品として扱い自身を着飾ることで仲間に己を強く見せようとするやつもいる。そういう場合はやはり戦うしかない。
解体作業はチサトの予想通り、一頭につき約一時間、合計三時間近くを有した。これだけあれば10日はもつはずだ。魔物と戦うことよりもこの作業が一番疲れる。通常の魔物討伐は数分から十数分と、短期決戦が望ましい。
それに比べ、解体作業はどんなに小型の魔物でも30分は解体作業に時間を取られる。もうちょっと楽にならないものか。
チサトは休憩がてら、その場に座り込むと自身の手を見下ろした。洗い落とし切れなかった血が爪の間にまでこびりついている。腕を引き寄せ鼻を近づけると酷い獣臭がした。さすがに三頭も同時に解体すると酷い臭いだ。
人間の体には独特のにおいがあるらしく、魔物は的確にそのにおいを嗅ぎ分け襲いかかってくる。こうした獣臭がしているほうが多少なりとも嗅覚を鈍らせる効果があるが、魔物は襲ってきたらきただけ倒してしまうことにしているチサトには不要な方法だ。それに今は魔物が来てくれるほうがありがたい。
この沢の上流には滝と呼べるほどではないが水が流れ出ていて、水浴びができそうな場所があった。手についた脂は湯を沸かさないとどうにもならないが、血と汗を洗い流すだけなら水で十分だろう。
これからどんどん寒くなってくる。まったく嫌な時期に当たったものだ。
「イチカちゃんは偉いよなぁ。ギルド職員って立場だからってここに残っててさ」
「あはは……」
カガリは本を読みながら、隣の受付で討伐依頼を受ける傍ら、イチカに親しそうに話しかけているハンターを横目に見た。
相変わらず申請手続きにまごついているイチカが待機時間を作ってしまっているのも一つの原因だ。イチカからは早くその場を脱したい空気が流れている。
「イチカちゃんなら中央でもやっていけると思うんだけどなぁ。行かないの? 絶対人気出るよ」
「人気が出たくて職員やっているわけじゃないので……」
「人たくさん来るほうが暇よりよくない? 俺だったらすぐ飽きちゃうよ」
悪かったな飽きる仕事で。
カガリは胸の内でそう思ったが、「そこな若造、だったらわしと話さんか」という声が聞こえてきて顔を上げた。
「げっ、ジゴロクさん」
いつの間に現れたのか、ジゴロクが持っていた杖でハンターの肩を叩いていた。
「お前さんも暇みたいだから、暇なわしの相手でもしてくれ」
「いや……あー、え、遠慮しときます」
ハンターは手続きを終えた依頼書を手に逃げ帰っていく。やれやれとジゴロクが代わりに空いた席に腰掛けた。
「あれがハンターとは世も末だな。Sランクハンターのお嬢さんを見習ってほしいもんだ」
「ありがとうございます、ジゴロクさん。あの人ちょっとしつこくて……」
「イチカちゃんも時にはバシッと言ってやらんと駄目だぞ。ああいう輩はつけあがるからな。ったく、若いやつはこれだからいかん」
あなたからしてみたらみんな若いのでは、と思うなりしたカガリにジゴロクの目が光る。
「カガリの坊主、お前さんも後輩の面倒はちゃんと見ないと駄目だぞ。仕事をせんか仕事を」
「してますよだから。朝会も、毎朝の事務処理の確認も、たまに昼も一緒に食べてますし、夕会も毎日ちゃんとやってます」
「なんだ、わしに口ごたえする気か」
「口ごたえって」
「お前さんがこんなちっこい頃から面倒見てたんだぞ。その恩を仇で返そうってのか」
「別にジゴロクさんだけに育ててもらったわけじゃないじゃないですか。私はこの集落の皆さんに育ててもらってですね」
「その歳になって今更反抗期か。心の中でわしのことをジジイと呼んどるに違いない」
「思ってませんよそんなこと。それより何しに来たんですか。今は集落の中も安全とは言えないんですから、遊びに来たなら帰ってください、仕事の邪魔ですから」
「ついには邪魔とまで来たか。ジジイと呼ばれたうえに邪魔者扱いとは」
「だから呼んでないですって。これから呼びましょうかじゃあ」
「あのっ、あのっ、仲良くしましょうよ。今は皆さん協力し合わないとですから。ね、ね?」
イチカが白熱してきた二人の間に入った。途端にジゴロクの態度がコロッと変わる。
「イチカちゃんが言うならやめようか」
「このジジイ……さっきのハンターと何が違うんだよ」
「なんか言ったか?」
「いいえ何も」
カガリは大きく肩を竦め、本当に何しに来たのやらとジゴロクを気にしつつ再び読書に戻るのだった。
夜、ミアが寝たのを確認し、カガリは久しぶりに自分の手元に戻した魔銃の手入れを行なっていた。自分の技術力がいらないとは言え、ある程度狙いは定められないと魔銃も力を発揮できない。撃つ人間がいなければこれもただの鉄の塊だ。
ふとカガリは窓の外を眺めた。遠くに篝火が見える。その奥に広がる森は月の光も届きにくい深い森が続いている。
「……」
カガリは少しの間外を眺めていたが、不意に銃の手入れをやめ、それを懐に押し込むとランタンを手に部屋を出た。
その足は見張り台へと向かった。登った先には今日の当番だったハルトがいた。
「今日おじさんの日じゃないだろ」
「ああ、ちょっと」
ランタンを置き、カガリは森の奥を見つめる。――少し見にくい。遠くの景色でぼんやりと明るいのは火が焚かれているからだろうか。
「オレが見張り台に登って少ししたら明るくなった。多分あそこで野営してるんだと思う」
「そうですか……随分遠いですね」
「集落に被害が出ないようにしてんだろ。血は魔物を呼ぶから」
そうか、普通に考えれば離れるのは当然か。あれではすぐになんて戻ってこれないだろう。何かあればなんて、軽々しい発言をしてしまった。
ともすると、野営の灯りが分かれて森の中を動き出した。速度はそれほど速くない。どうしたのだろうかと見つめていると、森を進んだ光は程なくして消えた。
「魔物が出たって感じじゃなさそうだけど。火を消したってことは自分の場所を悟らせない為だから、夜襲の危険性を考えてかな。ハティって確か、夜目が利くんだよね? 明るいほうがいい気もするけど、目を慣らしたほうがいいのかな。それとももう襲われて交戦中とか?」
「……」
カガリはハルトの声を聞きながら、手すりを掴む手に力が入るのを感じた。すると突然カガリはランタンを掴み見張り台を駆け降りていく。
「え、ちょっとおじさん! どこ行くんだよ! 誰か連れてけよ!」
ハルトが呼び止める声など聞きもせず、カガリは単身森へと入ってしまった。




