ファミリアに捧ぐ 42
カガリとハルトが洞窟から戻ってくると、丁度ギルドから出てくるチサトと遭遇した。チサトは二人を見ると一瞬複雑そうな顔をして、しかし何かを決意したかのように先ほどのユノとの会話の内容を二人に伝えた。
洞窟での穏やかな空気は一転し、緊張が走る。
「正直もう時間がないです。アタシはこれから、訓練場でアンバーとの基礎訓練を終えて、明日からしばらく森で過ごします。明日に備えて、今日は午前中で終わりにするんで、何かあればそのあとに」
「なぁ、だったらオレに使徒のこと教えてよ。ちゃんと知っときたいんだ」
ハルトがいつに増して真剣な表情でそう言った。そこにそれまでの焦りや、ただ経験ばかりを積もうとしていた見習いの姿はない。どうやら今回ばかりは真剣なようだ。息を合わせるまでもなく、チサトとカガリは顔を見合わせてしまった。
チサトは頷き、どこかいい場所はないかカガリに尋ねた。今のこの集落で人目が付くところでの使徒の話はなるべく避けたい気持ちがある。
「では、ギルドの資料室をお使いください。魔物に関連した資料もありますから」
「助かります」
「私も使徒について学び直したいですし、あとで尋ねてください。鍵を開けます」
そう告げるカガリをチサトは何か言いたげに見つめる。
「何か?」
「……いえ」
今この場で魔銃について聞くのはあまりにも空気を読んでいなさすぎる。どこで問いただしてやろうかなと考えていると、「チサトお姉ちゃん!」とミアが慌てて駆け込んできた。ミアには訓練場でアンバーを預けていたはずだが、肝心のアンバーは連れてきていないようだ。
「あのね、アンバーが大変なの!」
「アンバーが?」
「来て!」
チサトはミアに引き連れられるまま、訓練場へと向かった。何か大事かとカガリとハルトもあとに続いた。
アンバーは訓練場の一角で座り込んでいた。足元には木の棒と、二つの小さい牙が転がっている。
「アンバーが木の枝くわえたら歯が取れちゃったの!」
「……ああ。そっか、ミアちゃんは知らないのか。リュコスみたいな魔物はみんな大人になるときに歯が生え変わるから、何も悪いことじゃないんだよ」
「そうなの?」
「うん。というか、魔物の子供の歯はね、それ自体見つかるのがすっごく珍しいの。だから見つけたらハンターはそれを縁起物として袋に入れて、いいことが起こりますようにって持ち歩くんだよ」
「ふぅん、そうなんだ。よかった、よくないことじゃなくて」
「せっかくだからミアちゃん貰っとく?」
「いいの?」
「子供の歯は脆くて素材にもならないし、捨てちゃうだけだから」
「わかった!」
ミアはチサトからアンバーの牙を受け取ると、何か思いついた様子で「ミア、サノに帰るね!」とサノに帰っていった。
「なかなか面白いですね、魔物の牙が縁起ものだなんて」
と、カガリが不思議そうに言った。
「ずーっと昔から言われてきたことなんですって。子供の牙は市場には出回らないし、わざわざ話すようなあれでもないですから。子供のお守りに持たせるハンターはたまにいるみたいですけどね。でも入手できる機会も少なくて。それだけ運がいいってことですね」
チサトはアンバーの顔を両手で挟み込み、「お前も大人の仲間入りだ」と嬉しそうに撫でた。アンバーは気持ちよさそうに目を細めている。
そんなチサトをカガリが穏やかな表情で見つめていた。それを横目に見たハルトは、なんだか今すぐこの場を退散したい気持ちに駆られた。さながら両親が仲良くしているのを目撃した子供のような心境である。
アンバーの訓練が終わるまで、ハルトは槍の基礎訓練を、カガリはギルドの仕事に戻ることで待つことになった。
チサトがアンバーに向かって疑似餌を投げると、アンバーが駆けていき飛びかかった。今にも引きちぎらんばかりに噛みつき、疑似餌を振り回している。
「アンバー!」
自身の名を呼ぶ声にアンバーは耳を立てると、疑似餌を離しチサトのもとに駆け込んでくる。疑似餌に噛みついていたときに見せていた魔物特有の凶暴な顔つきは、チサトの傍にまで来ると柔らかいものになっていた。
「よし、いい子」
小魚を与えるのと同時に撫でてやれば、もっと褒めろと言わんばかりに顔をすり寄せてくる。不意に影がかかったので顔を上げれば、ハルトが訓練の手を止めて近づいてきていた。
「本当に魔物手懐けたんだ」
「この子にはミアちゃんを守るっていう役割があるからね。そうしないとあの人も安心できないしさ」
「カガリのおじさん?」
「そう。あの人、家族と故郷を守る為なら自分すら犠牲にしようとしてるからさ。なんか、ハンターでもない人にそんな命賭けてます、みたいな感じ出されたら負けてらんないじゃない? じゃあこっちもやってやろうって思うっていうか。あの人の守りたいもの、守らせてあげたいって気持ちにさせられるっていうか。そんなに拘りますかって感じもするんだけどさ。あの人、ここの生まれじゃないでしょ?」
「んー、多分。あんまり詳しくないけど。小さい頃ここに来て、いろんな人に世話になったから頑張りたいんだって、前にサノで酔っ払ったときに言ってたけど。どこまで本当かはわかんないし」
「へぇ、そっか。見かけは本当にただのギルド職員さんって感じの優男なのに。酔っ払ってもいい人とか、本当にここが好きなんだね」
アンバーを撫でているチサトの表情は、ついさっき同じような表情でチサトを見つめていたカガリと似通ったものを感じる。ハルトは素朴な疑問をぶつけてみた。
「好きなの?」
「ん? 何が?」
「カガリのおじさんのこと」
「……うん?」
「なんかそんな感じに見える」
「いやいやいや、知り合ってまだそんな経ってないし。好きとか嫌いとかもないって。まぁ、あの人と呑んだり食べたり、話してる時間は楽しいけどさ」
「ふぅん」
「何、そういう年頃?」
「別に、ちょっと気になったっていうか。いいと思うけど」
「何が」
「カガリのおじさん。なんかお似合いな感じがする」
「だからそういうんじゃないって。ほら、アタシに構ってないで訓練しな。それとも先に資料室行ってる?」
「……ま、いいや。先行って魔物の資料でも見てくる」
やけに素直にギルドへと向かっていくハルトにチサトは「ええぇ……」と声を漏らさずにはいられない。
「素直すぎて気持ち悪いんですけど」
一人で先にギルドへやってきて、資料室を開けてほしいと言ってきたハルトにカガリは驚いた。これまで訓練ばかりを優先してきたハルトが積極的に知識を得ようとするなんて。
それだけ、スコルの件や姉について知れたことがハルトの気持ちを変えたらしい。
「嬉しいです。君がハンターの知識の偉大さに気づいてくれて」
資料室の鍵を開けながら、カガリは本当に嬉しそうにそう言った。ハルトは少し気まずげに今の心情を語り始めた。
「カイルさんと話してから、オレわかったんだ。本当になんも知らないんだって。Sランクハンターがいろいろ知ってるのは当然だって思ってた。経験も歳も違うし。でもカイルさん、24なんだ。オレの姉ちゃんよりも6つも年下だった。大規模討伐は五年前、カイルさんが19のときだった。オレ、想像できなくて。オレが19になったとき、そんなの参加できたのかなって。今15で、ハンター試験を受けるのは17のときで、その二年後に……って考えたとき、オレ、なんも知らないのに無理だって思ったんだ。スコル一頭に全然槍が当たんないのに、リュコスなんて群れで行動するからもっと当たるわけないって。だから、ちゃんとしようって思って」
「そうですか。とてもいい心がけだと思います。知っていますか。人はそれを成長と呼ぶんですよ」
資料室の扉が開かれると、中にはいくつもの本棚に無数の本が敷き詰められていた。ハルトは予想を遥かに超えた冊数に「すげぇ数」と呟いていた。
「この集落には図書館がないので、こういった本は全てギルドで管理しているんです。君のお姉さん、ハルヒさんもよくここを利用していましたよ」
「姉ちゃんが?」
「ええ。紙の本は昔から高いですからね。最近はようやく合成紙が出回るようになって、比較的安価に手に入るようになってきましたけど。――使徒に関する資料はこちらです」
カガリが奥の本棚にハルトを案内した。他の魔物に関しての資料は山ほどあるのに、使徒に関する本は一つの本棚の僅か半分ほどしか埋まっていない。それだけ、他の魔物に比べて研究の進みが遅いということなのだろう。
「リュコスとかはどこ?」
「リュコスですか。眷属ごとに区分けをしているので……ああ、ここですね」
使徒の本が置いてある本棚から少し離れ、「フェンリル」のプレートが刺さっている別の本棚にカガリが向かった。その中の一冊、表紙に「リュコス図解録」とある本をカガリは手に取る。無意識だろう、「肉食か……」と呟きながら中身をパラパラと捲っている。
「おじさんさ、あの人のことどう思ってんの?」
「……ん?」
「あー、ミカゲさん?」
「どうって、そうですね。楽しい人ですかね。発想が豊かで、私にはないものを持っていて、あとは……そうそう、食と酒の好みが合う」
「自覚ねぇのかよ」
「はい?」
「別に。じゃあ、使徒喰らいがいなくなって、イーニスもいなくなって、あの人がいなくなってもなんとも思わないんだ」
「それは……寂しいとは思うかもしれないですけど。集落にいてくれたら心強いなぁとは常々思っていますよ。彼女のような動き方をするハンターはこの集落にはいないですからね。でも彼女には彼女の道があるわけですから、そんな理由で引き止められはしませんよ。……そんなことを聞いてくるということは、年頃ですか?」
「言うことまでおんなじだし。もういいよ、早いとこ自覚したほうがつらくないと思うよ」
「?」
ハルトはカガリからリュコスの本を取り上げると、近くのテーブル席へと腰掛けるのだった。




