ファミリアに捧ぐ 38
それからさほど時間を空けず、アンバーがハルトが追い詰められた岩壁へと駆けてきた。チサトたちもそのあとを追いかけてくる。
「い、行き止まりですね」
周囲にやたらと漂っているプランクトスに怯えながらカイルが言った。
「ミカゲさん」
この辺りは確か、とカガリが告げようとするのを止め、チサトは少し離れた地面にプランクトスが数匹、引き裂かれ残骸になっているのを見つけた。
――いる、この先だ。
突如駆け出したチサトと、共に走り出したアンバーにカガリとカイルも急ぎあとを追う。
点々と続くプランクトスの残骸は、以前調査をした洞窟まで続いていた。三人と一匹は迷いなく洞窟へと向かう。真っ先にチサトが駆け込んでいく。
中は以前に比べて発電機による明かりがついていた。それに一瞬気を取られたチサトの足元でアンバーが駆け抜ける。すぐにそのあとに続くと、しばらく進んだ先でアンバーが唸り声を上げて吠え始めた。先には槍を必死に振るうハルトと四つ足の白い獣――スコルがいる。
チサトのスコルを見る目つきが眼光鋭いものに変わった。ハルトはこの洞窟の地形の悪さに足を取られ、うまく立ち回れていないようだ。
「ハルト君!」
追いついてきたカガリが咄嗟に懐に手を伸ばそうとしたとき、一陣の風が吹き抜けた。その瞬間チサトの姿がカガリの視界から消えた。
え、と思ったときにはチサトのガントレットをまとった拳がスコルを殴りつけていた。大きな体が悲鳴を上げて吹き飛び、奥の鍾乳洞化した壁に激突する。その衝撃でバラバラと一部の壁が崩壊した。
「は、」
カガリは思わず眼鏡をかけ直した。瞳には薄っすらと三角形に目の印が浮かび上がる。
――エンハンス・速度強化、ゾーン効果、セブンリーグブーツ……複合アビリティか!
大きな体躯は一度の攻撃では死なず、起き上がろうとするスコルにチサトが二打撃目を叩き込んだ。再びスコルの体が吹き飛ぶ。倒れ込んだスコルはなんとか起き上がろうとしたものの、口から大量の血を吐き大きな音を立てて倒れ込んだ。絶命したようだ。
「ちょっと待って……」
すっかり纏う空気がいつもの様子に戻ったチサトは慌ててガントレットから腕を引き抜いた。真っ赤に腫れ上がっている。
「いった……何これ」
チサトがつけていたのはネロから渡された試作品一号だ。重量重視から衝撃吸収に特化した素材にしたと言っていたが、どうやら衝撃が吸収し切れていなかったようだ。本来の力の半分も出していない状態であの威力、とんでもない代物だがこれでは使い物にならない。
「あとで説教だな」
呟くチサトにきっとネロは今頃背筋を震わせていることだろう。
「ハルト君」
チサトの背後から呆然としているハルトにカガリが歩み寄っていく。森を走り抜けてきたからだろう、あちこちに擦り傷を作り、スコルに襲われてできた額の傷を見て険しい顔がカガリに浮かぶ。
ハルトは気まずげな表情をし、「あの……」と口を開くがそれは遮られた。
「いい加減にしなさい!」
「っ!」
カガリの激しい怒りを含む声にハルトが震え上がった。
「今回はたまたまミカゲさんと私が森に向かう君を目撃したから間に合ったものの、誰にも姿を見られていなかったら今頃君はスコルに襲われ死んでいたかもしれません!」
「ご、ごめんなさい」
「謝って済むならハンターはいらないんです! 自分の能力も測れないのにハンター気取りなど、他のハンターにこそ失礼です! 自分のしたことの重大さを反省してください!」
「っ……ごめんなさい」
槍を抱えながら俯くハルトに、肩を切らせていたカガリは小さく息を吐く。
「……。とにかく、君が無事でよかった。怖かったでしょう」
カガリはそう言ってハルトを抱き締め、背中を叩いた。腕の中のハルトからは涙ぐむ声が漏れた。
「あの、いい雰囲気をぶち壊すようで申し訳ないんですけど、スコルの解体処理をしないといつ起き出すかわからないんで、一旦外に出ません?」
チサトはガントレットをベルトに提げ、息絶えているスコルを引きずり始めているアンバーを見やった。
「長居したくない人もいますから」
と、振り返った先には大量のプランクトスにすっかり身が竦んでしまっているカイルがいる。カガリは頷き、ハルトを連れて洞窟の外に出ることになった。
チサトは腫れ上がっている腕を気にしながら、スコルの解体処理を始めた。まずは胸を裂き、心臓を取り出し魔力結晶を取り除く。これでスコルが起き上がる心配はない。
この様子を一歩離れて見ているカガリと、応急処置で額に布をあてがっているハルトが眺めていた。どちらも間近で魔物の解体処理を見るのは初めてだ。
「さすが、手際がいいですね」
「あったかいうちにやらないと肉が硬くなっちゃって、解体しにくくなるんで手早くやらないと。アンバー、待て」
血のにおいを嗅いで興奮しているのか、落ち着きのないアンバーをチサトは宥めるように言った。アンバーはその場に座り込んだ。少し不貞腐れているようにも見える。
片やカイルはチサトたちからは距離を置き、洞窟から漂ってくるプランクトスからも逃げるように隅に体を寄せていた。最早所在なさげである。
チサトはそれから順番に皮を剥ぎ、それぞれの部位を関節に沿って解体していく。皮(羽毛なども含む)、骨、牙、爪は武具の素材になる為、ギルドの規定で倒したハンターが取得していいことになっている。
肉はギルドが開発した空気を通さない特殊加工紙に包み、紐で括って運搬しやすいようにする。これらは市場に流すか、引き取ってくれる店があるならそこに卸しても構わない。
ちなみに、狩った直後の魔物の肉には多量の魔力が含まれる為、すぐには食べられない。食糧にするならば数日暗所に保管し、魔力抜きをすることでようやく食べられるようになる。
一通りの解体を終え、チサトは一息つく。アンバーがすっかり待ちくたびれ地面に伏せていた。解体作業が終わるとカイルも安心したかのように詰まらせていた息を吐き出した。血のにおいは他の魔物を誘き寄せることがある。気が気でなかったのだろう。
ハルトがそんなカイルを見て目を伏せ、しかしすぐに顔を上げてカイルのもとに歩み寄った。
「カイルさん、その……ごめんなさい」
珍しくハルトが自分から頭を下げて謝罪した。
「カイルさんのこと、臆病者とか言ったりして。スコルに襲われて、こっちの攻撃が全然当たらなくて、オレ、正直本当に死ぬって思った。初めて魔物を怖いって思ったんだ。……あの人に助けられたとき、全然オレの知ってるハンターと雰囲気がなんもかんも違って、今のオレじゃ足元にも及ばないって思ったっていうか。だから……ごめんなさい」
チサトはやっと気づいたかと言わんばかりに肩を竦めていたが、カイルはいいやと首を振った。
「武器を取って戦おうとしただけ、君は凄いと思う。それに比べて僕は……」
カイルは背のハルバートに視線を向けると、弱々しい声で語り始めた。
数年前、カイルは当時組んでいたパーティと中央で召集のあったリュコスの大規模討伐に参加した。四人パーティが必須条件で、カイルのパーティは三人組、当日はパーティを募集していた女性ハンターを迎え入れ、討伐任務に向かった。
最初こそ、リュコスの討伐は順調に進んでいた。だが風向きが変わった。カイルたちが討伐を担当していた区域に通常よりも遥かに巨大なリュコスが出現したのだ。風貌はリュコスに違いなかったが体が使徒並みに大きかった。今思うとあれは使徒だったのかもしれないと思ったが、確証はない。
カイルたちはそのあまりの巨大さに慄き、逃げる選択肢を取った。しかしすぐに追いつかれ、カイルの仲間があっという間に二人食われてしまった。残されたカイルと女性ハンターは身を潜めたが、鼻がよく利くリュコスだ、見つかるのは時間の問題だった。
そこで女性ハンターが自分が囮になるから助けを呼んでほしいと言った。自身のドッグタグを預け、カイルが引き留める間もなく果敢にもリュコスに挑みにいってしまった。
彼女はランサーで、見事な槍捌きでリュコスを翻弄し、片目を潰した。リュコスがよろめいた瞬間に心臓を仕留めようと構えた瞬間、リュコスの咆哮が轟き彼女は一瞬怯んでしまった。刹那、リュコスが血のこびりついた大口を開けた。
「あの時の惨劇は今も夢に見る。骨が砕かれる音が頭の中に響き渡って鳴り止まないんだ。僕は死に物狂いで逃げた。恐怖で自分の武器を置いてきてしまったことにも気づかなかった。あとは大体想像がつくとおりだ」
カイルからの知らせを受け、本部からは急ぎ上級ハンターが召喚された。しかし彼らもまた手痛い返り討ちに合い、リュコスは逃走。最後に遠吠えを発すると、それまで集まっていたリュコスの群れが散り散りになった。リュコスが大量に集まったのはその化け物のようなリュコスに統制されていた可能性が高かった。
そしてその異常種が他の区域にも出現していて、ハンターを食い散らかしていたことを知ったのはカイルが命からがら生還したあとだった。
――凄まじい体験だった。
それ以来、カイルは魔物や魔生物を前にするとあの時の仲間の悲鳴や骨の砕ける音、恐怖心が襲い、まともに戦えなくなってしまったのだ。
「これがその時のドッグタグだ」
カイルは胸元からドッグタグを取り出すと、「ハルト君、君に返すよ」と二つあるうちの一つを取り外した。
「え……」
「自ら囮になって、果敢にヤツと戦ったランサーの女性ハンター。ハルヒ、ミクロスのハルヒ、君のお姉さんだ」
ハルトは愕然とした表情でカイルが手にしているドッグタグを見た。視界がじわじわと歪んでくるのがわかる。
「僕は無様にも逃げ帰ることしかできなかった。彼女と共に戦う道だって選べたはずなんだ。それができなかった僕がせめてできるのは、君にお姉さんの最期を伝えることだと思ったんだ。なのにいざ君を前にしたらあと一歩の勇気が出なかった。君の言っていたことは間違いじゃない。僕は臆病者だ。返すのが遅くなってすまない」
カイルがドッグタグを差し出した。ハルトはそれを震える手で掴んだ。息が徐々に荒くなっていき、ついにはハルトは駆け出してしまった。
「ハルト君!」
追おうとしたカイルをカガリが止めた。
「今彼が向かった道は集落までの道です。追う必要はないでしょう」
「……そうですか」
「今は一人にさせておいたほうがいいでしょうしね。しかし、何故スコルが本来の生息域を外れてこんなところに……」
解体されたスコルを振り返るカガリにチサトはいつになく怖い顔をした。
「考えられる理由は一つ。生息域から移動せざるを得ない事情ができた」
「……それは、つまり」
「フェンリルの眷属は自分より強い相手が縄張りにやってくると、戦わずに縄張りを出て、別の地に移り住む傾向があります。そのほうが生存率が上がるから。――ヤツが、使徒喰らいが南に降りてきてる。……急がないと」
チサトはアンバーを見て、その目を細めた。
無我夢中で走っていた。心臓がはち切れんばかりに鼓動を打ち鳴らしている。
(姉ちゃん……! ハルヒ姉ちゃん……!)
ハルトは泣きながら走っていた。走りに走って、途中で足がもつれて盛大に転んだ。その拍子にドッグタグと槍がハルトの前に転がり落ちた。
「っ……」
声にならない嗚咽が漏れて、ハルトはドッグタグと槍を睨みつけるように見た。這いつくばりながら二つを手に取ったハルトは、そのまま幼い子供のように声を上げて泣き続けるのだった。




