ファミリアに捧ぐ 36
その後の使徒喰らいについて、いまだユノからの続報はない。調査隊はまだその行先を特定できていないのだろう。
枯れた大地まではここから人間の足で数ヶ月、足の速い魔物ならば走り続けて二月ほどの距離だ。すぐにやってくるわけではないにしろ、現在動けるSランクハンターはチサトを含め三人だけ。
使徒をいくつも討伐してきたチサトですら、使徒喰らいは使徒より危険な存在だと断言できる。
「私たちは使徒喰らいについての知識が乏しいです。ご覧のとおりそういったものとは無縁の生活をこの集落は送ってきました。もちろんいざというときの蓄えや、襲撃時の備えは十分にしているつもりです。しかし、やはり実際に経験された方に比べれば知識は微々たるもの。本部で公開されている情報を閲覧しても私たちとしては想像がつきにくい。よろしければ私たちに使徒喰らいについて教えていただけないでしょうか」
シロマが厳しい顔つきでそう言った。チサトは頷き、使徒喰らいとは何かを説明した。使徒の魔力結晶を喰らった魔物であること、時期に使徒として変化すること、そして今の状態が一番危険な状態であることも。
「もし使徒喰らいがここまで辿り着いたら、ほぼ間違いなく、一晩かからずにこの集落は半壊か全壊するものと思ってください」
チサトの話を聞き、カガリとシロマは顔を見合わせる。
「それは常駐しているハンターが幾人集まろうと、対処はできないものですか」
シロマの問いに、チサトは首を振った。
「並のハンターが束になったところで、まともにやり合えません。魔障の毒への耐性がないからです。アタシも使徒喰らいに遭遇したのは過去に一例あるだけですけど、既にその段階で魔障を放っています。それに加え、今回は使徒になりかかっている。とても危険な段階です。悪いことは言いません、集落の人々を避難させることを推奨します」
「……なるほど、わかりました。今この瞬間にも使徒喰らいが移動していると仮定して、悩んでいる暇はありませんね。ここよりもっと南にあるギルドにいくつか連絡を取り、住民の避難要請を出します。長期滞在になるので、今からでないと受け入れ体制が整わないでしょう。カガリ、住民の皆さんに説明を頼む」
「かしこまりました」
「できれば使徒喰らいがこちらまで来ないことを祈りたいですが、現実はそう甘くはないのでしょうね」
呟くシロマに、カガリが胸元に手を当てる。それはあまりにも自然で無意識だった。シロマはそれを横目に見ると、ではと席を立つ。
「私は他ギルドに連絡を。この場は解散とします。……カガリ、お前のそれは最終手段であるということを忘れないように」
シロマは最後にそう言い残す。チサトとカガリは支部長室を出るが、カガリの表情には何か思い詰めたものが見える。チサトはそんなカガリの顔を覗き込み、「それって?」と尋ねた。
「……。そうですね、あなたには話しておこうと思います」
カガリは懐に手を入れ、いつかのときにも見せたハンドガンを取り出した。
「これは魔武器です」
「え?」
「魔銃『イービルアイ』、これがこの武器の正式名称です」
チサトは驚きを隠せない表情でハンドガンを見た。魔銃は近年開発された魔武器の一つであり、数は世に七つのみ。
そんなものがハンターではないカガリの手の中にあるという。使い手を選ぶ魔武器は当然のようにハンターでない者も使い手として選んでしまう。カガリはその典型的な例だ。
「私はこの武器を、妻が亡くなってからある人物を通して入手しました。大切なものを守りたい一心でした」
「でも魔武器の所持者はハンター登録必須のはず」
「表向き、この武器は今保管庫の中で眠っていることになっています。ハンター登録をすると魔物の討伐が義務になってしまう。本部の要請があれば遠出も余儀なくされる。私はこの小さい場所を守れればそれだけでいいんです。だから無理を言って、ハンター登録をしない特殊な経路で入手したんです」
「……そうか、だからか」
以前イオリから、カガリが金銭回りで頭を悩ませていたことを聞いたとき、ギルド職員のような高給取りで一体何をそんなに悩むのかと思っていた。理解した。
魔銃の弾は特注品で、本来であればギルドから一定の数支給される。しかしそれはハンター登録を行なっている者に限る話。魔銃の弾は高額だ。加工がとにかく難しい。ギルドの支援がなければあっという間に散財してしまう。
聞けば、カガリはネロに無理を言って弾を作ってもらっているらしい。身内価格で安くしてもらっているようだが、それでも限界がある。
「あなたいろいろ背負いすぎてません? 一人の人間ができることは限られてるんですよ?」
「それでも、私は自分の守りたいものの為なら自分が多少苦しくなっても構わないんです。私は、私がやれるだけのことをしたい。妻を亡くしたときの後悔はもう二度としたくないんです」
カガリは魔銃を力強い眼差しで見つめている。チサトは聞けなかった、その魔銃を使用するときの代償はなんであるのかということを。
――それからは目まぐるしい日々だった。
カガリの説明を受け、早々に避難準備を始める住民やハンター、商人たちがいる一方、ここで生まれ育ってきたことを誇りに思い、頑なに集落に残ることを選択する者たちもいた。
安心が確保できるまでの間だとしても、一体どれだけの時間集落を離れることになるのか。破壊されてしまう可能性のある、愛着のある家を置き去りにすることがどうしてもできない人がいるのは当然とも言える。
シロマの手配で受け入れ体制を整えてくれた他の集落に、準備を終えた住民たちが少しずつ避難を始めていく。ミアの友人たちも家族と共にそのほとんどが避難することとなり、ミアも隣の集落にいる祖父母と共に南の集落にカガリが避難させようとしたが、ミアは頑なに嫌だと言って聞かなかった。
「ミア、少しの間だけだから」
「やだ! パパといっしょにいる!」
「ミア」
「いや!」
カガリは困り果てた様子でミアの前にしゃがみ込んだ。
「ミア、お願いだからパパの言うことを聞くんだ」
「やだ! 一人はいや! パパもいっしょじゃなきゃ行かない!」
「ミア……」
「……あの、アタシから提案が」
見かねたチサトが口を開いた。
アンバーが思ったより賢く物覚えがいい為、予定より早く森での訓練に入れそうだった。そこでアンバーの訓練をしっかりと行い、人を襲わない、むしろ守るように行動できるようにし、その状態でのアンバーをミアが連れていけば、カガリも安心できてミアも寂しくないだろうとのことだった。
「もう何周か、時間をください。アンバーをちゃんといい子にしてミアちゃんを守ってくれるようにしますから」
「しかし、アンバーがあなたの手を離れることを本部はなんと言うか」
「そこはアタシがなんとかします。というかさせます。人命第一がギルドの方針でしょう?」
「そうかもしれませんが」
「アタシ、割とあなたからは信頼されてるほうだと思ってましたけど、信じられません?」
チサトの自信に満ちた瞳を見て、カガリは迷った様子を見せたものの、すぐにミアに向き直った。
「ミア、アンバーと一緒なら寂しくないな?」
「……ミアと約束して! 死んじゃダメ!」
「ミア、それは」
「――約束する」
チサトがミアの前に膝をつき、小さな両肩を掴んだ。
「ちゃんと守る。アタシがミアちゃんのパパ守るよ」
「ほんとに?」
「うん」
「ほんとにほんと?」
「うん」
「……約束ね! ミアのパパ守ってね! ぜったいね!」
「うん、絶対」
「あの、普通逆では……」
カガリは二人の間で交わされた約束に苦い顔を浮かべた。
集落に残る住民の中にはイオリ夫妻、ジゴロクもおり、もちろん鍛治師のカフ、技術者のネロもいた。ギルド職員であるシロマとイチカは言わずもがなだ。
カガリとしてはイオリにも避難してもらいたい気持ちがあったが、ハンターたちの寝床を守る義務があるからと言った。
「兄貴が残るんだから、アタシが残らないでどうすんの。旦那もここでみんなの食事最後まで作るって言ってるしね」
「……無理してないか?」
「あのね、そりゃあアタシだって怖いよ。でもそんなのみんな一緒でしょ? 兄貴だって怖いだろうし、使徒相手に戦ってるチサトなんてもっと怖いに決まってるよ。大丈夫、なるようになるって」
気丈なイオリの言葉にカガリはとても複雑そうな顔をしていた。
「カガリさん、今集められるだけの食糧は全部ギルドの地下に運ぶんで大丈夫か?」
「ええ、そのように」
肩に麦の入った麻袋を積んだハンターがギルドへと向かっていく。
市場も半数以上の商人が店じまいをしてしまう為、食糧の供給は今の半分以下になる。店じまいする商人の中には食糧を無償で提供していってくれた人たちもいた為、集落に残るハンターたちが手分けしてギルドに運んでくれている。
残るハンターたちの数も決して多くはない。使徒を相手にできるハンターはチサト以外にはいない為、彼らにできるのは集落が魔物の襲撃に遭わないよう、いつもどおりの日常を過ごすだけなのだ。
当然ながら、使徒と聞いてすぐに集落を立ったハンターもいる。命が惜しいのはハンターたちも一緒もだ。それでも残ったハンターたちは一様にSランクハンターのチサトと、何故かカガリがいるから心強いと口々に言った。
どうやらカガリが強力な銃を使うことをほとんどの者たちは知っているようだった。ただしそれが魔武器であることまでは知らない様子で、チサトはこれはどうしたもんなのかと頭を悩ませた。




