ファミリアに捧ぐ 34
数日後、ギルド前の掲示板には人だかりができていた。そこにハルトが駆け込んでくる。掲示板にはその後のアンバーの処遇についての貼り紙が掲示されていた。
「保留!?」
貼り紙には確かにその二文字が表記されていた。ハルトはそんな馬鹿なとギルドに駆け込んでいく。
ハルトがいなくなったあとに、ハルバートを背負った一人の若い男性ハンターが通りがかった。体躯は細く、どこか幸薄そうな雰囲気が漂っている。彼は掲示板の貼り紙を物珍しそうに見ていたが、少しもするとサノのほうへと歩き出していった。
「保留ってどういうことだよ!」
ギルドに飛び込んできたハルトが声を荒げた。中ではアンバーを檻から出すカガリと見守るイチカ、そしてアンバーを繋いでいる鎖を受け取るチサトがいる。
「やはり来ましたね」
「うるさいのが来る前に連れ出そうと思ったのに」
やれやれと肩を竦めるチサトにハルトは歯を食い縛った。
「っ、またアンタかよ! 何したんだよ!」
「本部の研究部に昔からの知り合いがいてね。気になることがあったからこの子のことを報告しただけ」
「報告ってなんの!」
「説明すんの? 長くなってもいいなら言うけど」
どうにも納得のいかないハルトが引き下がる様子を見せないと、チサトは大きくため息を吐いて事の次第を話し始めた。
これまでリュコスは肉食生物で、魚は食べないものとされていた。しかしアンバーはミアたちがあげた魚を餌として食べていた。これは魚は食べないとされていたリュコスの生態とは大きく異なる結果だ。チサトはこれを知り、もしかしたらリュコスは雑食か、幼少期の頃に食べたもので主食が変わるのかもしれないと思い至った。
ギルドは設立当時から数多の学者やハンターたちから情報を集め、魔物の生態図鑑を作り発行してきた。それは公的な書物とされ、載っている情報には嘘偽りはないとされているものだ。だがアンバーが魚を食べるという事実がわかった時点でリュコスが肉食生物であるという情報には矛盾が生じる。
つまるところ、公的に認められた書物に誤った情報が載っているのはギルドとしては非常にまずいのである。
そこでチサトはこのアンバーを研究対象として研究部に申請し、詳しい生態調査と定期報告を本部に上げることを条件に、アンバーの処分を保留にさせたのだ。そしてその面倒をチサトが見ることで最終的な合意となった。
「そんなっ、そんなことってありかよ!」
「ありなんですよ、半人前君」
「っ……」
狼狽えるハルトの背後で扉が開き、ミアとその友人が駆け込んできた。
「パパ! アンバーどうなるの!?」
「ミカゲさんのおかげで、処分は保留だ」
「じゃあ、アンバーどこにも行かない!?」
「行かないよ。面倒はアタシが見るけどね」
チサトが言うとミアたちは大喜びでアンバーを取り囲んだ。「よかったね」とイチカも嬉しそうに子供たちを見ている。
そのあまりの喜びようにハルトは何も言えなくなり、唇を噛み締めるとギルドを去ってしまう。カガリはそれをどこか申し訳なさそうな目で見送り、チサトに尋ねた。
「このあとの大まかな流れはどうなるんですか?」
「成体まで成長したときに肉を食べるか食べないかで、雑食か、幼少期の食生活で主食が変わるかの判断をします。あとは力が今よりに強くなるんで、無闇に人に戯れついたりしないよう訓練しないと。牙も大分鋭くなってるから、口輪を探さないとですね。武具屋に売ってるかな……集落にいる間はなるべくつけてもらうからね、アンバー」
チサトがアンバーを普通の生き物と同様に扱う姿に、カガリはやはり不思議な気持ちになるのだった。
一方、訓練場にやってきていたハルトは木人相手に槍を突いていた。その動きは荒々しい。
「クソッ! 魔物は敵だろっ! なんであんなっ」
あまりに腹立たしくて思い切り槍を振るうと、当たりどころが悪かったのか振動が跳ね返り、「いって!」と思わず槍を手放した。それは地面を転がっていき、誰かの足先で止まった。その人物は槍を拾い上げると、「駄目だ、そんな力の入れ方をしたら」と言った。
「?」
ハルトが視線を向けると、そこにはハルバートを背負った若きハンターが佇んでいた。
昼時、サノでは食事をとっているチサトとカガリ、その足元ではアンバーと戯れるミアというなんとも形容しがたい光景が広がっていた。
カガリは時折ちらと足元を見て不安そうにミアとアンバーを見ている。犬用の口輪をチサトが市場で調達してきたのだが、少しばかり小さい。いくら人慣れしているからと言っても気が気じゃなかった。
「専用の口輪をカフさんのところで今急いで作ってもらってるんで、辛抱してください」
それを察したチサトにカガリは小さく喉奥で唸る。
「……訓練したらどうするんですか?」
「可能ならアタシと一緒に狩りを覚えてもらいます」
「狩りを? ハンターの仕事をさせるんですか?」
「リュコスは本来狩りをして生きる種族です。狩りをさせないと万一のときに生きていけなくなりますから。ただし狩ったものを食べずに、アタシのもとに運んでくるか、アタシに知らせるように訓練します。なので、肉は美味しくないものだって教える必要がありますね。リュコスが肉を食べるという事実は変わりませんから。空腹でどうしようもないときに食べられはするものっていう認識にさせます。その為には何週間か森で過ごさないと。丁度イーニスの群れがいることだし、非常食として一頭くらい狩っちゃいますか」
「イーニスの肉はそもそも食べられるものじゃないですよ……」
「極限の空腹状態ならイーニスの肉でも命を繋ぐものになるんですよ。でも二度と食べたくないものにはなるでしょうけどね」
チサトがそう言うということはチサトにもその経験があるということなのだろう。
イーニスの肉はどう加工しても臭みが取れず、食べようものなら口いっぱいに腐敗臭のような異臭が広がり、全身が噛むことを拒絶する。人間より遥かに優れた嗅覚を持つリュコスがそれを口にしたら一体どうなるか。想像するだけでゾッとする。
心の中で頑張れよ、と応援するカガリの気持ちなどわかるはずもなく、アンバーはミアと無邪気に戯れている。
その夜、アンバーが寝たことを確認し、チサトは束の間の休息で食堂へと向かった。今日はカガリはいないようだ。
今夜は一人酒だなと思っていると、カウンター席に見慣れないハンターが座っていた。他のハンターたちと呑むでもなく、一人でグラスを傾けている。こういう時にやってくるハンターは大体訳ありだとチサトは長い人生の中で知っている。
「こんばんは」
「? こんばんは」
おや、これは思ったより若いハンターだ。背中に哀愁が漂って見えたので、もう少し年齢がいっていると勝手ながらに思っていた。
「お隣いいです?」
「はい。どうぞ」
「じゃあ、ちょっと失礼して」
チサトは若きハンターの隣に座り込み、イオリに麦酒を頼んだ。
「昨日はお見かけしてないですね。今日からですか?」
「ええ。今朝着いたばかりです。そう言えば朝、ギルドの前に人が大勢いたみたいですけど、何かあったんですか?」
「ああ、あれですか。あれは……」
チサトがそれまでの経緯を語ると、なるほどと彼は頷いた。
「何はともあれ、子供たちに被害がなくてよかったです。そのリュコスの子供はあなたがずっと面倒を見ていくんですか?」
「そういう決まりですから、そうなっちゃうでしょうね。これから先、あの子以外のリュコスの子供でも同様の実験を行なって、より確実な研究成果が出ればアタシの手を離れても大丈夫とはなるでしょうけど」
「先の長い話、ですね」
「あの子が生きているうちに研究が進んでくれたらいいんですけどねぇ。そうだ、あなたの名前聞いてませんでした。アタシ、チサト=ミカゲって言います」
「僕はノティアスのカイルです」
「ノティアス……海に面した漁の盛んな集落ですね」
「はい、とてもいいところです。ただ、これから寒さの厳しい季節になるので、海が荒れて心配事が多くはなってきますけど。姓を持っているということは、中央の方ですか?」
「いいえ。小さい頃は名前すらない集落で暮らしてたので、この姓は中央に移住したときに貰ったんです。アタシ個人はもう中央には住んでないんです」
「そうなんですか。中央は人が多すぎて区別をする為に、移住者の家族には姓を与えるってあれ、本当なんですね」
「ね、アタシも最初驚きました。二つ名前があるって不思議だなぁって」
そこまで言って、チサトはふと気づいた。そうだ、すっかり忘れていた。中央に住んだことのある人間は皆、名前に姓を持っている。
自分がそうだったから当たり前のように受け入れていたが、カガリも姓持ちだ。ではカガリはこの集落の人間ではないということか。なんだか意外だ。カガリはこの集落の生まれだとばかり思っていたから。
「住まれていないということは、各地を転々と?」
「ええ、まぁ。あっち行けこっち行けって言われるもんで」
「……もしかして、噂のSランクハンター?」
「あ、わかっちゃいます?」
「同業者で方々に行けだなんて命令を受けるのはSランクハンターくらいです」
「それもそうか。ちなみにどんな噂を聞いたんですかね」
「ハンターなのに、魔物に味方するよくわからない人だと」
「そっち方面ですか。あまりいいようには思われてないんでしょうね」
「魔物はある人にとっては敵であり、仇ですから。受け入れがたい人もいるみたいです」
「でしょうね。アタシもすぐに受け入れられるとは思ってませんから。根気強くやってくつもりです」
「前向きなんですね。僕とは大違いだ」
「何か悩み事でも?」
「悩み……単なる悩み事だったらよかったんですけど、ちょっと事情が複雑で。でも、それももうすぐ解決しそうです。あ、でも言うほどすぐにとはいかないかもしれないんですけど」
「解決できそうならいいじゃないですか。解決できないもの抱えてたって自分じゃどうしようもないってことなんでしょうから」
「……そうですね。そのとおりだと思います。あなたのように割り切った考え方ができる人間だったらよかったんですけど、どうにも昔から悪いほうばかりに考えてしまいがちで」
「あー、なんかそんな感じします」
どうやら見たままの人物像らしい。チサトはカイルの気弱そうな雰囲気と、見た目の年齢以上に大人びている様子がそれをより強調させるのだろうと思った。
「ここにはハンターの仕事を探しに?」
「いえ、人を捜しに」
「人を」
カイルは服の下からドッグタグを取り出してきた。ドッグタグは、ハンターになった者にのみギルドから支給されるものの一つだ。仮に魔物に殺され、その肉体をドッグタグごと貪り食われたとしても、魔物の胃では分解されない特殊な金属でできている。
もちろんチサトも所持しており、チサトが死に、肉体が見るも無残な状態になったとしても、ドッグタグだけは最終的に回収され、家族のもとに届けられるよう調査隊が派遣される手筈だ。
しかしカイルのドッグタグを見ると、彼のものと思しきものと、それとは別にもう一つドッグタグがつけられている。カイルはその一つを手に取ると、物悲しい表情を浮かべた。
「この一つは、昔少しの間だけパーティを組んだハンターのものなんです。本人から預かって、遺族に渡してほしいと言われて」
「それでここまで。でも、ギルドに渡せば遺族に直接届けてもらえますよね?」
「僕が直接渡したいと思ったんです。……いや、渡さなきゃいけないと思って。もちろんギルドに照会すれば居場所はすぐに特定できたと思います。でも、遺族に会いに行く勇気がその時の僕にはまだ持てなくて」
「そっか、そうですよね。あれ、じゃあ解決しそうだっていうのは、もしかして?」
「ええ。ようやく見つけられて、昼頃会ってきました。ただ、まだこのドッグタグのことも、これを受け取ったときのことも、何も言えませんでした。いざ本人を目の前にすると勇気が出なくて」
「それでこんな時間まで一人で呑んでたわけですね」
「はい。渡せる勇気が出るまでは、この集落にしばらく滞在しようと思います。なんとか伝えられたらいいんですが。自分の弱さが情けないです」
「何かを伝えるって、勇気がいることですもんね。いいんじゃないですか、それがあなたの歩く速度なら」
「歩く速度……」
「人にはそれぞれ歩幅があって、あなたはきっとその歩幅が他の人に比べて狭いか、ゆっくりなんですよ。アタシはもう迷いなく突き進んじゃうんで大股だし、なんだったら駆け足気味ですけど。人の速度と自分の速度を一緒にしたら駄目ですよ。あなたはあなたの速度で進まなきゃ」
「……そんな風に思ったこと、ありませんでした。そう考えると、少し楽かもしれません。今さっき知り合ったばかりなのに、いろいろ気づかせてもらって、ありがとうございます」
「いいえ、下手に歳食ってるだけですから。伝えられるといいですね、遺族に」
「はい」
悲しい目をしていたカイルに、少しだけ明るい光が戻った。そうだ、そういう目をしているほうが希望があっていい。この若きハンターの迷いがほんの少しでも晴れたのなら、歳を食うのも悪くないと思える。




