ファミリアに捧ぐ 31
観察対象だったミアが手伝いを終えて部屋に戻ってしまったので、チサトは一度仮眠をとってから、見回りがてら市場に向かった。
一夜明けるとさすがに少し人が戻ってきている。ハンターが周囲を見回っているのも一つあるだろう。前にミアが魚を買っていた店が開いているようだ。思い立って、チサトはその店に足を運んだ。
「あのー」
「はい」
「ここにいつもミアちゃんが魚を買いに来てると思うんですけど」
「ああ、カガリさんのところのお嬢さんね。いつもというか、ここ何ヶ月かだね」
「ずっと来てたんじゃないんですね」
「ある日急に来るようになったんだよ。イオリさんの手伝いなのかとも思ったんだけど、イオリさんはイオリさんで別に来るから違うみたいだね」
「いつもどんな魚買っていくんですか?」
「うちが売ってるなかでも小さいやつを買ってくね。うちとしてもそういうのは売れ残りやすいから助かってるよ」
「そうですか、小さいのをね」
それはチサトの中で少しずつ確信に変わりつつあった。
翌日、早朝からイチカが運動着を着て集落を一人歩いていた。増えてしまった体重を戻すべく、朝の散歩を始めたのだ。
リュコスの騒動は確かに気にはなるが、今のところ見つかっていないと言うし、リュコスも子供だと言うではないか。ハンターたちが見張り台に立っているから人の目もあるということでさほど心配はしていなかった。
(それにチサトさんもいるし)
Sランクハンターの戦力は一般的なハンターの2.5人分に相当すると言われている。知識、経験、戦術、アビリティの能力を最大限に発揮している点も含め、個々の能力は頭一つ分抜きん出ている。
だからこそSランクハンターは皆の尊敬と期待を一身に背負っているのだ。大変だろうなぁとイチカは、それでも実際にSランクハンターであるチサトを知ってまさしく理想のハンターであったことに素直に感心してしまった。
それに引き換え自分のこの体たらく。散歩を欠かさず頑張らないと。
「あれ」
意気込んで、それこそ鼻歌すら歌いそうな勢いだったイチカは一瞬視界に映り込んだものに目を瞬かせた。今サノの裏口からミアが出てきて駆け出していったように見えた。
まだ厳戒態勢は解かれていない為、子供は出歩けないはずなのだが。気のせいだろうかと思ってミアと思しき影が走り去っていった先に向かおうとしたとき、突然肩をコツコツと叩かれイチカはびっくりして「ひぇっ!」と飛び上がってしまった。
「そんなに驚かんでもいいだろう」
「ジゴロクさん!?」
そこにいたのは紛れもなくジゴロクだった。肩を叩いた硬いものはジゴロクが手にしていた杖だったようだ。
「びっくりしたー! 驚かさないでくださいよもう!」
「すまんすまん。イチカちゃんはこんな朝早くから散歩かい?」
「そうですよ。増えた体重を落とさないと。と、その前に一応建前として言っておきますね。今は厳戒態勢中なので一人での外出は禁止ですよ」
「イチカちゃんだって出歩いとるじゃないか」
「私はギルド職員なんで大丈夫なんです」
「そんな規定はなかったように思うが」
イチカは軽く咳払いをすると、「それでジゴロクさんは何してるんですか」と問いただした。
「まさかジゴロクさん、私のあとつけてきたんじゃ」
「そいつはいくらなんでも発想がちと物騒だな。わしは元々この時間に起きて毎朝朝日を拝むのが日課なんだよ」
「あ、そうだったんですか。すみません、てっきりこの間言ったこと実行に移されたんじゃないかと思っちゃって」
謝るイチカに「今からでも遅くないが」とジゴロクは言った。
「ジゴロクさんの歩く速さに合わせてたら運動になりませんよ。それじゃあ私、もう行きますね。今回は見逃しますけど、次、出歩いてるの見かけたらカガリさんに言いつけますからね」
イチカは念を押すように言って、集落の中を歩いていった。それを言った時点で自分も出歩いたことがカガリの知るところになるのだが。さすがのジゴロクも肩を竦めると、先ほどイチカが向かおうとした道を見て目を細めた。
昇り出した朝日に気づき、ジゴロクは両手を合わせる。今日も良き一日がやってくるように太陽に祈るのが、ジゴロクの日課だ。いつもどおりであってくれるだけでいい。そう願って、もう何十年と経つ。
「……さて」
祈り終えたジゴロクは満足気に頷き、のそのそと歩き出していった。
それから更に半日が経過し、その後もリュコスが見つかることなく夜を迎え、規定通り捜索は打ち切られることとなった。厳戒態勢も解かれることとなる。
「三日なんて甘いんだよ! もっと捜すべきだって!」
これに異を唱えたのが何を隠そうハルトだった。集落中のハンターが集まるギルド前で、ハルトの声が響き渡る。
「とは言ってもなぁ」
「見つからないものをいつまでも捜し続けるってわけにゃいかねぇしな」
これ以上の捜索には否定的な態度を見せるハンターたちに、「それで誰か怪我してからじゃ遅いだろ!」とハルトは食い下がった。
「ハンターはギルドが決めた方針に、余程の理由がない限りは従うこと」
そこにチサトの声が静かに響く。ハルトを含むハンターたちの視線がチサトに向いた。
「って、ギルドの規定にありましたよね?」
チサトはそれまで黙していたカガリを見やった。カガリは眼鏡をかけ直すと、「一応は」と返した。
「正しくは、ギルドの決めた方針に異議なき者は速やかに行動に移すべし、ですが」
「細かいことはいいんですよ」
「異議ならある!」
「アタシたちはない」
声を上げるハルトに被せる形でチサトは言った。ぐっと歯を食い縛るハルトに、カガリが僅かばかりに眉を顰めた。
「ハルト君。この三日、ハンターの皆さんには本来受けていただくはずの依頼を差し置いてまで捜索に協力していただいています。予定にない見張りや巡回もしていただきました。これ以上の捜索は彼らの疲労を蓄積させ、本来消化できるはずの依頼も減らないままです。ただ闇雲に捜し続けるだけが最良とは限らないんですよ」
「っ、だからって諦められるかよ……オレは捜し続けるからな!」
ハルトはますます声を荒げると、一人駆け出していってしまう。
「やれやれ、ハルトの坊主にも困ったもんだな」
「カガリさん、気にしなくていいよ。アタシらはアタシらで気にかけておくからさ」
ハンターたちの気遣う言葉に、「ありがとうございます」とカガリは精一杯の感謝を込めて頭を下げた。ギルド職員は信用が第一だなとこの光景を見てチサトは思う。
それにしてもハルトのあの諦めの悪さ、どうしたものか。小さく息をつきながら、チサトはハルトの去っていった方向に目を向けるのだった。
無事夜が明けた集落にはいつもののどかな風景が広がっていた。外に出たがっていたミアも珍しくイオリの手伝いをせずに朝一番でサノを飛び出していった。
決して厳戒態勢を続けていくことばかりが住民たちの為になるわけではないのだと思い知らされる。
「どこに行ってしまったんでしょうね、あのリュコスの子供は」
カガリがこんがりと焼き目のついたパイにこれでもかと香辛料を振りかけている。イオリがそれを物言いたげに睨んでいるのをチサトはなんとも言えない表情で視界に端に捉えていた。
チサトとカガリはすっかり定着しつつある窓際の席で共に昼食をとっていた。
「さぁ。どこかにはいるんじゃないですかね」
「やめてくださいよ。厳戒態勢解いたばかりなのに。そうだ、夜間の見張りなんですけど、念の為今日だけはお願いしてもいいですか?」
「もちろん。というか、ギルドの規定でハンターが見張りするってのは決まってるんですから。そんな申し訳ない感じで来ないでくださいよ」
「すみません、なんというか癖で」
そこに朝一番で出かけていったはずのミアが帰ってきた。せっかく外に出られるようになったというのに、その様子はなんだか元気がない。
「ミア、昼食べないのか?」
「……いらない」
ミアはカガリを見向きもせず、部屋に戻ってしまった。
「最近ずっとあの調子で」
「……。お年頃なんじゃないですか?」
「もう体重を気にするような年齢ですか?」
「下手に突っ込んだ内容聞くと、また嫌われちゃいますよ」
「またってなんですか、またって」
カガリは「好きで嫌われてるわけじゃ……」とぶつぶつ呟きながらパイを口に運んでいる。チサトはそんなカガリに肩を震わせながら、部屋に消えたミアを思い出し頬杖をついた。




