ファミリアに捧ぐ 21
夜、酒場となったサノはいつになくハンターたちで賑わっていた。テーブルの一つに屈強な男たちが群がっている。そこではチサトがSランクハンターだと聞きつけたハンターたちが、こぞって力比べをと集まってきたのだ。
チサトとその倍以上に体躯差のあるハンターが互いに手を握り込み、審判役の「準備はいいか? ――始め!」という合図で互いの手を卓上に押し合う。
「いいぞ! 負けんな!」
「Bランクの意地を見せてやれ!」
「うああ、負けそうだぞ!」
「よっしゃ行け!」
と、四方から声が飛ぶ。ここまでに連戦が続いていたチサトは開始の勢いに押し負け一気に追いやられる。しかし持久戦にはチサトも自信がある。
徐々に盛り返してきたチサトに誰もが固唾を呑む。そしてしまいには攻守が逆転し、ついにはダンッと相手側の手の甲が卓上に叩きつけられた。
「くっそー! 負けた!」
「すげぇ、もう六勝目だぞ」
「Sランクは伊達じゃねぇな」
さすがに腕が気怠い。疲労を訴える右手を振っていると、「エンハンス強化でも使ってるんじゃないか?」と観戦者の声がチサトの耳に入り込んできた。
「いくらSランクでも男たちの集まりで勝てないって、ちょっと現実味ないっていうかさ」
「あぁ、そう言われると確かにそうかもなぁ」
おいおいここに来てそれを疑うかよ、チサトは急速に冷めつつある場に面倒な気配を感じた。アビリティを使用していないかどうかを視認できる術はないわけではないが、少なくともこの場にいる人間は誰一人としてその方法を持たないだろう。
それを証明できる方法がチサトにはない。疑いの視線がチサトに向けられるようになると、「彼女、筋力強化のエンハンスは使えませんよ」と横から突然カガリの声がした。少し離れたテーブル席でカガリが目線も向けず、「メシィ通信」とある情報紙を読んでいた。
「彼女が持っているのは速度強化のエンハンスです。正真正銘、その強さは彼女自身のものですよ」
「カガリさんが言うなら使えないのか」
「おい、適当なこと言うなよな」
「っ、可能性の話をしただけだって」
「すまねぇな。疑って悪かった」
すっかり興ざめしてしまったハンターたちが散り散りになるなか、カガリが情報紙を閉じ、空いた正面の席に座り込んだ。
「すみません、悪い人たちじゃないんですよ」
「いいえ、助かりましたんで。でもあなたのそれはちょっといただけないですね。職員の権限を使ってアタシのハンター情報盗み見したでしょ」
チサトが疑り深い目でカガリを覗き込むと、彼は小さく肩を震わせるだけで決して謝りはしなかった。
「エンハンス強化は便利な反面、肉眼では効果がわからないですから、こういう場では争いのもとになりやすい。多いんですよ、お酒の席でああいう問題」
「でしょうね。エンハンスったって、種類はたくさんあるんですけどね。なのにハンターと言えば筋力強化が一強みたいな。アタシだって選べたなら筋力強化選んでるっつーの」
「でも十分お強いじゃないですか。腕、大丈夫ですか?」
「ええ。もう一人、二人はやっつけられましたね」
「いいえ、そうではなく」
カガリは意味深な表情をしてチサトの手を指した。チサトは少し真顔になって、「何のことですかね」と返した。
「それ以上やり続けると、魔障の影響が出るんじゃないかと」
「……その情報は一般職員が閲覧できましたっけ?」
「少し考えればわかります。最初にあなたがハンター登録を行った際、ハンターカードを受け取り損ねましたね。あれはSランクハンターのみが討伐を許されている、使徒が放出している魔障に汚染された人特有の症状である、感覚麻痺だとお見受けします。魔障の毒は、人体にあらゆる影響を及ぼします。筋力低下、精神汚染、感覚麻痺……あなたはまだギルドが指定した休養期間14日間の間にいる」
「たまたま受け取り損ねただけかもですよ?」
「ではハンター登録を行ったにも関わらず、その翌日には武器を整備に出したのはどうしてですか? 普通は順序が逆ですよね。整備を終わらせてから、ハンター登録をなさるべきだった。武器を預けるということは、最低でも数日間は討伐依頼を受けない予定だった、または受けられないものと仮定しました。そしてハンターカードを受け取り損ねたときの様子を鑑みて、魔障の影響があるのだと思い至ったわけです」
「すっごい理屈くさい。なんか得意げなのも腹立つ」
「こればかりは私の性格なので謝れないですね」
「別に謝ってほしいわけじゃないですから。まぁ隠してもしょうがないから言いますけど、あなたの言うとおりです。魔障の毒がまだ抜け切れてません。討伐任務もあと数日は受けられません」
「責めてるわけではないですよ。命を賭して、あなた方は私たちに被害が出ないよう戦ってくれている。そんなお疲れなところに群がるのは野暮と言うものでしょう」
「優しいんだかお人好しなだけなんだか。一応心配してくれてるってことだと思うんで、ありがとうございます」
「いえいえ。しかし魔障は厄介ですね。それさえなければ多くのハンターが引退に追いやられることもなかっただろうと思うと」
「駄目ですよ、そんな悲観しちゃ」
「え?」
チサトはそうじゃないのだと首を振ってみせた。
「上は長居しすぎないほうがいいんですよ。だから教官っていう制度があるんですから。歳取って、体力が追いつかなくなったら潔く引退するべきなんですよ。居座ってもいいことなんてないんだから。そんで、血生臭い魔物討伐から足洗って、若い人たちに頑張ってこい、ただでは死ぬなよって背中蹴っ飛ばしてやればね」
「本当に潔いですね。でも、わからなくはないですね。歳を取ればそれまでできていたことができなくなる。若い人たちの足を引っ張ってしまう。そうなってしまうよりは、教える立場に甘んじたほうがきっといい」
「でしょう? アタシもね、もう結構いい歳ですよ。だからね、中央に帰ろうかなって思ってたんです」
「……それはつまり、教官に?」
「しんどくなっちゃって。いや、戦おうと思えばまだやれますよ全然。幸い魔障の後遺症はまだ出てないんで。でもね、なんて言うか、戦いに明け暮れる日々って言うんですか? 人との交流も最低限でね、使徒を繰り返し討伐していく日々がなんか嫌になっちゃったんですよね、唐突に。自分の中の何かが枯れちゃったみたいな。で、それを担当官に話したら、じゃあ教官にどうだって言うから、それいい、そうしようって思って、帰る途中だったんです。まぁでも見てのとおりこの有り様ですよ。まるで図ったようにイーニスの群れに道を遮られてしまいました。はぁ、まだ動けるくせに引退なんて早いんだよってことですかね」
「か、どうかはわかりませんが、何か意味があると考えたほうが今は納得できるのかもしれませんね」
「意味かぁ。アタシが留まるなんて戦うこと以外ないですけどね。というか、そういう意味で言ったらアタシ、なんかとんでもないものこの集落に連れてくる災いみたいな感じになっちゃいません? あー、やっぱいいです、意味なんてなくていいです。災禍になるのはごめんです」
「まだ何も言っていないじゃないですか。一瞬過ぎりましたけど」
「ほら。アタシはここでイーニスがいなくなるまで適当に過ごしますからね。のんびりしますから」
「ぜひそうしてください、と言いたいところなんですが、討伐任務に出られないなら、よかったら私の仕事手伝ってみません?」
「ん?」
「ちょっとした視察……調査と言ったほうがいいかもしれませんけど、Sランクのあなたがいてくれたら心強いなって思って」
カガリは穏やかな笑みを浮かべている。ははぁ、とチサトは何故カガリが自分を助けたのかその意図を理解した。話のきっかけを作る為だったのだろう。
ただのギルド職員という風貌とは裏腹に意外とこの男、侮れない。
翌日、チサトは荷物を抱えたカガリと共に集落の外に出た。近くの岩壁が最近になって一部崩れ、中に続く入り口が発見されたのだという。魔物の討伐依頼を受けたハンターが見つけたのだそうだ。
ギルドが配布している地図に載らない洞窟や建造物、遺跡群などを発見した場合、ハンターにはギルドへの報告義務が発生する。勝手に踏破することや調査をすることは許されず、中に危険がないかをギルドが調査隊を派遣し、その調査結果によって推奨ハンターランクが定められ、また素材の採取場として新たに地図に書き込まれることになる。
何日か様子を見、魔物の出入りがないとわかったカガリは大きな危険はないだろうと判断し、人手が不足しがちなこの集落で自分の調査に付き合ってくれそうなハンターを探していた。
「どうしてあなたご自身が調査に向かわれるんですか? こういうのって普通、パーティを組んでいるハンターに調査依頼を出しますよね?」
「この周辺は強力な魔物の出現がありません。パーティで魔物の討伐を行うハンターは極めて稀です。それに調査依頼の報酬はギルドが決めた固定額プラス、討伐した魔物の素材提出で増額が決まる。ここまで言えばあなたならおわかりかと」
「つまり、人が集まらない?」
カガリは頷く。
場所によるが、強力な魔物が潜む地での調査依頼は大体がそこを棲み家にしている魔物が潜んでいる。それらを討伐しながら調査を完了すれば、討伐した魔物の強さに応じて追加報酬が得られる。ほとんどのハンターはその追加報酬が目当てで調査依頼を請け負うのだ。
何が潜むかわからない場所の調査だ、ハンターは身一つ。命を懸けるだけの報酬がなければ当然人は集まらない。そしてこの周辺ではその追加報酬を得られる魔物の出現がほぼない。となれば、人集めには苦労するだろう。
「それであなたご自身が調査員として出向くんですか。あなたギルド職員ですよね。事務仕事が主ですよね。一日中座って仕事をなさっている方が大丈夫なんですか?」
「残念ながら大丈夫ではないので、Sランクハンターであるあなたのお力をお借りしたいんです。今は中央の道も絶たれていてハンターの出入りも極端に少ないですから、尚更人手が足りなくて。本来は先頭と後方に一人ずつ、間に調査員が望ましいですが、Sランクハンターは通常のハンターの倍以上の戦力です。十分二人分補えます」
「あんまり買い被らないでくださいね。アタシ、一人での討伐ばっかりなんで、あなたのことにまで目が行き届かないかも」
「そこはご安心を。不測の事態に備えて私も護身程度ですが武器が使えます」
何やら懐を漁り出したカガリがその手にハンドガンを取り出してきた。見慣れない形だと思った。ハンドガン自体は珍しいものではない。作られたのはここ数十年と日の浅い武器ではあるが、今ではハンターが使用する主流武器の一つとなっている。
ただ、カガリの持っているハンドガンはどう見ても店に置いてあるような量産されたものではないように見える。もしかしてギルドの開発部が作った武器だろうか。ネロのラボのような一つ先の時代を行く雰囲気を醸し出している。
おそらく自動装填式、威力は出ないが数が撃てる代物だ。弾数は最大で15発ほどと言ったところか。仮にギルドのものでなかったとしても、安物には見えない。
「それ私物?」
「もう随分とお世話になっています。腕前はそこそこ」
「誤ってアタシを撃ったりしないでくださいよ」
「気をつけます」
「そこはしないって言ってほしかった」
カガリの腕前がどの程度か判断はつかなかったが、本人がそこそこだと言うのならそれを信じるしかない。
「っと、ここですね」
二人は問題の洞窟の前にやってきた。入り口を塞いでいたと思しき岩は綺麗に入り口横に寄せられている。そのいくらかは形が整っているように見えた。岩壁が崩れたと聞いていたからてっきり自然に埋まってしまったものが崩落して出てきたのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
「何か気になることが?」
カガリに尋ねられたが、確証がないことは言えない。チサトは小さく首を振り、「たいしたことじゃないんで」と返した。
「そうですか……。では、行きましょうか。すみませんが灯りをよろしくお願いします」
気にした様子を見せながらも、カガリはランタンをチサトに預け、洞窟の中に入っていく。
さて、中には何があるやら。
チサトは腰に帯刀しているダガーを一瞬見やり、ランタンを手にカガリのあとに続いた。




