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ファミリアに捧ぐ 20

 午後は部屋に戻り、しばらく手入れをしていなかったダガーと解体用のナイフを徹底的に磨き上げることにした。買ったばかりの未使用の砥石は水がなかなか馴染まない為、時間をかけて研いでいかなければ。

 傍らで手巻き煙草を燻らせながら、チサトはじっくりと研ぐことに専念した。この時間がチサトは嫌いじゃない。

 今研いでいるダガーはもう20年以上も使い込んでいる。かつての友と共に購入した大切な一本だ。刃も摩耗してしまい、元の大きさより一回りも小さい。しかし自分の手にすっかり馴染んでいるこれをなかなか手放せない。

 今では小動物を狩るくらいにしか使っていないのだが。今回はたっぷり時間があるから仕上げ砥石も使って磨き上げよう。全てを終える頃には夕刻を迎えてしまうかもしれないが。

 刃先が曲がっていないことを確認し、刃を起こしすぎないよう慎重に研いでいく。無心でやり続けるとやりすぎてしまうから気をつけなければ。段々と取り戻してきた感覚によしよしと思っていると、不意に扉が開かれた。

「いた」

 ズカズカとチサトの許可もなく部屋に入ってきたのはハルトだった。

「アンタ、Sランクハンターなんだって? ミアから聞いたんだ。オレ、ハンターになりたいんだ、凄腕の。オレにハンターのこと教えてくれよ。頑張るから」

 そう来たか。というか今取り込んでるのが見てわからんのか、とチサトは内心でぼやいたが、この生意気な見習いハンターには言うだけ無駄だろう。

「君さっき人のことなんて呼んだよ」

「それはごめん、謝る」

「アタシはできた大人じゃないからさ。腹立つこと言われたら普通に怒るし、相手が子供だからって許したりはできないわけ。というか、アタシはランサーじゃないからさっき教えた基本的なこと以外は教えられない」

「でもSランクハンターだろ。数え切れないくらい強い魔物と戦ってきて勝ってきた。オレ、その強さが欲しいんだ。使徒って戦ったことある? どうやって戦うの? やっぱり体鍛えてエンハンス強化? 倒すにはどうすればいい?」

「使徒と戦ったことはあるけど、教えない」

「なんで」

「理解できないから」

「っ、そんなの聞いてみなくちゃわかんないだろ」

 チサトは大きく息を吐き出すとダガーを置いた。

「――目の前にいるのは死。皮膚が焼けるような魔瘴、空気中の水分が蒸発して大地が枯れる。咆哮はまるで霆、間近で浴びれば鼓膜を破き、肉体を硬直させる。攻撃が一瞬でも掠れば吹き飛ばされる強大な威力、内臓を押し潰されて血が迫り上がり、吐き出せばその血の臭いで使徒が興奮して荒れ狂う。足を止めてはいけない、一瞬でも隙を見せれば容赦なくやつらはそこを突いてくる。牙は肉を抉り骨を砕き四肢を簡単に削いでしまう。やつらは片足を失っても残りの足で動き回り、牙を砕いても丸呑みにしようと口を開ける。一度倒れるだけでは死なない、やつらは心臓を二つ持っている。肉体としての死と、魂の死。体内の魔力結晶を取り出さない限り神の使徒として何度でも立ち上がる。意思のない操り人形として人間を滅ぼしにかかってくる。やつらにとって死は恐れるものではない。人間を滅ぼせないことがやつらにとっての恐怖そのものである」

 声色低く続けられたチサトの言葉にハルトの喉がゴクリと鳴った。しかし次の瞬間にはチサトからはふっと力が抜ける。

「って、大昔に使徒と対峙したハンターは言い残したみたいだけど」

「え」

「そんなの個人の体験談だからさ。魔力結晶を抜き出さないといけないってのはそもそもどの魔物もそうじゃない。要するに先人は油断するなよってことを言いたいんだよ。君だっていきなり使徒と戦って勝てるだなんて思ってないでしょ。ましてや眷属とすらも戦ったことないのに。どんな先人だって最初は素材集めから入ってるし、その過程で魔物に遭遇して少しずつ経験を積んでくんだよ。地道に頑張りなさいってことだ」

「そういうのはカガリのおじさんで聞き飽きてるよ。オレは今すぐ魔物と戦えるようになりたいんだ」

「そんなの無理。ちゃんとハンター試験に合格して基礎を学ぶの。今の自己流続けてたら変な癖つくよ。悪いことは言わない、まずはハンターとして必要な知識を学ぶところから始めたほうがいい。魔物の生態を知るのも立派なハンターの務めよ」

「そういう小言も聞き飽きてんだよ。というか自分だって煙草吸ってんじゃん」

 と、ハルトはチサトの手元で紫煙を漂わせる煙草を見た。燻ぶったにおいが辺りに充満している。

「魔物相手にそういうにおいつけていいのかよ」

「Sランクハンターは吸ってないとやってらんないんだよ。毎日命がけだからね。まぁ、今の君にはわからないか」

 ハルトは舌打ちをすると部屋を飛び出していく。あれは教えを受ける態度じゃないな、と早々に出ていってくれたことに一安心する。

「というか、扉閉めてけよなぁ」

 開け放たれてしまった扉を閉めようと席を立つと、入れ違いでイオリが階段を上ってきた。

「ハルトのやつに失礼なこと言われなかった? アンタの部屋はどこだってうるさく聞いてきてさ。あまりにうるさいんで言っちゃったんだ」

「いや、平気。勝手に乗り込んできて勝手に怒って出ていっただけだから」

「やっぱり。ごめんね、本当は兄貴があの子の面倒ちゃんと見るべきなんだけど、あの性格でしょ? あんまり強く言えないんだよ」

「あの二人何かあるの?」

「ハルトの身元引受人なんだよ、兄貴。だから本当は兄貴がちゃんとハルトを注意してやんなきゃいけない立場なんだ。でも兄貴があんな調子だから全然言うこと聞かなくてね」

 そうか、カガリが。ハルトについていろいろ知っていたのもそういう事情からなのだろう。確かにあの性格ではハルトのような子供は反発したくなる。カガリと歳が離れている分、余計にカガリが大人に見えてしまうのだろう。

「あの子の気持ちはわからなくもない。仇を討ちたいってのもあるだろうし。アンタのお兄さんの、魔物と戦うことは怖いっていう気持ちもわかる。アタシにはあの子を諭すことはできても否定することはできない。ましてや戦うことが怖い人に戦うことを強要することもできない。Sランクハンターなんてのはさ、戦うことを義務にした人がなるもんなんだよ。アタシには仇を討ちたい相手もいないし、魔物が怖くて戦えないとかもないから。――いや、怖くないことはないけどさ、でも目標も、戦わない選択肢もないんだよね。アタシの言葉は説得力には欠けるよ。誰かの為になる言葉ってどうやったら出てくるようになるのかな」

「……アンタ、いろいろ考えてるんだね。ハンターってのは大体脳筋の集まりばっかりだと思ってたよ」

「極端」

 からりと笑ったチサトは、あながち嘘でもないと言った。現にチサトの戦闘方法は魔物を殴って物理で鎮める戦法だ。まるでわかったような考え方をしてしまうのは変に歳ばかり重ねてきてしまったからだろう。

 チサトは再びダガーの手入れに戻った。と、今度はアグニが帰ってきた。体に括られている筒から言伝を預かる。ユノからだ。イーニスについての続報があるらしい。

 仕方ない、一旦手入れは中断してギルドに向かうことにした。



『イーニスの群れに近いと思しき各集落から情報を集めた結果、イーニスたちはどうやら枯れた大地から来ていることが判明しました』

 画面越しのユノの表情はいつに増して硬いものがあった。表に出したい不安を抑え込んでいるからなるのだと、チサトは随分前から知っている。

「枯れた大地か……また遠いな」

 ――枯れた大地とは、その名のとおり草木も生えていない荒んだ荒野が広がる地だ。チサトのいるこのミクロスの遥か北に位置する。餌になるような魔生物や通常の生き物も生息しない為、一部の例外を除き魔物はほとんど生息していない。

 今から気が遠くなるほど昔、原初の魔物が人の手によって討伐された際に強力な腐敗の毒を振り撒いたことで、以来人が住み着けなくなったのだという。故にただ存在するだけのイーニスが群れを成すには絶好の場だ。そんな土地から何故イーニスが。

『イーニスの群れの移動には規則性がないと言われていますが、過去に一例だけその群れが動いた例があるようです。百年以上も前の事例なのでどこまで信憑性があるかはわかりませんが……』

「それは?」

『――使徒同士の衝突です』

 ユノが厳しい表情でそう答えた。チサトは胸がざわつくのを覚えた。それが本当ならかなり危険な状態だ。

 使徒にはそれぞれ相性がある。その使徒を生み出したとされる神々が史実上友好関係にある場合は使徒同士が出会っても穏便に済む。しかしそうでなかった場合。使徒は互いを排除しようとする傾向がある。周囲のあらゆるものを巻き添えにして暴れ回るのだ。

 その為、昔から使徒同士が近くにならないよう、Sランクハンターがその前にどちらかの使徒を討伐してきた。この集落に来る前のチサトもそれを理由に使徒を一頭討伐してきたのだ。それだけ使徒同士の衝突は周囲に甚大な被害を与える。

『現在枯れた大地に調査隊を派遣しています。――最新の報告が到着してますね。今読みます』 

 ユノが手元の端末を眺め、ますます険しい顔をした。

「いい報告じゃなさそうだ」

『巨大なクレーターを三箇所確認。岩山の一つが崩れ去っているとのことです』

「うーん、とてもよろしくないね」

 使徒同士の争いでは地形が変わる。これはその典型的な例だ。

『既に移動しているようですね。周囲に使徒の姿は見られなかったそうです』

「ということは、片方、もしくは両方の遺体、及び痕跡が見つかっていない」

『はい。おそらくまだ決着がついていません。付近で衝突を繰り返しているとの見解です』

「種族は?」

『残っていた足跡から、一体はヨトゥンの使徒である可能性が高いです』

「だと、相性が最悪なのはフェンリルの使徒か」

『調査隊もそう見ています』

「アタシ準備しとこうか」

『チサトさんは駄目です。まだ以前戦った使徒から受けた魔障の毒素が抜け切っていません。その状態でもう一度使徒と戦えばどうなるかわかってますよね』

「……はい」

『この件はこちらに任せてください。至急Sランクハンター数名に招集をかけているところです。チサトさんは少なくともあと数日は穏やかに過ごしてください』

「はぁい」

『それではこちらからは以上です。チサトさんからは何かありますか?』

「あー……この件とは一切関係ないんだけどさ、ギルド職員って稼ぎ悪くないよね?」

『なんですか急に。まぁ、上位ランクのハンターと比べたら天と地ほどの差はありますけど、一般的には高給取りになりますね。本部と支部で多少差はありますけど、微々たるものだと聞きますし』

「そうだよねぇ」

『何か気になることでも?』

「いやいや、こっちの話。ありがと、参考になった」

 通話を終え、チサトはそっと背後を振り返る。そこには誰も訪れることのない時間を、好きだというアテナの本を読んで過ごしているカガリがいる。身につけているものに高価なものはなく、身の回りにもそれらしいものはない。

 カガリが一体何に浪費しているかなど、チサトにはわかるはずもなかった。

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