ファミリアに捧ぐ 2
時は遡ること25年前――。
ハンター訓練所とある施設の扉を開け、一つに結んだ白髪混じりの髪を揺らしながら、一人の女性が歩いていった。
その先の教室で、緊張の面持ちで座っている若き男女、――ハンター訓練生が椅子に座り込んでいた。
そのほとんどが17、8ほどのまだどこか幼さを残す顔立ちをしている。比率としては、男のほうが幾分か多いだろう。
そこに、先ほどの女性が厳しい顔つきをしながら入室してきた。そうすると途端に若き訓練生たちは背筋を伸ばし、息を呑んだ。
「自己紹介はしなくていい。既に全員の顔と名前は頭に入っている」
黒板の前に立ち、教卓に手をついた女性は口早に「私はアサギと言う」と告げた。
「今日から三月の間、お前たちの座学を担当することになる。基礎訓練も担っているが、私が担当するのはこの中では二人だけだ。あとは他の教官がつく。人が変わるからと言って礼儀は怠るな。どの教官も目覚ましい実績を残してきた先人たちばかりだ」
アサギと名乗った女性は後ろの席でひそひそ話し込む青年二人を視界に捉えると、「それと」と更に声を強めて言う。青年二人は慌てて口を噤んだ。
「同期だからと慣れ親しむのは勝手だが、無駄にそこに時間を割いて遊び惚けたり、交流を深めて知り合いを作るなどということはしないようにしろ。これからのお前たちの記憶力は、他人の顔と名前を覚える為に使うのではなく、討伐対象である魔物やその知識、世に出たあとの地理を覚える為にある。この中で何人が生き残り、何人が死ぬかもわからない。今隣にいるやつが外に出たその日のうちに死ぬことだってあり得る」
ゴクリと、誰かの息を呑む音が聞こえてくる。アサギの言葉は重く教室に響き渡った。
「交流をするなとは言わん。だが程々にしておけ。以上だ。では時間が惜しい、さっさと座学を始める。だがその前に、私が今から言う言葉をよく頭に刻んでおけ」
アサギは小さく息を吸い込むと、目の前の訓練生に向け声を張った。
「――基礎を疎かにする者は基礎に泣く。知識を疎かにする者は知識に泣く。ハンターである道を選んだ以上、基礎を学び、知識を得ろ。それらを疎かにするやつはハンターである資格はなし。では、手元にある資料の三ページ目を開け。初日はギルドとハンターに関する基本的な制度と各々の役割について理解してもらう」
訓練生たちが一斉に机の上に置かれていた資料を捲り出した。
その中には他の訓練生たちよりも少しだけ小柄な体躯をした女性訓練生が、一人混じっていた。
「ギルドはハンターに多くの義務を規則として定めている。これにはいくつかの理由がある。一つは生存確認だ。義務をこなすことでそのハンターが生存していることの証となり――」
資料を手に教室を歩いていたアサギは、ふと視線を下ろした。小柄さが目立つ女性訓練生が資料を眺めながらうとうととしている。
アサギはどこか遠い目をすると、資料を下げ拳を握り締めた。そして、その拳を思い切り彼女の脳天に向かって振り下ろした。
「いっ!?」
彼女はあまりの痛さと衝撃に飛び起きた。一瞬にして目が涙を浮かべ始める。
それを見た周囲が、うわ……という顔になった。
「何度も言うが、基礎と知識を疎かにするやつはハンターになる資格はない。お前は確かチサトとか言ったな。ハンターの実技試験をトップクラスの成績で合格しながらも、その反面筆記試験は合格ライン、ギリギリだった。戦うことばかり身につけたハンターの先は短い。次、私の座学で同じような態度を示したら居残りでリュコスの図解録の全ページを書き取りさせるからな」
「っ……すいません」
頭を押さえながら彼女は、――チサトは涙目になって頭を下げた。
と、教室に設置されていたスピーカーから鐘の音が聞こえてきた。アサギは資料を閉じると教卓へと戻っていく。
「今日の座学は終了だ。午後から武器の基礎訓練に入る。班の割り振りは今日渡している資料の中に入っている。確認しておけ。では各自食堂に向かい飯を食って午後に備えろ」
アサギは口早に告げて教室を去っていった。それに伴い、他の訓練生たちもぞろぞろと席を立ち、資料を手に教室を出ていく。
殴られたところが酷く痛み、なかなか立てないチサトの背後から女性の笑い声が聞こえてきた。チサトが振り返ると、同い年らしき女性訓練生が肩を震わせている。
「あははっ、あー、我慢するの大変だった。アンタ初日からアサギ教官怒らせるなんて、将来大物になるね」
「……反省してますぅ」
「でもアンタ絶対次もやるね。わかるよ」
「座学苦手なの、昔っから。本とか読むと眠たくなっちゃってさ」
「気持ちはわかるけどねぇ。あ、アタシはノエ。アンタはチサトだよね。よろしく」
そう言って手を差し出してきたノエに、チサトも「よろしく」と握手を返した。
二人は知り合ってすぐのその足で食堂へと向かった。そこには数百人にも及ぶ職員と白衣を着た研究員らしき人々が昼食を取っていた。
「うわー、さっすがギルド本部。凄い人の数。やっぱ中央は一番人が集まる場所だけあるね」
と、ノエが感心した様子で声を上げた。隣に並ぶチサトも「確かに凄い」とそれ以上の言葉が出ないようだった。
「どうやってご飯食べるんだろ。みんな並んでるな」
「見た感じ、並んで自分の好きなやつ取ってくんじゃない?」
「あ、だとしたら食べたいやつ早く並ばないとなくなっちゃうかも。早く行こう」
ノエに連れられ、チサトは食事を取る列に並んだ。二人はそれぞれに好きな料理を取ると、空いていた窓際の席に腰掛ける。
チサトはそこから見下ろして一望できる街の様子を見て「たかっ」と呟いた。
「そりゃそうだよ。ギルド本部はほとんどの場所から見えるって言われるくらい高い建物だからね」
「孤立集落出身だとどこ見ても高い建物だよ」
「そうだね。大体の人たちはみんなそうじゃないかな。中央だけ人が集まりすぎて近代化が進んじゃってるって感じだよね」
ノエが食事を始めると、チサトもつられるように食事に手をつけ始めた。
まだアサギに殴られた脳天の痛みが引かない。食べながらチサトは頭を擦った。
「相当痛そうだね」
「コブになりそう……」
「アサギ教官は元Sランクハンターだからね。引退して三年経ってるとは言え、大槌ぶん回してた人だから多少筋肉が落ちても力の差は今のアタシたちとじゃ比べ物にならないよ」
「なんか詳しい?」
「アンタがアサギ教官のこと知ってたら絶対怒らせなかっただろうね。そもそもSランクハンターのことちゃんと知らないでしょ」
「……興味ないし」
「Sランクハンターって超がつく有名人だよ。中央なんかじゃ子供の憧れの的、どこを訪ねても駆け寄ってくる住民。そしてこの世界における一番の高給取り。いやぁ、憧れるね。目指せSランクハンターってね」
「アタシそういうのとは無縁のところに生きてきたから」
「住んでるところにハンターくらいいたでしょ」
「いても一人。アタシの住んでたところすんごい辺境で名前がないくらいの小さい集落だから、そういう情報なんにも届かなかったんだよね。だからSランクハンターの何がどうとか全然わかんない」
「そっかぁ。ならアタシがいろいろ教えるよ」
「助かる。はぁ、アタシは武器振ってるほうが全然いいや」
ため息を吐くチサトにノエは肩を震わせ言った。
「そういやチサト、ハンターの実技試験トップだったんだってね。武器は何使ってんの?」
「槍。ノエは?」
「アタシはボウガン。親のおさがりなんだ」
「親もハンターなんだ」
「うん。うちの家系、代々ハンターなんだ。特に飛行型の魔物専門でさ。じっちゃんは弓使いだし、父さんはボウガンでしょ。母さんは最近銃に熱があるね」
「へぇ、うちのところはハンター家業誰もいないからさ。そういうところで生まれると早いうちに知識ついていいだろうね」
「その分すっごい厳しいけどね。でもうちのじっちゃんもさ、知識を疎かにすると痛い目見るから、ちゃんと覚えろって言ってたよ。ハンターやってくならさ、アンタもそういうの直面すると思うし、覚えといて損はないと思うな」
「んー……頑張る」
「女が頑張ったってたかが知れてるだろ」
その声はチサトの背後から聞こえた。二人より少し年上に見える男は、チサトの記憶では確か教室でチサトの右隣に座っていた記憶がある。
「何アンタ、急に入ってきて」
ノエが警戒心むき出しの表情で男を睨んだ。
「程々にしとけよ。女は男と違って筋力も体躯も違うんだ。頑張ったところで所詮男には力の差で勝てねぇんだから」
「世の中には男が弱いところだってあるでしょ。アンタ何様?」
「ヴノのウェルサだ。お前たちよりはまともにハンターの勉強をしてる」
「はぁ?」
「知ってるか。アサギ教官の同期であるハンターサジは男でいまだ現役だ。歳がいったときに長くハンターを続けてられるのも男だからだってことさ」
「アサギ教官はその当時のハンターの中でも最初にSランクハンターになった人で、一番使徒と多く戦ってきたから魔障の後遺症が早く出て、それで動けるうちに引退したんだ。早く引退したのが女だったからとか関係ないだろ」
「後遺症が出ても戦ってるSランクハンターは他にもいる。やっぱり男のほうが体の作りが強いから忍耐力があるってことだ」
「アンタさぁ」
「――アサギは強い女だ」
激しくなりそうな二人の言い合いにチサトはどうしたもんかと間に挟まれ考えていたが、そこに突然大きな影ができた。
影の持ち主はチサトと比べるとあまりにも大柄で、体二つ分は質量が違うようにすら見えた。
煙った臭いがチサトの鼻をつく。軽く咳き込みそうになるのを堪えていると、「ハンターサジ」とノエが何やら興奮気味に声を上げた。
ハンターサジと呼ばれた40も半ばだろう男は、手に空になった食器を乗せたトレイを抱えていた。
「中央に戻ってきてたんですか」
ノエが思わず整った口調で尋ねると、サジは「ああ」と頷き返す。
「アイツはアビリティに筋力強化を持ってないにもかかわらず、大槌をぶん回す強い女だ。それで数多の使徒をぶっ飛ばしてきた。お前らより遥かに多くの死線を潜り抜けてきた正真正銘のSランクハンターだった。リュコス一匹まともに倒したことのないお前らがとやかく言っていいもんじゃねぇ。そういう偏見は捨てろ。やつらとの戦いにおいては邪魔になる」
サジはチサトたちを一瞥するとトレイを手に立ち去っていった。
「……」
ウェルサはそんなサジの背中を見送ると、自身もまた席を立ち、無言で食器を片付けその場から離れてしまった。
「アイツもサジ相手じゃなんも言えないか。いやぁ、さすがハンターサジ、現役Sランクハンターの空気って言うの? 痺れるねぇ」
「そう? ただの煙草臭いハンターって感じだったけど」
「アンタ思ったことそのまま言うね」
「人の少ないところで育ったもんで」
「煙草なんて、あの年代のハンターじゃ珍しくないんじゃない? でもハンターサジが中央に来てるってことは、緊急討伐任務が終わったってことか。あとでメシィ通信確認しなきゃ」
「緊急討伐任務って、なんかすっごい危ない討伐対象を相手にするときに発令されるやつだっけ」
「そうそう。何年かに一回くらいしか本部が出さないやつ。今回はハンターサジと、その同期のハンターソーマが任務に行ってたはずだけど、ハンターソーマのほうはまだ戻ってないのかな……」
辺りを見渡すノエにチサトもつられて見るが、まともな情報一つ仕入れていないチサトがそのソーマなる人物を探せるはずもない。
「っと、あんまりゆっくりしてると午後の訓練に間に合わないね。早く食べちゃおう」
「うん」
ノエに急かされ、チサトは頷いて止まっていた食事の手を再開した。