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ファミリアに捧ぐ 14

「いらっしゃい! あら、新顔ね」

 チサトがサノに入ってすぐ、声をかけてきたのは特徴的な赤毛を一つに結んだ女性だ。見かけの年齢はチサトに近いように見える。

「ここには立ち寄り?」

「ええ。中央に行く途中で。運んできてもらったフェローを休ませてるの。席は空いてる?」

「もちろん。ここハンターはそこそこいるんだけど、客は少ないから。好きなとこ座って。今水持ってくるよ」

 女性に言われ、チサトは近くの窓際の席に腰を下ろした。さすがに長時間荷車に揺られていたのが効いている。背中と腰がガチガチだ。

 中央まではこの辺りからだとあと五日はかかるだろう。途中にあるだろう宿営地のベッドが空いていればいいのだが。混んでいるときは混んでいるからなぁと、チサトは大きく背筋を伸ばす。

 先ほどの女性が水を運んでくると、「なんにする?」と尋ねてきた。

「うちじゃあハンター向けの肉料理も扱ってるけど、ここいらは魔物の出現が少ないから肉の流通が多くなくてね。肉料理は他よりちょっと割高よ。その分川が多くて魚がよく捕れるから、魚料理なら他より安く提供できるわね」

「美味い酒が出るって聞いたんだけど」

「アンタ呑める口?」

「今死ぬほど飢えてる。樽で呑みたいくらい」

「よしっ、ならいい酒出してあげるよ。酒のつまみなら、今ならプランクトスの燻製がオススメだね。最近ここらでよく出現するんだ。いくらでも出せるよ」

「それ最高。お願いします」

「了解。ちょっと待ってて」

 女性が下がっていくと、チサトは頬杖をついて外の景色を眺めた。決して活気のある場所ではない。こうして眺めていても、すれ違っていく人々の姿はまばらだ。それでも時折子供たちが駆けていく様子が見えると嬉しくなる。

 穏やかな時間だ、先日まで死地にいたのが嘘のように。

「はい、お待ち」

「え、はやっ」

 さっき奥に消えたばかりだったのに、女性はもう戻ってきた。チサトの前にグラスに並々と注がれた麦酒とプランクトスの燻製が置かれる。

「言ったでしょ、いくらでも出せるってね。おかわり欲しかったら言って。一回だけは無料で出してあげる」

「あ……それはどうも」

 もうちょっと感傷に浸っていたい気持ちもあったのだが。来てしまったものは仕方ない。

 チサトはグラスを掴み、ぐいっと中身を口に運んだ。麦の風味が口いっぱいに広がる。

「っ、くぅー、美味い」

 次にプランクトスの燻製を口に放り込む。歯ごたえのある感触に燻された香りが鼻を抜ける。これはいい、酒が進む。

 チサトは感傷的になっていたことなどすっかり忘れて、夢中で酒をかっ食らった。



 酒とつまみで満たされた胃に満足した頃、突然一人のハンターが慌てて来店してきた。奥の席に座っていた仲間らしき数人と話し込んだかと思うと、次の瞬間には全員が何やら急いだ様子で慌ててサノを去っていった。何かあったのだろうか。

 チサトは背筋に感じた嫌な予感に席を立つ。こういう時の自分の勘はよく当たる。

 支払いを済ませ、荷物を背にサノを出ると、上空でチサトのことを待っていたかのようにチサトを追い続けていた鳥が旋回していた。何かを知らせようとしている。

「ああ! ハンターさん! ここにいたんですね! 捜しましたよ!」

 と、農夫が駆け込んできた。まずいことになったと口早に続けた。

「あいつらが出たんですよ!」

「あいつら?」

「イーニスですよ! イーニス!」

 うっ、とチサトはその名を聞いて息を詰まらせた。

 ――イーニスとは、見かけは羊にとてもよく似た風貌をした、数百から数千頭に及ぶ群れで行動する魔生物である。

 その群れの規模は大河を軽く占領してしまうほどであり、彼らは一度立ち止まると数日から長くて数ヶ月その場所から動くことがない、通行の妨げになる大変迷惑極まりない魔生物なのだ。

 何かを食べて生きていくことがない為、排泄物も出さず環境にはすこぶる優しい存在ではあるのだが、いかんせん人間側にも魔物側にも全くと言っていいほど何の利点もない存在なのである。

 その毛皮は加工には向かず、肉も硬くて臭い為、魔物も寄りつかないほどで、どうにかして退かそうと攻撃をしても何人たりともその場を動こうとしない。

 よって、運悪く道にイーニスの群れが止まってしまった場合は、大人しく彼らがどこかの地に移動していくのを待つか、迂回するしかない。が、迂回するにしても群れの始まりを探すうちにかえって目的地より遠ざかってしまい、結果的に元の場所で待っていたほうがいいことの場合が多い。

 イーニスはいつも突然現れ、気づくと消えている、ただいるだけの不思議な魔生物だ。彼らの存在意義を確かめようとしたギルドの研究員が過去に何人かいたが、現在でもそれが明かされていないということは、つまりはそういうことなのだろう。

「今から行けばまだ間に合うかもしれません! 行きましょう!」

 農夫に促されるまま、チサトは急ぎ集落の出入り口へと向かった。だがもうチサトには結果がわかっていた。イーニスが出たというだけで誰もが即座に長期滞在できる宿を探すくらいなのだ。

 要するに、諦めろと言うことなのである。

 案の定、時既に遅く、中央へと続く道はイーニスの大群で覆い尽くされてしまっていた。今までチサトが見てきた中でも一番大きな群れだ。地平線の向こうまでイーニスで埋まってしまっている。

「うぅん……これは無理そうですね……すみません。私がここでフェローたちを休ませたいと言ってしまったばかりに」

「いいえ。イーニスの出現は誰にも予想できませんから。むしろここまで運んでもらって、こっちこそ感謝しないと。ありがとうございました。アタシはここに残るので、帰りはハンターを雇って安全に帰ってください」

 チサトは雇った農夫に、当初提示した金額から少し上乗せした額を足して農夫に渡した。

「わっ、こんなにっ。中央まで行けていないんですから、こんなに頂かなくても……!」

「ハンターへの依頼料はそこそこかかりますから。護衛任務ならランクB以上のハンターを条件にしてください。Cランクハンターは護衛任務の経験が浅いですから」

「ああ、そんな……申し訳ない……」

「いいんですよ、本当に。今からなら滑り込んで申請を受け付けてもらえるはずですから、すぐに行ってください。どうかご無事で」

 チサトが引くつもりはないとわかると、農夫は何度も頭を下げてギルドへと向かっていった。その背中を見送ると、さてとチサトはイーニスの群れを眺める。

「これはすぐに動かないよなぁ」

 イーニスはその規模が大きければ大きいほど移動する時間もかかると言われている。これだけの数、本当にいつもどうやって移動してきているのだろう。誰一人としてイーニスが来る姿も去る姿も見ていないのだ。

 それにしても先のハンターたちの姿が見えないが、もう戻ったのか、それとも迂回しに行ったのか。どちらにしてもその行き先はあまり自分には関係ないかと、空を飛び回っている小さな相棒に指笛を吹き鳴らすのだった。



 イーニスによって中央への道が断たれたのは当然とも言えるが、チサトだけではないようだった。

 小さなギルド支部の受付はどこにこれだけの人がいたのかと言うほどに人で溢れ返っている。

 先ほどチサトが送り出した農夫のように、中央には行かずに集落に引き返す護衛を見つけようという商人の姿が見え隠れする。そういう依頼を探しに来ただろう、ハンターも幾人か。そこにはサノにいたハンターたちの姿も見えた。

 そんな彼らに混じっているのは傭兵だ。見てすぐわかるのは、ほとんどのハンターがその証でもあるハンターカードを持っているにも拘らず、傭兵と思しき人物たちはそれを取り出そうとしない点にある。

 これだけの人だ、ハンターの数よりも商人の数が多いだろう。護衛依頼は二人以上が望ましい。依頼を受注するハンターの人数がどうしても足りない場合、ギルド側は仲介料として報酬金から二割ほど差し引いて傭兵に依頼を斡旋できる。そのおこぼれにあやかりに来たというところだろう。

「少々お待ちください、すぐに処理をしますので」

「今いる方々の処理は全員致しますので! 順番にお並びください!」

 冷静に対処している男性職員と、まだまだ新米に見える若い女性職員の声が聞こえてくる。

 とりあえずチサトは処理の早そうな男性職員のほうへと向かった。確かサノに入る前に見かけた、子供たちに読み聞かせをしていた職員だ。

「あのー」

 おそらく割り込みと思われたのだろう、男性職員が迷惑そうに眉根を顰めた。自分でもこんな忙しいときに列の横から声をかけられたら同じ顔をする自信がある。責められはしない。

「中央の職員と連絡取りたいんで、映像通話お借りしても?」

 男性職員はあっとなり、一瞬申し訳なさそうな顔をすると「どうぞ、そちらです」と奥を指した。壁際に二機、少々古びた大きな機械が置かれている。幸い誰かが使っている様子はない。

 チサトは気にしていませんよという意味を込めて会釈を返し、急ぎ機械に駆け込んだ。

 映像通話装置は、ギルドの開発部が作り上げた装置の一つだ。本部に大元の機械があり、そこから発せられている目には見えない情報をこの支部にある機械が受信すると、遠く離れた本部との映像通話が可能になる、らしい。チサトも難しいことはよくわかっていない。

 機械の電源を入れ、本部指定の番号を入力すると担当官がその呼び出しに応じてくれる仕組みだ。昔はこんなに便利じゃなかったなぁとしみじみ思う。その比べている昔は20年以上も前の話だが。

 映像画面が「Loading…」という文字を映し出すのを眺めていると、不意に映像が繋がり画面に一人の女性職員が映り込んだ。

『お待たせ致しました。ハンター担当職員のユノ=キサラギです』

「よっ、ユノちゃん元気?」

『チサトさん。先日の使徒戦以来ですね。映像通話ということは近くの集落まで来ているということですかね』

「さすが、そのとおり」

『しかし近くに滞在しているにも関わらずわざわざ連絡を頂いたということは、何か不測の事態が起きたということでしょうか』

「察しがよくて助かる。実はね……」

 ユノはチサトからイーニス出現の話を聞くや否や、手元にある両手ほどの四角い端末をいじり出した。

『なるほど。それは災難でしたね。そういうことでしたらすぐにそちらのミクロス支部へ、チサトさんの滞在申請とハンター登録の申請を出しておきます』

「相変わらず仕事が早い。ユノちゃんが担当官でよかったよ」

『何言ってるんですか。こうしたほうがいいってチサトさんが教えてくれたんですよ。他人事みたいに』

「教えてもできない人はいるんだよ」

『そうかもしれませんけど。しかしイーニスとなると長期滞在も否めませんね。きっと神様がたくさん頑張ったチサトさんに、休んでいけって言ってくれてるんですよ』

「それで数ヶ月ここにいろって? 体鈍るって」

『何言ってるんですか。教官になったら前線で戦うことはなくなるんですから、それくらいでいいんですよ』

「あぁ、うん」

『――よし、長期滞在申請とハンター登録の申請を今そちらの支部に宛てて発行しました。職員にハンターカードを見せればすぐに手続きできると思います。休息と思ってのんびりしてください。あ、そちらの依頼を受ける場合はご自由に。チサトさんにはちょっと物足りないかもしれませんけど』

「何言ってんの。どこも死地なのは変わらないの。油断すればリュコスにだってやられる」

『すみません、基礎を忘れたらいけませんね。イーニスについてはこちらでも様子を見てみます。動きがあればすぐに連絡しますから、いつでも立てるようにはしておいてくださいね』

「うん、ありがとう」

『それと、まだ数日は討伐系の依頼は受けないでください。その間に武具の手入れを行うといいかもしれないですね』

「そうだね。そうしておく」

 こうしてユノとの会話を終えたチサトは一息ついて、先ほど話しかけた男性職員を振り返った。話しかけるのは少し気まずい気もしたのだが、もう一人の若い女性職員は申請手続きに手間取っているのかまだ人の波が引いていない。

 一方男性職員のほうは処理が早いのだろう、もう数人で手続きが終わろうとしている。女性職員に人が集まるのは若くて綺麗なほうに処理をしてもらいたいという心理が働いているからだと察する。

 男ってそういうところあるよなぁと思いつつ、チサトにはそんなことは関係ないので、さっさと手続きを終えてしまおうと男性職員の列に並んだ。

 チサトの番が来ると、男性職員はちらとチサトを見てやはり少し気まずげな様子を見せた。

「お待たせしました。ハンター担当職員のカガリ=シノノメです。本日はどういったご用件になりますか?」

「本部の担当官からこちらの支部宛に滞在申請と、ハンター登録申請の発行をしてもらったので、手続きをお願いします」

「かしこまりました。ただ今確認しますので、少々お待ちください」

 カガリはユノが手にしていた端末に似た、それでも少し使い古されているように見える端末を操作し始めた。

「……チサト=ミカゲさん、でよろしいですか?」

「はい、そうです」

「確かに発行されていますね。では手続きを行いますので、本人確認の為にハンターカードのご提示をお願いします」

 チサトはハンターカードを取り出しカガリに渡した。カガリが処理を済ませている間、チサトはなんとなく手持ち無沙汰でカガリの使用するテーブル周辺を眺めた。几帳面なのだろう、とても綺麗に整理されている。

 普段はあまり人が来ないからか、暇潰しと思われる本が少し離れた場所に置かれていた。随分と古びた本だ、背表紙に薄っすらとアテナという文字が見えている。子供に読み聞かせをしていた本とはまた別もののようだった。

「……お好きなんですか?」

「はい?」

「アテナ。置いてあるから」

 チサトが本を指すと、ああとカガリは処理をしながら頷いた。

「ええ、子供の頃から」

「あれは小説のほう? それとも伝記?」

「小説です。子供に読み聞かせるなら伝記よりも小説のほうがよかったんでしょう。……え」

「?」

 端末を見ていたカガリが突然声を上げた。

「Sランク……初めて見た。そうでした、黒帯のカードはSランクの証でしたね。全然視界に入ってなかった」

「ああ。数少ないですもんね」

「長年ここには勤めてきましたけど、まさか本当にいらっしゃるとは。あまりにお見かけしないので存在を怪しんでいました。声を上げてしまい申し訳ありません。お強いんですね」

「見えないですよね、思ったより歳いってるとか思いませんでした?」

「あ、ちょっと……いえ」

 カガリは言い淀み、咳払いをしながら眼鏡をかけ直した。

「いいんですよ別に。Sランクハンターってね、みんな結構いい歳なんですよ。今の一番上は確か70だったかな」

「そうなんですか」

「Sランクに挑む頃にはみんな30前半から後半になっちゃってるんですよね。本格的に活動し出す頃には大体40から40後半みたいな? アタシはまだ30前半でなったんで、歴だけ長いんですけど」

「ということは、約10年ほどSランクハンターを経験なさっているわけですね。きっと大変なことだろうと思います。……あ、ハンターカードはお返ししますね」

 差し出されたハンターカードにチサトは手を伸ばしたが、それは指先を掠め卓上に落ちた。すぐにチサトは何事もなかったかのようにそれを拾い上げ、「すみません。滑っちゃって」と言った。視線を上げた先でカガリと目が合う。

「? 何か?」

「……いえ」

 カガリは眼鏡を再びかけ直すと、少しばかり姿勢を正した。

「こちらでの手続きは完了しました。ようこそミクロスへ。どれほどの期間になるかはわかりませんが、あなたの滞在を歓迎します。ここを出ると目の前にサノという宿があります。ギルドの寄宿舎を兼ねていて、一階は食堂になっています」

「サノならさっき立ち寄らせてもらいました」

「ではご案内は不要ですね。中にいる赤い髪の女性、お会いしたかと思いますが、彼女はイオリと言って、私の妹になります」

「あ、妹さん」

 なんだかあまり似てないな、と思ったが、似てない兄妹は世の中たくさんいるかとすぐに気にもならなくなる。

「彼女に話をしていただければすぐに部屋に案内してもらえると思います。どうぞ道中の疲れを癒してください。以降の担当も引き続き私が行います。依頼を受注したい場合はお声がけください。他に何かお困りの際も同様に」

「わかりました。ご丁寧にありがとうございます」

 荷物を手にギルドを出ていくチサトの後ろ姿を、カガリは何か言いたげに見つめていた。

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