ファミリアに捧ぐ 10
ぼんやりとベッドの上で過ごす日々が数日続いた。
暇すぎてまともな思考ができないのもそうだが、母からの手紙に頭の整理が追いついていないというのもあった。
無意識に零すため息の数が両手では数え切れなくなった頃、チサトのもとに一人の来客があった。
「お、思ったより元気そうじゃん」
「嘘。ノエ!?」
チサトは起き上がりかけたがすぐに痛みでベッドに逆戻りした。
来訪者はなんとメシィの街を出てから一度も会うこと叶わなかったノエだった。
「またとんでもない傷作ったね」
「え、ノエなんで?」
「んー、まぁちょっとね」
ノエは近くの椅子を引っ張り出してくると、ベッド脇に腰掛けた。
「ついこの間まで中央にいてさ。そしたらハンターサジが戻ってきて、アンタがパーティ組んで大怪我したって聞いてね。そんな離れてなかったし、顔ぐらい見とこうかと思ってさ。伝えたいこともあったしね」
「そっか。ごめん、こんな状態で」
「いいよいいよ。それでしぶとく生き残ってんだから、アンタ運がいいよ」
「運がいいで片付けられるとちょっと納得いかない部分はあるけどね。あ、で、伝えたいことって? まさか結婚するとか?」
「ははっ、そんないい話じゃないよ。残念ながらね。アンタさ、訓練所でアタシたち、特にアンタにやたら突っかかってきたやつのこと覚えてる? ウェルサって言うやつ」
「ああ。あいつがどうかしたの?」
「……死んだよ。半月前に」
チサトは吸い込んだ息が止まるのを感じた。こんなにあっさりと、一時の時を過ごした人間の死を知らされるなんて思わなかったからだ。
「その時アタシが立ち寄った集落が丁度あいつの故郷だったらしくてさ。あいつ、Bランクに昇格したあとは故郷でハンターやってたみたいなんだよね。まぁ、そんな身の上話は今はいいか。あいつの最期の言葉、アンタに伝えたほうがいいと思ってさ。あ、別に愛だ恋だのなんて話じゃないからね、言っとくけど」
「ちょっと、やめて。変に笑うと傷に響く」
いたた、と背中をわざとらしく擦るチサトに「ごめんごめん」とノエは言った。
「あいつさ、子供を庇いながら魔物と戦って、隙突かれて首のところ思いっきりやられてね。それでも魔物は倒したって言うんだから、まさしく死んでも殺せっていう教官の教え貫いてるよね」
「……そう」
「で、あいつがベッドで瀕死になってるところにアタシが呼ばれてさ。あいつ、二つ心残りがあるって言ったんだ。なんでアタシに言ったのかわかんないけど、見知った顔に知ってもらいたかったのかもね」
「……それで?」
「うん。一つは、親より先に死ぬことへの謝罪と心配」
「……」
「もう一つは、アンタがSランクハンターになるのを見られないことだって」
「……え?」
「アンタ、あいつと一緒の基礎訓練だったでしょ。あいつ、アンタのことあれで結構見てたみたい。才能あるって思ってたんだよ」
「……」
「自分で才能があるってわかるやつに負けたくないって気持ちはわかるよ。あいつそれでアンタに突っかかってたんだよ。才能あるのに勉強を怠ってたアンタが許せなかったんだね」
チサトは言葉が出なかった。悪いやつじゃないとはわかっていたが、自分の才能を買ってくれていたなんて思わなかった。
「じゃ、伝えることは伝えたし、アタシもう行くよ。次は南のほうに行こうと思ってるんだ」
「……。ノエ、あのさ」
「うん?」
「……どうでもいい話していいかな」
チサトはポツポツと話し始めた。それは母からの手紙の内容だった。
最初は子供の身を案じる親の心配から始まるもので、しかしそれはすぐに本題に切り替わった。
とても簡素な内容で、集落が人の少なさ故に解体することになったから、中央への移住手続きをしてくれないかというものだった。
「アタシさ、故郷を守りたくてハンター目指したんだよね。昔ナーノスがたった一匹迷い込んだだけ大騒ぎになってさ。これじゃあ駄目だって思ったんだ。なのにその守りたいものがなくなって、これからどうしようかなぁって、今そんな気持ちだった」
「そっか……じゃあ、ハンター辞めるの?」
「今更この道以外で食ってけないよ。……アンタさ、昔っからアタシのこと才能あるって言ってくれてたじゃない?」
「うん」
「今でもそう思う?」
「思う」
揺るぎないノエの言葉はいっそ気持ちがいいほどだった。チサトは笑いたくなるのを堪えて、そっかと呟いた。
「じゃあ、目指してみようかな。Sランク」
「失くした目標の代わりに?」
「なんかそういうのないと続かないと思うんだよね。勉強だって必要だって思う前に、死にたくないから嫌でもしてるわけで。小さいきっかけでハンターになったならさ、小さい理由でSランク目指してもよくない? みんな才能あるって言ってくれるならさ。望まれた道に進むのもありだよね。それに、あのクソジジイ……ハンターサジと組んで自分がいかに弱いかもわかったし」
「じゃあ、アタシと競争だ」
「うん?」
「競争。どっちが先にSランクになるか」
「それまだ拘るんだ」
「一個の目標より二個の目標のほうがいいでしょ。もうすぐAランクの試験も近いし、そこからがまた長いからさ」
そう提案するノエに、チサトはかつて彼女が自分の勉強に付き合ってくれた頃のことを思い出した。
結局ここでもまた支えになってもらってしまうことになる。でも彼女がいてくれたから、自分はハンターという道を歩み出せたのだ。
そして今は亡きウェルサの言葉も、間違いなく背中を押してくれた。
「……よし、そうするか」
チサトはノエの提案に乗ることにした。
それからしばらく続いた談笑を、閉じられている扉の向こうでアサギが聞いていたが、その姿も間もなく消えていった。
少しもしてノエが去り、チサトも二月の療養とリハビリを経て、無事ハンターとしての生活に戻った。
経験と研鑽を重ねながら、一年後にやってきたAランクのハンター試験を、チサトは見事に一度で突破してみせた。
風の噂でノエも合格したことを知るが、会うことも、手紙を送ることもなかった。
そうして日々は過ぎゆき、瞬く間に更に七年の歳月が流れた。
その頃にもなると、チサトはギルド本部の中でも知らない者がいないほどの腕の立つハンターとして、名を連ねるようになっていた。
当然のようにSランクハンターへの道を期待されていた。その声に押し上げられるように、チサトはSランクに昇格する為の試験を受けることとなる。
本部が用意する筆記と実技試験の他、それまでの試験にはなかった職員との面談など、様々な過程を経て、チサトはSランク昇格に必須となる特定の魔物の討伐――猛毒蛇のヒュドラと相対した。
猛毒蛇ヒュドラは九つの頭を持ち、その一つ一つが別々の意思で行動し、そして強力な酸を含む猛毒を吐き出す。
昇格試験だというのに内容はまるで死地にでも向かうようだった。
ヒュドラ戦はまさしくあらゆる知識と経験を駆使しなければ乗り越えられなかった。
それまでガントレットを使用し続けていたチサトだったが、初めて予備武器として携帯していた短剣を使わざるを得なかった。
九つもある頭をただ殴り殺すだけではとにかく討伐するには邪魔だった。引きちぎるにも鱗と皮が分厚すぎてチサトの腕力では時間がかかりすぎたのだ。
まず一つ、猛攻を掻い潜り、一番左の頭を潰した。その際に飛び散る猛毒が何より危険だった。
頭が九つもあると最早背後に目を持っていると同じようなものだ。複雑に絡み合う頭の隙間を無理矢理抜ける。多少防具に毒を喰らおうが構わなかった。
これによって二つ目と三つ目の首を絡ませることに成功し、まとめて叩き潰した。ヒュドラが奇声を上げ、ますます激しく動き出した。
「っ、あっつ……!」
潰れた頭が振り回されて毒が飛び散った。チサトは避け切れず、毒が防具に大きく跳ね当たり、関節部の隙間から中に入り込んだ。
中に着ている肌着が凄まじい勢いで熱を持ち溶け始めた。皮膚が焼けるように熱い。だが防具を脱ぎ捨てる時間はない。多少の飛沫は覚悟の上だ。
チサトは短剣を引き抜くと潰れた頭の根本に深く突き刺し、力の限り引き裂いた。吹き出した血を浴びて、ガントレットも短剣も血濡れて動かしにくい。
だがそんなことに構っている暇もない。最初に潰した頭を渾身の力で引きちぎった。痛みに悲鳴を上げたヒュドラがチサトを振り落とそうと跳ね回った。
チサトは一度距離を取り、息を整えた。頭を一つ引きちぎるだけで腕力も体力も根こそぎ持っていかれた。
――今日中には無理かも。
ふーっ、と大きく深呼吸をしたチサトは短剣を握り締め直し、一気にヒュドラとの距離を詰めた。




