9.改めて婚約者の素晴らしさを思う
「その一週間後にバルリング公爵家に両親と一緒に招かれて気付いたら婚約していたのよ。まだ幼かったから婚約の意味をあまり理解していなかったけど、でもジークと婚約したのよと言われてとても嬉しかったわ」
「小さなころのアンネリーゼ様はさぞ可愛らしかったのでしょうね。バルリング公爵子息が見染めて婚約を申し込んでしまうくらいなのですもの」
「見初めた? そうなのかしら」
(見初めた……のかしら。クッキーを握り締めていた五歳児を? そういえばジークに婚約を決めた理由を聞いたことがなかったわ。今度会った時に聞いてみよう)
婚約して頻繁に会うようになったときは、まだ子供だったので婚約の重さを理解していなかった。ただ遊んでくれる優しいおにいちゃまとずっと一緒にいられると無邪気に喜んでいた気がする……。段々と大人になってからはジークハルトが紳士として自分をお姫様のように大切に扱ってくれるようになり、異性として意識するようになった。気付けば自然な流れで彼から好きだよとか愛しているよと好意を伝えてもらい、自分も同じ気持ちだと返していた。
一体いつ彼はアンネリーゼを好きになってくれたのだろう。自分の気持ちは少しずつ成長とともに育ったと思っていたが、思い返せば初めて会った時から好きだった気がする。クッキーが美味しいと優しい青空のような青い瞳が微笑んだ瞬間にきっと恋をしたのだ。
あの時に差し出したクッキーを戸惑いがちに食べる姿に胸の奥がきゅっとなったのを今でも覚えている。五歳で恋に落ちたなんてませているけど彼に出会えて幸せだと思う。
「モニカ様はどんな男性がタイプなのですか?」
カタリーナの質問にモニカは苦笑いをしながら手に持っていたティーカップをソーサに戻した。その一つ一つの動作が洗礼されている。無意識なのに素晴らしい。
「私? 理想はそれほどないのよ。定番だけど誠実で優しくて、でも譲れない条件が一つだけあるわ。“女だから”と“女のくせに”って言わない人かしら」
「ああ――」
アンネリーゼは思い当たることがあって思わず頬を押さえた。
「そんなことを言う男性がいるのですか?」
カタリーナがずいと身を乗り出してきた。さすがに妖精姫とまで言われている令嬢にはそんなことを言う男性はいなかったようだ。
「学園にいるときによく言われたの。主にテストの結果が張り出された時とかにね」
「私も在学中に耳にしたことがあるわ。優秀なモニカ様に嫉妬して言った言葉だと思うけどあまりにも幼稚だと思う。でも周りの言葉に左右されずに在学中、ずっと一番を維持出来ていたなんて本当にすごいわ」
成績は常にトップで卒業式も答辞を読んでいた。もちろん学科だけでなく淑女実技や乗馬なども素晴らしかった。ただ優秀過ぎて男性は劣等感を勝手に抱いていたようだ。自分がモニカに実力で劣るのを彼女を貶めることで自分を優位に見せようとしているように感じて不愉快だった。
「モニカ様はそれほど優秀だったのですね! 王宮で文官を目指せたのではないのですか?」
「目指した方がよかったかしらねえ。クラスにいた文官を目指す男子から、どうせ嫁に行くのに勉強ばかりして可愛げがなくなるぞ。女のくせに! って言われたの。アンネリーゼ様も常に十位以内にいて優秀だったから言われたのではない?」
「ええ。モニカ様ほどではないですけれど、時々心無い言葉を言われることもありましたわ」
「ええ!! アンネリーゼ様にまで?!」
「でも、私はいつも姉やジークが誇らしいと言ってくれたので他人の言葉はあまり気にならなかったわ」
この国では女性でも爵位を継げる。それなのに男性は女性が控えめであることを理想と考える傾向が強い。アンネリーゼも初めて男子生徒に「アンネリーゼ様は意外と小賢しいのですね。可愛げがありませんね」と言われた時はとてもショックだった。一生懸命努力した結果を踏み躙られたように感じた。帰宅して沈んでいるとマルティナが話を聞いてくれた。マルティナも成績優秀で同じような思いをしていたと教えてくれた。そしてそのようにしか考えられない人間が狭量でアンネリーゼが引け目を感じるようなことではないから胸を張りなさいと励ましてくれた。
マルティナからその話を聞いたジークハルトはその男子生徒の名前を教えてくれと低い声で聞いてきた。とても嫌な予感がしたのでそこは何とかはぐらかしたが、姉同様アンネリーゼが優秀であると褒めちぎってくれた。味方がいて認めてくれる人がいると思えば他人の言葉が気にならなくなった。
「両親も祖母も誇りに思ってくれていたし私も自信を持っていたわ。祖母は王妃様の教育係をしていたので、私の成績が悪くては祖母に恥をかかせてしまうという気持ちもあったの。そもそも上を目指して何が悪いのかしら。私に嫌味を言う暇があったら本の一冊でも読んで、もっと学べばいいのに。まあ、学園の中の出来事だから気にしないでいたのだけど、卒業しても気が強い女だという認識で風当たりが強くて……。お見合いの断り文句は“モニカ様には自分では不釣り合いなので”とか時には“男を差し置いて優秀さを誇示しようとする女は嫌だ”とはっきり言う人もいたわ。私自身はそんなつもりはないのだけど」
モニカは肩を竦め溜息をついた。
「それは酷いわ!」
「最低な男がいるのですね!」
モニカ様ほどの立派な淑女を貶めるなんてきっと自信のない男性なのだろう。なんだか怒りが湧いてくる。カタリーナは目を吊り上げ腹を立てている。
「でも、きっとモニカ様の素晴らしさを理解して下さる男性もいると思います。きっとまだ出会えていないだけですわ」
アンネリーゼは力強く言い切る。人との出会いは運だ。努力してきたモニカならきっとこれから良縁に出会えるはず。
「そうですよ。幼馴染が相手とは言えガサツな私が婚約出来たんですもの。モニカ様ならきっといい人と出会えますよ」
ガサツとまでは言わないが確かにカタリーナは見かけと違って大らかだった。見た目の雰囲気だけだと儚げな美少女なのだけど、思ったこともポンポン口にして細かいことにこだわらない性格だった。考え方も強気だ。反対にモニカはしっかりした印象だったが実はとても繊細な心の持ち主だと分かった。
「ふふふ。お二人とも優しいのね。今までは焦って手当たり次第にお見合いをして探したのがよくなかったのかもしれないわ。これからは慎重に探すことにするわね。ありがとう。何だかつまらない話になってしまったわね。楽しいお話しをしましょう」
「そうだわ。モニカ様。最近流行の髪型をご存じですか? 今の髪型も素敵ですけど少し硬く見えます。たまには気分転換に華やかにしてみませんか?」
「……私に似合うかしら?」
不安気なモニカに大丈夫と力強くカタリーナが請け負う。カタリーナから流行の髪型のアレンジや髪飾りを聞いてモニカとアンネリーゼは感心しきりだ。普段馴染んだ髪型ばかりだが冒険するのも悪くない。三人でどんな髪型がモニカに似合うか真剣に話し合った。そして次回会う時にはその髪型を見せてねと約束をしてお茶会はお開きになった。
アンネリーゼは夜、部屋で就寝の準備を終え昼間のお茶会を思い出していた。
「楽しかったなあ」
気の置けない友人と気さくにおしゃべりを楽しむのが考えていた以上に楽しかった。次も集まろうと約束をした。
(そうだ。明後日、ジークと会うからその時にモニカ様のお相手にいい人がいないか聞いてみよう。彼なら交友関係も広いから心当たりが一人くらいいるかもしれない)
モニカの話を思い出すと自分はジークハルトと出会い婚約出来て本当に運がよかったとしみじみ感じた。彼は自分の全てを受け入れ肯定してくれる。
(ジークに会いたい。早く明後日にならないかなあ)
アンネリーゼは幸せな気持ちで目を閉じた。