8.婚約者との出会い
「私とジークですか?」
「はい。お似合いの二人の馴れ初めがとても気になります」
カタリーナの瞳は興味津々だ。
「私も知りたいわ」
モニカの瞳は期待に輝いている。私たちの婚約に期待されるほどのことはなかったような気がするのだが……。
「きっかけは……そんなにロマンティックじゃないのよ。彼に初めて会ったのは子供の時。王宮で子供だけを集めたお茶会に行ってそこで偶然一緒に過ごしたのがきっかけだった。まだ私は五歳でマナーも教養もない子供で――――」
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アンネリーゼがジークハルトと初めて会ったのは王宮の子供を集めたお茶会の場だった。
アンネリーゼは五歳だったが他の出席している同じ年頃の子供に比べてはるかに礼儀など身についていなかった。まだそういった教育を受けていなかったのだ。高位貴族の子ならば淑女教育を始めていてもおかしくない頃だったのに恥ずかしい。
子供らしく無邪気と言えばそうなのだが、このお茶会は第二王子殿下を囲んでのもので野心のある親は子供に殿下に取り入るように言い含めていたようで、周りの子はそれなりの振る舞いをしていた。
アンネリーゼは両親から王子殿下と仲良くしろとか特に言われていなかったので、遊びに来た気持ちでお茶会に出席した。王妃様が第二王子殿下を伴い挨拶をすると子供たちは我先にと二人を囲み話しかけ始めた。これはこれでダメなやつだが子供なので距離の近づき方が下手なのだ。第二王子殿下の側には男の子のご学友数人も一緒にいたが、子供たちの目的は王子殿下のみだ。
アンネリーゼにとってその光景は他人事で興味はもっぱら目の前にある可愛らしい色と形をした沢山のクッキーだった。ディンケル侯爵家でもおやつのお菓子は美味しいが王宮のものはカラフルな色合いのクッキーがたくさんあった。目に楽しくわくわくしながら小さな手でそっと一枚取って口に入れる。
「おいしい~~」
小さな口に頬張りもぐもぐと食べる。これは全種類食べなければ! とせっせと口に運ぶ。一通り食べ終わるとポケットからハンカチを取り出し、クッキーを取り出して壊さないように包んだ。後ろで侍女が呆れた顔で見ていることにも気付いていなかった。
「おいしいから、おねえちゃまのおみやげにしよう!」
アンネリーゼは家にいる大好きな姉マルティナを思い出しお土産にしようと決めた。きっと喜んでもらえるとご満悦だ。
マルティナはディンケル侯爵の後継ぎだからと何人もの家庭教師が付き毎日勉強漬けだ。以前は自分と一緒に遊んでくれていたが今は食事の時くらいしか顔を合わせていない。いつも疲れた顔をしているマルティナが心配だったのでこのクッキーを渡して元気になってもらうのだ。
ちなみにこのお茶会は第二王子殿下のご学友たちの婚約者候補を探す為のお茶会だった。第二王子殿下は公になってはいないが隣国の王女殿下との縁談が内々で決まっていたらしい。なので周りにいる護衛騎士や侍女たちは子供たちを見守る体でその行動を報告するために監視していた。もちろん子供たちもアンネリーゼもそんなことは知らない。
アンネリーゼは第二王子殿下の方をちらりと見たが未だに子供たちが囲んでいてその姿は埋もれて見えない。じゃあ、自分は参加しなくてもいいかなと判断した。おやつを食べお腹いっぱいになったので散歩をしようと子供用の椅子から立ち上がった。この頃は恐れを知らないかなりの自由人だった。食い意地も張っていたが子供だったので許して欲しい。
トコトコと歩くと花壇が見える場所に来た。
目の前にはチューリップの蕾が広がっている。もうじき咲くのだろう。色とりどりのふっくらとまあるく膨らんだ蕾が何かを頬張っているような顔に見えて楽しくなった。そこに座り込み膝にクッキーを包んだハンカチを広げ一つ摘まんで口に運ぶ。お土産だけど一枚だけと言い訳をした。そよ風が吹いて蕾たちが左右にふわふわと揺れる。思わず楽しくなったアンネリーゼも蕾と一緒に揺れた。それがなんだか嬉しくて歌を歌い始めた。
「ららら~ららら~ら・ら・ら~♪」
しばらくそうしていると背後でガサリと音がして気配を感じた。歌うのをやめ振り返るとそこには男の子が立っていた。その男の子は金髪のサラサラの髪を揺らし青い目を真ん丸にして自分を見ていた。すごく綺麗な顔をした男の子だった。
「おにいちゃまはだあれ?」
思ったまま問いかけた。馴れ馴れしく話しかけているが、もし彼が王子様だったら不敬に問われたかもしれない。大きくなってから思い出す度に幼い自分が恐ろしく震えてしまう。
「私は、ジークハルト。君は?」
「アンネリーゼだよ」
「そう。アンネリーゼは花を見ているの? 一緒にいてもいいかな?」
アンネリーゼはコクンと頷く。横に座ったジークハルトにもクッキーを分けてあげようとハンカチを広げ一枚手に取り彼の口元に運んだ。だが、酷く困惑した顔でクッキーとアンネリーゼを見比べている。
「これを……くれるの?」
「おいしいからたべて! のこりはおねえちゃまのおみやげだからいちまいだけね」
自分のものでもないクッキーを我が物顔で勧める。この美味しさを分かち合いたい一心だった。ジークハルトは戸惑いながらも恐る恐るぱくりとクッキーを口に入れた。そしてサクサクとゆっくり咀嚼する。その顔をじっと観察する。呑み込んだのを見て確認する。
「ねっ! おいしいでしょう?」
まるで自分の手柄のように聞く。ジークハルトは青い瞳を優しく細めると控えめに頷いた。
「ああ、こんなおいしいお菓子初めて食べたな」
「えっ?!」
美味しいお菓子が初めて? 驚いて固まってしまった。確かにものすごく美味しいけど初めてなんて……。このおにいちゃまはお菓子を普段もらえないんだと思い悲しくなった。アンネリーゼはジークハルトの顔と残ったクッキーへ視線を往復させる。眉を寄せうーんと唸るともう一枚手に取りジークハルトの口元に運ぶ。
「はい。どうぞ!」
首を傾げるジークハルトにずいっと差し出す。
「いいの? お土産なんだろう?」
「そうだけどおにいちゃまがおいしいっていったからあげる。おねえちゃまのおみやげはまたテーブルにいってもらってくるからだいじょうぶなの」
勝手に追加のクッキーをもらって帰ることを決めてジークハルトに二枚目のクッキーを差し出す。美味しいものを食べれば幸せになれる。このおにいちゃまをもっと幸せにしてあげるのだ。困惑しながらもジークハルトは嬉しそうにアンネリーゼの手からクッキーを口に入れる。青い瞳が温かくきらめくのを感じて幼いながらに胸がきゅんとした。結局、ハンカチにあったクッキーの残り全部をジークハルトに食べさせた。きっと喉が渇いたはずだが彼は文句も言わずに食べていた。アンネリーゼは満足気にハンカチを畳んでいるとジークハルトが生真面目な顔でアンネリーゼに頭を下げた。
「ありがとう。アンネリーゼ」
「うん!」
ジークハルトは後ろに視線を向けると侍女がすぐに近寄って来た。いつから控えていたのか全く気付かなかった。彼は侍女に何かを言づける。侍女が立ち去るのを見届けると体を花壇に向けた。
「アンネリーゼ。一緒に花を見ていてもいい?」
コクリと頷く。しばらくの間二人は言葉もなく静かにチューリップの蕾を鑑賞した。そよ風が気持ち良くてなんとも穏やかな時間だった。
「バルリング公爵子息様。お時間です」
音もなく侍女が近づきジークハルトに戻るよう促す。その手にはピンク色の紙袋がある。それを受け取るとアンネリーゼに手渡す。
「これは君のお姉さんのお土産の分のクッキーだよ。馬車止めまで送っていこう」
侍女は何か言いたげな顔をしていたが結局は口を開くことなく頭を下げて二人を見送る。ジークハルトは優しい表情でアンネリーゼの手を取り馬車まで送ってくれた。青い瞳が青空のように澄んで見えて印象的だった。
「おにいちゃま。ありがとう」
「こちらこそありがとう。楽しかったよ。アンネリーゼ。また、会おうね」
「またあえる?」
「ああ、会えるよ」
「やくそくね!」
アンネリーゼは小さな手を精一杯振ってジークハルトと別れた。帰宅するとマルティナの部屋を真っ先に訪ねた。
「おねえちゃま。おみやげよ」
マルティナは疲れた顔をしていたがアンネリーゼの顔を見るなりぱあっと明るい表情になった。
「リーゼ。王宮のお茶会は楽しかった?」
「うん。くっきーがおいしくておにいちゃまとおはな、みたの」
「おにいちゃま?」
マルティナは少しだけ不思議そうに首を傾げたが無邪気なアンネリーゼの笑顔につられるように笑った。そして手渡された紙袋を覗くと口元を綻ばせて侍女にお茶を頼んだ。
「リーゼ。夕食前だけど少しだけ一緒に食べましょう」
そう言って侍女の用意した皿に盛りつける。
「とても綺麗なクッキーね。美味しそうだわ」
二人は両親に内緒でそのクッキーを食べた。アンネリーゼは王宮で見たものを一生懸命マルティナに説明した。マルティナはうんうんとそれを聞いてくれたのだった。