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2.私の愛しい婚約者

「ジークハルト様。どうか私のことはカタリーナとお呼びくださいませ」


 ジークハルトは身の程知らずの自信過剰な小娘の言葉には返事をしなかった。


「……。リーゼ、少しだけ外すが、マルティナとヴァルターの側にいてくれ」


「分かったわ」


 アンネリーゼに柔らかい表情でそう言うとカタリーナを一瞥する。そのときすでにジークハルトの顔からは一切の感情が消えていた。あくまでも自分としては仕事上の付き合いから一曲だけダンスを引き受けた。カペル伯爵に恥をかかせないように配慮したが不本意極まりない。

 

 ジークハルトはその見目麗しさから人気があり婚約者がいてもダンスを熱望する令嬢が多い。本心ではアンネリーゼ以外の手に触れるのも嫌だ。だが社交の一環だと割り切り一度だけは踊ることにしているが二度目は絶対に手を取らない。というかジークハルトを恐れもう一度踊りたいと言い出す令嬢は今のところいなかった。空気を読めることは貴族社会を生きる上で大切なことだ。自分はすでに公爵家当主としてのほとんどの権限を譲り受けている。見誤れば次期公爵であるジークハルトを怒らせ没落一直線なのだ。ただアンネリーゼと結婚したら義理でも他の女性と踊るつもりはない。今だけだと自分に言い聞かせている。


 ホールに入り曲に合わせてリードをしてステップを踏む。カタリーナはジークハルトの放つ冷ややかな空気に気付かず、高揚し頬を染めてキラキラと瞳を潤ませ一身に自分を見つめている。このダンスをきっかけに新たな進展を期待しているのだろう。

 

 彼女が自分に思いを寄せているのは知っているが迷惑だ。カタリーナは確かに世間一般的に美しい。ただジークハルトの興味を引くことはない。なぜならこの世で一番美しいのはアンネリーゼだからだ。カタリーナは普段から周りにちやほやされて自分こそが一番美しいと勘違いしている。ジークハルトが自分の思いに応えてくれると勝手に信じているようだ。愛想笑いも浮かべない男に愛されていると思い込めるとはおめでたい。妄想も甚だしいことだ。

 カタリーナを見れば小さな唇をおずおずと開きジークハルトに切なげに訴えた。


「ジークハルト様。可哀そうなジークハルト様。アンネリーゼ様の我儘で婚約されたのでしょう? それは悲しいことですわ。私、あなたの力になりたい。側でお支えしたいと思っているのです。ずっと……お慕いしていました」


 アンネリーゼとの婚約はジークハルトが熱望したものだ。それが社交界ではアンネリーゼの我儘で決まったものだと噂されている。一部の女性たちがやっかみで出鱈目な話を流しているようだ。ちなみにその女性たちの名前は把握済みで心の中にある制裁リストの上段に記されている。まだ手を下してはいないが…………。

 ジークハルトも直接問われれば正していたが、相手は勝手に意に沿わぬ婚約者に配慮していると思い込んで同情してくる。ちょっと考えればこの婚約には家の利益は関係ないことくらい分かるだろうに。ジークハルトの立場であれば婚約が嫌なら拒絶できる。それを何故理解できないのかとこちらが呆れるほどだ。


「はっ」


 ジークハルトはカタリーナを心の中で愚かな娘だと嘲笑った。僅かに口角が上がる。それをカタリーナは自分に向ける笑顔だと勘違いした。まともな人間であればそれが冷笑だと分かるはずだが恋する自信過剰な女は気付かない。だからその後の言葉がジークハルトを怒らせるなどと考えもつかなかったのだろう。


「アンネリーゼ様はジークハルト様には不釣り合いです。ジークハルト様を引き立てることはできますがそれだけです。でも私は――」


 引き立てるだと。この女の目は腐っている。アンネリーゼは自ら輝きを放つ存在なのに。


「黙れ。うるさい女だ」


 一瞬にしてピリピリした空気になる。カタリーナは何を言われたのか理解できなかったようで目をパチパチと瞬く。ジークハルトがそんな言葉を使うはずがないと思っているのだろう。


「お恥ずかしながら私は妖精姫と言われています。ジークハルト様の隣に並んでも恥をかかせることはありませんわ」


 なおも続ける言葉に嘲笑する。本当に恥ずかしいなら言わないはずだ。自信満々に自分を妖精姫と言う面の厚さの自覚がないのだろう。父親のカペル伯爵も娘の自慢話をよくジークハルトにしていた。自分に取り入りバルリング公爵家の縁戚になろうと明らかな野心を含ませた言葉を今までは無視してきたが、この女は目の前で愛するアンネリーゼを侮辱した。許すつもりはない。


「私はお前が隣にいたら恥ずかしくて夜会になど顔は出せぬ。その心根で妖精姫だと? 笑わせるな。お前がリーゼに勝っているところなど一つもない。彼女以上に美しい女性などいない。クリーム色の髪も琥珀色の瞳も尊く愛らしい。さらに博識で知性もあり未来の公爵夫人としての研鑽を積んでくれている。努力家で驕ったところもない。素晴らしい淑女の上に穏やで清らかな心を持っている。まさに天使だ」


「えっ??」


 ジークハルトの心にはいつだって清らか妖精もしくは天使が住んでいる。その名はアンネリーゼ。


「だいたい、私はお前に名前を呼ぶ許可をしていない。どういうつもりだ?」


「あ……あ……」


 カタリーナは真っ青な顔で体を震わせている。それでもダンスを続けられるのはさすが貴族令嬢と言ったところか。だが驕った考えのせいで最悪の状況に陥っている。さて、彼女は挽回できるだけの頭あるのか、それとも没落一直線の道へ進んでいくのか。


「あ、あ、あ、あ、あ、あ、……も、も、も、も、も、もうしわけご、ざい、ま、せん……」


 顔はすでに土色になって涙目だ。顔からは見苦しいほど汗が噴き出ている。とっさの謝罪にジークハルトは一度だけチャンスをやることにした。怒りのままに片っ端から有無を言わせず令嬢(害虫)を片付けていたらきりがない。


「カペル伯爵令嬢。今回だけは見逃そう。だが、今後私やリーゼに不快を与えれば……」


 ジークハルトは鋭利な眼差しで「分かっているな?」と告げる。


「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます!! 本当に申し訳ございませんでした。ち、ち、ち、ち、父にもよく言っておきますので、ど、ど、どうかお許しくださいませ。たった今、己の立場を自覚しました。以後ご不快にさせないと誓います!!」


 カタリーナはチヤホヤされるだけの女ではなかったようだ。瞬時に自分の判断ミスを理解した。ジークハルトは片方の口角を僅かに上げた。彼女はギリギリで制裁リスト入りを免れたのだ。


「分を弁えることはいいことだ」


 カタリーナは「はいぃぃ」と震える声で返事をした。

 ジークハルトは鷹揚に頷く。カタリーナとのダンスを終えると紳士らしく伯爵のもとに彼女を帰す。公爵家嫡男としての体面は一応守っている。

 そして愛する婚約者の元へ足を向けるとアンネリーゼは顔に少し不安を滲ませつつも控えめに自分に微笑む。なんて健気で愛らしいのか。一瞬でも不安にさせたことを申し訳なく思いつつも、彼女の愛情を感じ体には喜びが駆け巡る。ジークハルトの表情も自然と柔らかくなる。彼女の顔を見ればいつだって心が浄化されていく。


 カタリーナのような令嬢は多く辟易するが今のところ暴走するような女がいないのは双方にとって幸いだろう。邪魔者を片付けること自体は容易いが、無駄な労力を使いたくないので出来る限り穏便に片づけたいと思っている。現在夜会の度にやむを得ず受けている令嬢とのダンスは、ジークハルトにとって害虫駆除の一環だった。




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