16.閑話 友人のために
ローレンツはその美しい容姿に相応しい微笑をイルメラに向け、柔らかい声で相槌を打っていたが心の中では「面倒くさ!」と思っていた。イルメラに気付かれないように離れたところにいるジークハルトの様子を確認すれば相変わらず表情のない顔だ。アンネリーゼを見る時だけ目元が優しくなり口の端が上がる。なんとも器用なことだ。ローレンツは昨夜、ジークハルトと話をした。
「ローレンツ。迷惑をかけてすまない。だがこれ以上は必要ない。お前の評判が悪くなる。あのくらいの令嬢なら適当にあしらえる。それとも私はそんなに頼りないか?」
ローレンツは苦笑いを零す。相変わらず人を頼らない男だ。それは彼の美点であるが欠点でもあるし友人としては物足りない。
何とも思っていない奴を利用することにはためらいを見せないのに、一度懐に入れた人間は大切にするし迷惑をかけまいとする。友人なら持ちつ持たれつなのだが早くそれを学んで欲しい。それにローレンツはジークハルトに借りがあるのでそれを返したい思いもある。更に彼の婚約者アンネリーゼに力になると約束をしているのだ。
「そうじゃない。お前を弱いなんて思っていない。でもアンネリーゼちゃんから頼まれている。可愛いお嬢さんの願いは叶えないと男がすたる。それに陛下からも頼まれている。だから最後までフォローさせてくれ。それに俺のことなら心配ない」
「陛下から?」
「次期バルリング公爵にたかる余計な虫を排除せよとのことだ。大丈夫。俺に任せておけ」
イルメラの存在はジークハルトが考える以上に厄介だ。現在国賓として迎えている彼女の機嫌は取っておいた方がいい。彼女は自国で自分が望んだ男に婚約者がいれば汚い手段を使って別れさせていた。そのくせいざ手に入れると興味を失くす。自国では誰も咎めない。王が可愛がっていることが大きいからだ。ビュルス公爵家現当主は彼女の兄だ。両親や国王はイルメラに甘いようだが兄は煙たがっている。存在自体が家の足を引っ張っているのだからその気持ちはよく分かる。
イルメラの兄である現ビュルス公爵当主は厄介者の妹を我が国に押し付け嫁がせたいのだ。その相手がジークハルトであればダイヤモンド鉱山のことと併せて都合がいい。
イルメラの行動が看過しえない時には陛下がエーレルト王国に抗議をするつもりでいるが出来る限り大事にしたくない。イルメラ自身の考えでジークハルトを諦めて帰国してもらいたいと思っている。付け入る隙を与えないために私たちに動けとの仰せだ。
だからアンネリーゼに頼まれなくても対策は講じるつもりだった。友人としてはジークハルト自身から手を貸して欲しいと言って欲しかった。まあ、難しいのは分かっている。
ローレンツがジークハルトに初めて会ったのは子供の頃だ。お互いに第二王子の友人として集められた。
子供ながらに表情がなさ過ぎてなんだか気持ち悪いと感じた。何を見てもその青い瞳はガラス玉のようで温度がなく冷ややかだ。後日、親から彼の育った環境の事情を聞いて唖然とした。そして物凄く腹が立った。「なんだよ、それ!!」
ローレンツは両親にも祖父母にも愛されて育った。孫を可愛がらないおばあちゃんがいるなど信じられない。
一緒に過ごして気付いたがジークハルトは教えれば何でもこなすほど優秀なのに達成感を理解しない。出来て当然で誉められたことがなかったのだ。努力しそれが実ることを嬉しいことだと認識できない。そんな彼が悲しいと思った。だからローレンツを含む第二王子たちはジークハルトを構い倒した。ジークハルトの笑ったところが見てみたい。怒ったところでもいい。構うようになってから少しだけ変化があった。眉を寄せ困惑する表情を見せる。だけどまだまだだ。そんな友人たちの努力を小さな女の子はあっさりとひっくり返した。
彼は小さなアンネリーゼと出会い変わっていった。それを周りはそっと見守る。ジークハルトはよほどアンネリーゼを愛しているようで歳を重ねるごとに執着が深くなり嫉妬が重い。おかげでなかなか正式に紹介してもらえず何年も待った。夜会で見かけるアンネリーゼは可愛い系でおっとりした穏やかな印象だ。でも人は見かけ通りとは限らない。清純そうな女性が浮気性だったこともある。だからローレンツはジークハルトには内緒で彼女を試してみた。
「一昨日来やがれですわ!」
彼女はローレンツがジークハルトを裏切ったと思って激怒した。アンネリーゼはいい意味で見かけと違う。彼女もまたジークハルトを心から愛しているのだ。
(よかった。彼女とならジークはきっと幸せになれる)
国王からの依頼がなくてもジークハルトとアンネリーゼの邪魔をするものを許すつもりはない。そのために早速動いた。
方法は単純でイルメラをジークハルトとアンネリーゼに極力接触させない。あの女ならアンネリーゼから嫌がらせを受けたとか言いがかりを付けそうだし、実際に夜、ジークハルトの部屋に忍び込もうとしていたところを見つけている。既成事実を作ろうとしたのだ。実際は未遂でも可能性があったと周りに誤解されればやっかいなことになる。事実があったかどうかよりその可能性があったということが問題になる。
イルメラにとって残念だろうがバルリング公爵夫妻も使用人も鉄壁の守りを固めている。ジークハルトは守られる立場に居心地の悪さを感じているが、気にする必要はない。利用できるものは何でも利用すればいい。アンネリーゼのように。無邪気な天使のような顔でなかなか強かなところがある。彼女ならジークハルトを任せられるしバルリング公爵家は安泰だ。
それにしてもつくづくイルメラとの会話はつまらなくて飽きる。ドレス、宝石のことばかり。しかも同じ自慢話を何度も聞かされる。周りは飽き飽きしているのに本人は飽きないのが不思議だ。それに気づかないのもまた凄い。うんざりしていることを表情に出せばイルメラはすぐに不機嫌になる。
「さすが、イルメラ様ほど美しくなければこのドレスは着こなせないでしょう」
派手過ぎて下品に見えるドレスがあんたにはお似合いだ。気付けばローレンツは同じ誉め言葉を繰り返している。あまり褒めるところがないので仕方がない。
「ふふ。私もそう思うわ」
「見事な宝石ですね」
「ええ、何カ国も旅行に行ってようやく探し当てたお気に入りなのよ」
脳みそがホイップクリームで出来ているのか? と問いたい。甘くてすぐに溶けてなくなる。空っぽの頭の中には常識や配慮、謙遜などは存在しないのだろう。ローレンツはあらかじめ集めておいた取り巻き役の友人たちに目配せをした。
「イルメラ様。少々失礼します」
「あら、すぐに戻ってきてくださいね」
ローレンツは黙って軽く微笑んで誤魔化した。友人たちには悪いが少しだけ休憩したい。もう、イルメラの元には戻りたくない……。ジークハルトには任せておけと言ったがやめたい。香水はくさ過ぎて鼻が曲がりそうだし、話の内容はいつも同じ。いろいろな女性と付き合ってきたがこれほどつまらない人は初めてだった。少しだけ息抜きをするためにその場を離れ休憩室へと向かう。通路を進むと女性の嫌がるか細い声が聞こえて来た。
「やめて。離して下さい。誰か……」
「誰も来ないさ。みんな夜会を楽しんでいる。そんなに怯えなくてもいいだろう? 少し話をするだけだ」
目の前に厄介ごとが現れた。デビューして間もない令嬢に言い寄る既婚者。見ぬ振りも出来ないと大きな溜息をつく。
「マイネッケ伯爵。なにをしているのです?」
「チッ! これはヘルモント侯爵子息。私はただ具合の悪いご令嬢を介抱しようと思いまして」
舌打ちが聞こえた。取り繕うように笑みを浮かべるが欲に塗れたその顔は醜悪だ。確かこの男は恐妻家で有名だ。婿養子だから立場も弱い。きっと気晴らしに無垢な令嬢に手を出そうと考えたのだ。令嬢の顔は真っ青で今にも泣き出だしそうだ。震えながら救いを求めるようにローレンツに視線を送る。恐怖のあまりに声も出せないようだ。可哀そうに。この男クズだな。
「それならば私が彼女のご家族へ連絡しましょう。むやみに休憩室など連れて行けばいらぬ噂が立ちます。奥方の耳に入ってもよろしいのですか?」
マイネッケ伯爵は口元を歪めローレンツを睨むがこの男など全く怖くない。優男扱いされるがそれなりに剣術を嗜んでいるので腹の出たおっさんくらい追い払える実力はある。
「……ではお願いしよう……」
ギリギリと歯ぎしりが聞こえそうな顔で令嬢をローレンツに預けた。伯爵は早歩きでその場を去った。令嬢はよろよろと崩れ落ちる。安心して気が抜けたようだ。
「ご令嬢。大丈夫ですか? お名前を伺っても? ご家族に連絡しましょう」
「うっ……っ……」
令嬢はしゃがみ込んでぽろぽろと涙を零す。しゃくりあげて返事が出来そうもない。さて困った。ちなみに名前の前に「軽薄な」「女たらし」と枕詞を付けられるローレンツであるが女性だからといって誰構わず手を出す訳ではない。弱っている令嬢を口説くような鬼畜でもないので、早々にこの令嬢を預けようと辺りを見渡すが使用人は見当たらない。するとヒールの音が聞こえてきた。誰かが来たようだ。手を借りたい。
「まあ! ヘルモント侯爵子息。その手を離しなさい。か弱い令嬢に無体など許しませんわよ!」
軽薄男に泣いている令嬢、そう見えるのも仕方がないとは思うが人助けをしたのに罪人扱いされるのは不愉快だ。彼女は確か……。
「ダウム子爵令嬢。誤解です。私はただ倒れていた令嬢を介抱しただけで――」
マイネッケ伯爵に手を出されそうになっていた所を助けたといえば納得するかもしれないが(あの男は評判が悪い)、もしその話が噂になればこの令嬢が傷つくと思いそれは言わなかったが誤解が加速しただけだった。
「たいてい男性はそう言い訳しますわね。あなたのせいで具合が悪くなったのではないの? さあ、その手を離して下さい」
確かにマイネッケ伯爵もそう言っていたな……。それにしてもダウム子爵令嬢は辛辣だ。もう、いいや。
「いや、本当に――。あ――面倒だ。誰か使用人を呼んできます。それまで彼女に付き添って頂けますか?」
「えっ? ええ」
モニカは怪訝そうにローレンツを見た。疑いは全く晴れていないようだが泣いている令嬢の救助を優先するべきだと思ったのだろう。頷くとハンカチを取り出し令嬢の涙を拭い話しかけている。彼女なら任せて大丈夫そうだ。
ローレンツはホールへと戻り護衛をしている騎士と従者にモニカのもとに行くように伝える。
モニカは才媛と言われ気位も高いらしい。直接会話をしたのは今が初めてだが確かに気が強そうだ。正義感から令嬢を助けに入ったのはいいが自分がまきこまれる可能性を考えていないところが迂闊だ。自分に自信がある女性は隙が出来る。気を付けろと忠告すべきかと思ったが、不埒者扱いされたので余計なことは言わないことにした。
今の印象だと噂通り男性たちから可愛げがないと敬遠されるのも納得だ。それでも女性からはそれなりに慕われていると聞く。まあ、もう話をする機会はないだろう。いつもは髪をきつく編み込んでいるが今日はふわふわした印象だった。せっかく可愛くしていたのだから笑っていればいいのに。
ああ、それよりも余計な時間を食ってしまったせいで休憩をしそこなった。そろそろイルメラがイライラしそうな頃だ。なんとかジークハルトから気を逸らそうとしてはいるがまだ諦めていないので戻った方がいいだろう。給仕からワインをもらい一気に煽ると溜息をついてイルメラの元へと向かった。
ローレンツの犠牲は実を結び、夜会では無事にジークハルトを守り切り大きなトラブルもなかった。
イルメラがカペル伯爵令嬢カタリーナを見てものすごい形相で睨んでいたが、妖精姫と称えられ多くの男性にダンスを申し込まれているのが気に食わなかったようだ。自分を差し置いてと思っているのがよく分かる。カタリーナは先日婚約したらしく全てのダンスの誘いを断っていたのでそれも面白くなかったのだろう。
そんなに大勢に愛されたいものなのか。理解しがたい。ローレンツはたった一人でいいと思う。ジークハルトがアンネリーゼに向ける一途な思いを眩しくも羨ましいと思う。いつか自分もそんな出会いがあるのだろうか。ローレンツは口元に自嘲を浮かべ首を振った。
「俺には無理だろうな」
イルメラの帰国予定は一週間後、お守りももうじき終わる。彼女の相手は最初で最後であって欲しいと切に願った。