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10.回想

「ジークは私をいつ好きになってくれたの?」


 婚約者が期待に目を輝かせ可愛らしく首をかしげて問いかけて来た。

 アンネリーゼは先日友人となった令嬢たちとお茶会を開いた。それが余程楽しかったのだろう。その報告を一通り聞いたあとに居住まいを正したのでどうしたのかと思ったらその質問だった。

 ジークハルトは口元を綻ばせた。


「覚えているかな? 昔、リーゼが私にクッキーをくれた時だよ」


 私が天使と出会った瞬間だ。アンネリーゼは目を丸くした後、破顔してはしゃぐように手を打った。


「それならば私たちは同じ瞬間に好き同士になったのね! すごい運だわ。私、ジークと出会えて幸せ!」


 無邪気に喜ぶアンネリーゼが愛おしい。だけど、アンネリーゼに会えたジークハルトのほうこそが幸運だった。もし彼女に会えなかったらきっと自分は喜びも悲しみも感じない人生を送っていたはずだから。ジークハルトは愛しい婚約者の笑顔を見ながら出会った時のことを思い出していた。




 ******




 ジークハルトは公爵家の嫡男として年の近い第二王子の友人枠に収まっていた。アンネリーゼと初めて会ったのは九歳の時。自分を愛してくれる両親、恵まれた生活に高位貴族という身分を持っている。見目も良く頭も悪くない。何もかも持っているのに、その実何も持っていない。

 自分の中は空っぽだった。欲しいものがない。感動したこともない。感情が動かないのだ。生きる目的が分からない。ああ、それは家を継ぐためか。喜びも悲しみも理解できない、無機質な心を持っていた。


 元々の性質もあったかもしれないが、そうなった原因はジークハルトを五歳まで育てた祖母だ。


 ジークハルトの父親アロイスはバルリング公爵当主として他国との共同事業の責任者をしていた。それは国を挙げての大規模な何年にも渡る事業で一年の殆どを国外で過ごしていた。そんな時、妻のヘルミーナが身ごもり出産した。それがジークハルトだ。ジークハルトは早産で生まれて来たので体が小さくまた病弱だった。まだ仕事が完全に軌道に乗っていなかった父は国内にいることが出来ない。ヘルミーナとジークハルトを残していくつもりでいたが祖母が育てると言い出した。

 祖父と祖母は政略結婚だった。祖母は息子のアロイスを全く可愛がらなかったので親子関係は最悪だった。その祖母の言葉に父は迷いつつも密かに喜びを感じた。


「外交も兼ねているのに妻が帯同しないのはよろしくないでしょう? 乳母や使用人は充分につけるから心配はないわ。私はアロイスに何もしてやれなかった分ジークハルトにしてやりたいわ」


「母上……」


 アロイスは何度も母親との関係改善に心を砕いたが上手くいかず諦めていた。それがジークハルトが生まれたことで母が歩み寄ってくれたと期待した。ヘルミーナは不安を口にしたがアロイスは母を信じジークハルトを託し仕事のために妻と出国した。後にアロイスはこの決断を死ぬほど後悔し今に至っても祖母を許していない。父も母もジークハルトに贖罪の気持ちを抱き続けている。


 実のところ祖母は孫可愛さに申し出たのではない。自分の幸せを奪った亡き祖父への復讐のつもりだったのだ。

 没落寸前の伯爵令嬢だった祖母ヒルデカルトには思う相手がいた。他国から留学してきた公爵子息だった。祖母は彼と両想いだと信じた。それには理由がある。彼は初心な少女の望みの通りに振る舞って恋人ごっこをしていた。ヒルデカルトはそれは見抜けない。自分が揶揄われていることも知らずにうっとりと彼の言葉に酔った。


「ヒルダ。帰国したら君を妻にするための準備を整えて迎えに来るよ」


 ヒルデカルトはその言葉に縋りその日が来ることを願った。だが、全部でたらめだ。彼には婚約者がいた。自国の身分があり美しく財産を持つ家の娘。平凡な容姿の没落令嬢などと結婚するつもりなど微塵もない。だがヒルデカルトは彼が自分を救う王子様だと信じていた。


 ヒルデカルトは没落し平民として暮らした方がきっと幸せだったろう。運がいいのか悪いのか何もない伯爵家の領地からダイヤモンドが発掘された。だが没落寸前の伯爵家では採掘するための手段を講じる金も人もない。そこに群がるのは私利私欲を持つものばかりだ。当時の国王は密かに調査させダイヤモンドの埋蔵量は膨大だと知る。この鉱山の権利が愚かな貴族や他国の人間に渡ってはまずいと判断した。

 だからといって王家で取り上げては外聞が悪い。そこで白羽の矢が立ったのが祖父だ。王家の忠臣であるバルリンガル公爵当主である祖父にヒルデカルトを娶ることを命じた。この婚姻によって鉱山の権利をバルリング公爵家が握る。伯爵家には子がヒルデカルトしかいないので、いずれ生まれた子に伯爵家を継がせることにして、一旦伯爵位と領地を公爵家が預かることになった。その間にダイヤモンド鉱山の発掘を進める。


 ヒルデカルトの父親は叶わぬ初恋に夢見る娘に政略結婚だと言えずに、公爵がお前を見初め決まった結婚だと告げた。愛されて嫁ぐと聞けば喜ぶと考えてのことだった。だが、ヒルデカルトはその言葉で祖父を恨んだ。一方的に見初められ好きでもない男と結婚することが許せない。だからといって公爵家に逆らえない。祖父のせいで愛する彼が自分を迎えに来ても一緒になれないと嘆いた。実際は迎えに来る準備などしていない。彼は自国に帰りヒルデカルトのことなど忘れてしまったのだから。


 これはヒルデカルトから見たものだが、事実は違う。若くしてバルリング公爵家を継いでいた祖父には婚約者がいた。それも長い婚約期間を経て思いを通わせ合った女性だ。しかし王命を出されてしまえば逆らえず、その女性と別れヒルデカルトを迎えた。祖父はヒルデカルトの父親の気持ちを汲み最後まで本当のことをヒルデカルトに言わなかった。だからヒルデカルトは今でも自分が被害者だと思っている。


 もし、伯爵家が没落寸前でなければ、もし父親の伯爵がダイヤモンド鉱山を上手く采配出来る人間であればこの婚姻は必要なかった。そう考えれば祖父こそ被害者だろう。愛する女性を諦め、望まぬ女性であっても誠意を尽くし受け入れた。だがヒルデカルトは祖父が亡くなった今でも一方的に恨んでいる。この結婚さえなければ初恋の公爵子息が自分を迎えに来てくれはずなのにと。優秀ではなかったヒルデカルトはバルリング公爵夫人としての生活に苦労はあっただろうが、それ以上に贅沢な暮らしをしていた。周りが気を遣い腫れ物に触れるように扱ったことで彼女の考えは増長した。


 その恨みを忘れることなく抱き続け、ジークハルトが生まれた時にその矛先を孫に向けることを決めた。ジークハルトは祖父と同じ髪色と瞳の色を持って生まれて来たからだ。


 アロイスに悟られないように息子夫婦のいる前では優しく振舞う。二人が出発するとジークハルト付きの乳母や侍女に言った。


「世話はしっかりしなさい。ですが必要以上に話しかける必要はありません。それと笑いかけることを禁じます」


 ヒルデカルトは祖父に似たジークハルトが幸せになることを許せなかった。使用人はヒルデカルトの意志を汲む。諫めるものも止める者もいなかった。アロイス不在の事実はヒルデカルトを思うがままに振る舞わせた。


 長期休暇で帰国をする両親はジークハルトの成長が遅いことを気にしていた。体は小さく生まれたがあっという間に平均的な子供の大きさに成長した。だが言葉を発するのが遅い。いや、言葉以上に子供らしい表情がないことが気になった。懇意の医師を呼び相談するが個人差があるから様子を見ましょうと言われる。ヘルミーナは息子が心配だから屋敷に残りたいと希望したが、そこはヒルデカルトが説得した。


「バルリング公爵家の嫁として夫を支えるべきではないのかしら? ジークハルトのことなら心配ありませんよ」


 ヘルミーナはそれ以上強く言えなかった。帰国の度にジークハルトと過ごす時間を作り様子を見ていたが、自国での仕事も夫婦ともに忙しく充分な時間が取れたとは言い難い。結局ヒルデカルトのしていることには気付かなかった。ヘルミーナは使用人や家庭教師に話を聞いたがみなヒルデカルトの意思を優先していたので不利になることは報告しなかった。アロイスは母を信じたい気持ちからそれ以上踏み込まなかった。


 そして五年の歳月が経ちようやく両親は帰国しジークハルトと暮らせることになった。

 子供が喜びそうな玩具などをたくさん持って、息子の喜ぶ顔を楽しみに帰国した。今まで一緒にいられなかった分、甘やかし可愛がろう。その時間の分、跡継ぎ教育が遅れてもいいと考えていた。


「ジーク。これからはずっと一緒だ。さあ、全部ジークの物だ。何か気に入るものはあるかな?」


 部屋いっぱいに置いたお土産は綺麗に包装されている。その箱を開けるように侍女に指示をし、アロイスはジークハルトの体の重さに満足しながら抱き上げ顔を覗き込み優しく問いかける。だけどジークハルトの表情は変わらない。美しいはずの青い瞳はくすんでいるように見える。興味を見せない息子に戸惑いながらヘルミーナも声をかけた。


「ジークは何が好き? 珍しいお菓子もいっぱいあるわよ」


「お菓子とはなんですか?」


 その言葉に笑顔だったヘルミーナは驚愕し動きを止めた。


「ジーク? お菓子を知らないの?」


「? はい」


 アロイスはジークハルトを降ろしヘルミーナに預けた。そして母親をじっと見つめる。


「母上。なぜジークはお菓子を知らないのですか? 五歳の子供なら欲しがるものでしょう」


 ヒルデカルトは口角を上げた。いやな表情だった。


「そのようなものは不要です。この子は次期バルリング公爵です。お菓子や玩具などの娯楽はいらないのです。食事はもちろん体にいいものを与えて、教育もきちんと施してきました。だから問題ありません」


 ヒルデカルトは澄まして言い切った。アロイスは信じられないと体を震わせた。


「教育……教育とはどんなことを? まだこの子は五歳だ。早すぎる!」


「もちろん公爵当主になる為の教育です。勉強はもちろんそれ以外にも。当然遊ぶことは許しませんよ。一番は誰にも侮られないように感情を出すことを禁じました。笑うことも怒ることも、です」


「ひどい!! なんてことを」


 この子はまだこんなに幼いのに……そう呟きヘルミーナはヒルデカルトを睨みつけた。悔し気に唇を噛み愛する息子を強く抱きしめた。


「ふざけるな!!」


 アロイスは激昂した。自分を愛さなかった母親がようやく心を添わせてくれたと思っていた。それはジークハルトを犠牲にする形で裏切られた。いや、違う。自分の甘さと弱さが息子を踏み躙ったのだ。アロイスはヒルデカルトの前に立つと腕を振り上げた。それでもギリギリで頬を打つことを堪えた。暴力は駄目だ。だがこの女が息子にしたことも暴力だ。それも酷い虐待だ。アロイスは荒ぶる呼吸を抑え手を握りしめ感情を制御した。そして低い声でヒルデカルトに言う。


「母上は領地で過ごされる方がよろしいでしょう。今すぐ出発して下さい」


「何ですって! 私を追い出すと言うの?」


「私はあなたを許さない!! 連れて行け!!」


 アロイスは自分の騎士に命じてヒルデカルトをそのまま馬車に押し込み領地に送った。そして屋敷の使用人を集め今までのことを全て話させた。母親の息のかかった人間を全員解雇した。それは屋敷の使用人全員を入れ替えることになった。


「ジーク、ジーク、ごめんなさい、ごめんなさい――」


 ヘルミーナがジークハルトを抱き締め泣きながら謝罪を繰り返す。アロイスは自分の罪の重さに息子に声を掛けることが出来なかった。

 ジークハルトは不思議そうな瞳と感情のない顔でただ両親を見ていた。両親が何に怒り悲しんでいるか理解できなかったのだ。


 父は祖母を領地に送った後、祖父との婚姻に至る真実を伝えているがヒルデカルトは信じなかった。自分こそが被害者だと主張している。彼女はまったく反省していなかった。






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