第一話 最高のスタート!!
天龍院アキラは典型的なヲタクだ。
勤め先のブラック企業に一日の大半を搾取される中、僅かに余った時間はストレス発散のためネトゲに費やし、当然、出会いなどあるはずもなく非モテライフを送る日々だ。
「天龍院テメェ!!!」
中川部長のダミ声がオフィスに響き渡る。
「資料作成一つにどれだけ時間かかってるんだ!!パワポ一枚だぞこの役立たず!」
パワハラは日常茶飯事だ。2週間前に指示された会議資料は、構想を練る間も与えられずに完成を要求される始末だ。月20万円ぽっちの薄給に見合わない仕事内容は、アキラのやる気を削ぎ、大勢の前で罵倒されたことでプライドがひどく傷つけられた。
「すみません、今考え中で...」
「ろくに仕事もできないお前でもと、資料の表紙だけ作らせてやろうと思ったが、ここまでとはな!!この穀潰しがぁ!!」
まともに指導もされていないのに、魔法のように仕事ができるようになるとでも思っているのだろうか。部長のがなり声にオフィス中から視線が寄せられる。
『天龍院さん、また叱られてるわよ。いつも遅くまで残ってるけど、仕事してるって感じじゃないから不思議よね〜』
『アイツ本当に何にも出来ないよな。まぁ、変に動かれても後始末が大変だけどな。ただ、同じ給料ってのがムカつくわ』
『あの人、いつも女子社員のこといやらしい目で見てくるから怖いのよね。女子トイレの近くによくたむろしてるし、何が目的なのかしら...』
ヒソヒソと陰口を交わす同僚達に嫌気がさす。俺の本当のポテンシャルを理解できない無能共と同じ空気を吸うのはストレスだ。
「今日という今日はもう許せん!お前は職務怠慢でクビだ!出ていけ!」
「なっ、部長!そんな...!横暴です!」
「何が横暴だ!これまで面倒を見てやっただけでも有り難く思え!荷物をまとめてとっとと失せろ」
まさかこの程度で解雇を言い渡されるとは思わなかったが、パワハラ野郎にまともな反論が通じるとも思えない。職場の無能どもは誰一人として庇ってはくれないし、出る杭は打たれるのが宿命なのか...
それが30分前の話だ。アキラはオフィス街の歩道から、黒煙と炎に包まれた元職場のビルを呆然と見上げていた。クビ宣告に肩を落とし、荷物を纏めてビルを出た直後、頭上から爆音が降ってきたのだ。
まさか...!あの所為じゃないよな...
頭をよぎったのは昼間の出来事だった。中川部長から、「せめて掃除でもして役に立て」と、給湯室の掃除を命じられたのだ。パワハラ野郎の嫌がらせには腹が立ったが、綺麗好きのアキラにとって掃除はそこまで苦ではなかったので引き受けることにした。
シンク下の用品を一旦全て外に出し、中をピカピカに拭きあげた。普段見えない部分こそ、気を配るべきなのだ。ガス栓の点検をしている頃には日が暮れ始めており、クビ宣告に呼び出されたのはその時だった。
確か、シンク下にあったスプレー缶やらフォークやらを、置き場所がなくて電子レンジの中に避難させていたような...。そういえば電子音もしていたが、レンジのタイマー予約が作動していたりしないよな...?点検中だったガス栓、ちゃんと閉めたっけ...?
不穏な考えを振り払い、窓から炎が立ち昇るオフィスに視線を戻した。原因は不明だが、この爆発で元職場の連中が生き延びたとは考えにくい。不意に笑みがこぼれた。自業自得なんだ、あいつら、有能な俺に嫉妬していつも馬鹿にしやがって。正義は最後に報われー...
ドクン!と心臓に絞り上げられるような感覚が走る。
「なん...だ、これ...」
普段からろくに運動もしないアキラにとって、半日ぶっ通しの掃除は心肺能力をはるかに超える負担となっていた。息ができない。体に力が入らない。白目を剥き、道路に倒れ込む中でアキラは走馬灯を見た。一度も女性と付き合う機会に恵まれなかった学生時代。Fラン大学を卒業し、就職がうまくいかなかった時に親戚のコネで今の会社に入ったこと。そのまま39歳になるまで勤める中、親戚の死去により会社での扱いが悪くなったこと。そして、不当なクビ宣告を受けた今日という日。
ろくな人生じゃなかっー...
刹那、猛スピードでどこからともなく現れた大型トラックが、アキラの体を撥ね飛ばした。瞬時に命の灯火は吹き消され、もはや肉人形となった体が回転しながら歩道へ飛んでいく。
同時刻、社会に憎悪を募らせた男が出刃包丁を携え街へ繰り出していた。俺を蔑ろにしたこの社会に、報復してやるのだ。誰でもいい、この憎しみを叩き込んでやる。包丁を取り出し、全方位に向けられた男の殺意は、頭上からの爆音によって途切れることとなった。この世の終わりの如く燃え盛るビルの一角に気を取られていると、前方で鈍い金属音がした。何だ!?と目を向けた先には物凄いスピードで飛んでくる物体。反射的に腕を伸ばし防御の姿勢を取った男の手には、まだ包丁が握られたままであった。刃先は物体を難なく貫き、辺り一面に朱い飛沫が舞った。
◆
「ーめよ...」
「ーー目覚めよ、彼の世界より召喚されし者よ」
声がする。慈悲に満ち溢れたその声は、神々しさを纏いアキラの意識へ直に語りかけてきた。
「目覚めよ」
一層強く響く声に、アキラは目を開いた。星、星。宝石を散りばめたような夜空が視界に飛び込んできた。
体を起こすと、自分はどこか丘の上に横たわっていたらしい、ということが分かった。
「一体どうなって...」
立ち上がって回りを見渡し、そして目を見張った。ここは、日本じゃない。いや、それどころか...
都会では殆ど見ることは叶わないであろう、眩く煌めく星空。その中で夜の大地を一際明るく照らす天体、月。アキラの目前にはそれが大小3つ浮かんでいた。
これが俺、天龍院アキラの物語の始まりだ。会社を追放された俺は、偶然か、はたまた元職場の無能どもの逆恨みの怨念か、不思議な導きによってこの異世界へと追放されたのだった。