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後継〜神皇帝新記 第二章  作者: れんおう
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『8』

『8』

 石造の小屋から現れた男の姿を認めると、ミーシャルールは軽く手を挙げ、にこやかな表情で近付いていった。その背を見ながらデルソフィアは、この男は大抵こうだな、などと思っていた。

 小屋前に立ったまま動く気配を見せない男は、僅かに怪訝な表情を浮かべているように見える。視線を落としていくと、右手甲に星紋が一つ浮かび上がっている。彼がフォーディン・カイレスなのだろうか。

 その前まで歩み寄り、半ば強引に握手を求めて、それを遂行したミーシャルールの次の言葉が解となった。

 「ご無沙汰してしまい、申し訳ない。フォーディンさん、私のことは覚えておられるかな?」

 フォーディンは半歩下がり、ミーシャルールを睨めた。

 どうやら覚えていないようだな、とデルソフィアが判断した時、「ああ、覚えているよ」と嗄れた声が響いた。

 「それは嬉しい。改めて、ランスオブ大聖堂のミーシャルール・ユウリです。あれからもう、かれこれ六、七年経ってしまっています。再会を約束しながら、長期に渡っての無沙汰をお許しいただきたい」ミーシャルールは頭を下げた。

 「構わぬよ。俺とは違って忙しい身であろうからな」淡々とした口調の中に棘を孕ませている。

 だが、ミーシャルールは気にする素振りを見せなかった。

 「何を仰いますか。フォーディンさんの方こそ、日々忙しく動き回ってるんじゃないですか?日に焼けた肌は精悍そのものだ」

 確かに、とデルソフィアは思った。フォーディンの年齢は六十代半ばだと聞いていたが、眼前の男は、とてもそうは見えない。十は若く見える。

 「ああ、これか」とフォーディンは自らの腕に視線を落とし、「無精な性格でな、そこら中に雑草が伸び放題だった。しばし時を用いて、それらを刈り取っていただけだよ」と説明した。

 デルソフィアは周囲を窺った。雑草の姿は無かった。しかし、刈り取った痕跡らしきものもまた無かった。

 「これだけ跡形も無く刈り取られるとは、やはりお元気そのものだ」ミーシャルールは、あっけらかんと言う。

 デルソフィアは、自身が気付いたことにミーシャルールが気付かぬわけがないと思った。ということは、何かを意図して話を進めているのだと推察した。

 フォーディンは、ふんと鼻を鳴らし、微かに口元を歪めた。「して、今日は?」と、来訪の目的を訊ねてきた。

 「いつもの世界見聞の一環ですよ」

 フォーディンはあからさまに嘆息した。「俺のところなどに来るより、世界には見るべきものが数多あるだろうに」

 「いえいえ、あなたに会いたかったんですよ。それを望む者もおりまして。ご紹介も含めて、今日は、ご挨拶に」そう言うとミーシャルールはデルソフィアの方を向き、手招きした。

 望む者とは俺か--と一瞬戸惑ったが、ブラウラグアとエルユウグの話に興味を持ったのは確かだ。それらを最もよく知る者がフォーディンであることも間違いのない事実であろう。

 デルソフィアは、フォーディンの前まで歩み寄った。フォーディンの背丈はデルソフィアとほとんど変わらない。だが、間近で相対して、フォーディンの纏う空気感の大きさに初めて気付かされた。

 修羅場も含め、無数の経験を積み重ねた者だけが、纏うことを許されたような空気感だった。これに似たものは、ユジ島のウルディング・ラーノにあった。つまり、フォーディンもウルディングの域に近い人物とも言える。そう、デルソフィアにとって大きな感謝と尊敬の念を禁じ得ないウルディングと。

 「知人の息子のデルです。世界を見聞するべく、今回から旅に同行させています」

 「そうか。ならば、尚更だろう」

 分からないな、というようにフォーディンは頭を左右に振った。

 「いえ。この者、ブラウラグアとエルユウグに強い興味を抱いています」

 再会を果たしてから初めて、ミーシャルールはブラウラグアとエルユウグの名を口にした。話の流れの中で、いつそれを切り出すのか、デルソフィアも気になっていた。フォーディンとエルユウグの関係性や、降りかかった一連の出来事を思えば、誰もが軽々には口にできないと考えたからだ。まさか自身が関わる話の中で、それが行われるとは思ってもおらず、思わず目を瞠り、ミーシャルールを見た。

 ミーシャルールは飄々と、常の姿を晒している。デルソフィアは、苦笑を押し隠すように一つ咳払いをした。

 「それは残念だったな。ブラウラグアはもとより、エルユウグとももう関わっておらんよ」フォーディンは淡々としていた。

 だがデルソフィアには、それが感情を精一杯押し殺している姿に見えた。それが証に、両の拳が握り締められている。

 「そうですか。では、昔話でも聞かせてやってください。興味を持つ者にとっては、どんな些細な話でも、そこに価値を見出せるものですから」

 「時が許せばな」

 フォーディンは、ミーシャルールともデルソフィアとも目を合わせなかった。

 おやっと、デルソフィアは思った。時の無さを言い訳にしている。先刻は、時を持て余しているような態だった。矛盾が生じている。それを垣間見せたフォーディンの中で、仮にウルディングの域にある尤物であっても、エルユウグに纏わる一連は、まだ整理がついていない事柄なのだ。

 それを悟ったデルソフィアがフォーディンへ送る視線に、僅かながらも好奇と憐憫が滲んだ。


 下山している途中に雨が降り始めた。山道は泥濘み、途端に歩きにくくなった。油断すると簡単に足を取られて滑るため、登りよりもさらに慎重に足を運んだ。足の運びに集中し、無言の時がしばらく続いたが、勾配が少し緩くなると、それも弛緩した。

 「ちょっと何を考えているか分かりづらい人だね。本音はほとんど見せていない感じ」列の最後尾にいたルネルが、フォーディンに対する印象を発した。

 登りとは逆で、タクーヌ、ミーシャルール、デルソフィア、ルネルの順になっている。その順序や言葉遣いからも、デルソフィアは自身に話しかけられているのだと判断した。

 「そうだな。エルユウグやブラウラグア、狩人の仕事に起きた一連に対して、思うところは色々とあるようだが、それらは隠している。また、他者に触れられることも厭悪しているようだ」

 「本当にもう、狩りはしてないのかな?」ルネルが疑問を呈した。デルソフィアも感じていた疑問だ。

 日焼けした精悍な姿は、陽の下にあったという証だ。草刈りが、その場凌ぎの方便であるならば、一体何をしていたのか。

 「狩りはしていないだろう」

 ルネルの疑問に応えたのはミーシャルールだった。「それをすれば密猟者と同じ域まで堕ちることになる。それは、あの人にとって最大の屈辱さ。デルの言うように、絶滅の危機に瀕するエルユウグへの愛情、誇りを持って務めてきた仕事を奪われた憤り、そうしたもの抱えているのは間違いない。だが、それを面に出さないのが、フォーディン・カイレスの美学なんだろう」

 「美学…」デルソフィアは呟いた。

 「ああ。ただ、感情は面に出さないが、自らも同様に家の中に閉じ籠っているような人じゃない。探しているさ、エルユウグを。そしてブラウラグアの尾を」

 「尾?」とルネル。

 「そうだ。最後の狩人フォーディンには、一つの伝説が付いて回っている。それは、神獣ブラウラグアの尾を見たという伝説だ」

 「ブラウラグアって、それはもう神話の中の生き物じゃ…」ルネルの声に戸惑いの色が滲む。

 「確かに、太古の昔に世界中に棲息していたブラウラグアは、とうの昔に絶滅している。その眷属エルユウグですら絶滅の危機に瀕していて、エイブベティス大陸が最後の棲息地とされている。そんなエイブベティスの中ですら、ブラウラグアは神話の中…、そう考えるのが今や常識だ。だがな、絶滅したことを、どう証明する?絶滅したと、どうして言い切れる?九分九厘そうだから、絶滅と定めただけで、世界を隈なく同時に見定めることなど不可能だ。故に、誰にも発見されていないだけかもしれない。可能性の話だが、決してそれは零ではない」

 ミーシャルールの口調は次第に熱さを帯びていった。それを自覚したのか、ふと立ち止まると額に手を当て恥ずかしそうに、「まあ、これはフォーディンの受け売りなんだがな」と笑った。

 「つまりあの人も、ブラウラグアの棲息を、信じていると?」

 ミーシャルールに倣って立ち止まったルネルは、まだ目を丸くしている。

 「自身の目にしたものが、ブラウラグアの尾だと、フォーディンは確信している。はじめはフォーディンも、それを他者に話しただろう。しかし、ほとんど誰も信じなかった。

次第にフォーディンは口を噤むようになった。それでも一部に、フォーディンを尊敬し、敬意を表する狩人仲間がいた。彼らが代わりにその話を紡いできたが、知っての通り、狩人の数は減っていき、いなくなった。

その話をする者もいなくなり、真偽は定かでないまま、伝説として残ったのさ」

 「伝説…の狩人…」

 ミーシャルールとルネルに挟まれた形のデルソフィアが、独り言のように零した。

 「そうなるな。最後の狩人にして伝説の狩人。それが、フォーディン・カイレスだ」

 そう口にするミーシャルールを見ながらデルソフィアは、この男も伝説を信じているのだと直感した。先刻のフォーディンの姿を回顧する。

 「俺も、信じる」そう呟いていた。


 デルソフィア達が去った後、小屋の中に入ったフォーディンは、再び小屋の外に出ていた。雨が降り始めたが、濡れるのも厭わず、四人が戻っていった道を見つめる。

 ミーシャルール・ユウリ。

 忘れもしない。ここ数年では、最も強く記憶に刻まれている男だ。

 何故なら、あの男は、ブラウラグアの尾の話を信じた。多くが信じずに一笑に伏し、残りの者も信じた態を装った話を、信じた。そう見えた。目を輝かせて、詳細を催促した。単純に嬉しかった。喜びの記憶は、今なお色褪せていない。

 神獣ブラウラグアの尾。

 確かに見た。見間違える筈がない。以降、それを、それだけを追い求めた。

 結果、妻の死よりも優先させた。その結果、残った家族をも失った。それでも追い求めた。だが、未だに叶ってはいない。

 そして、眷属の狩人という仕事を失った。日々の張り合いのようなものを失ったのは確かだ。自身に責がないにもかかわらず、誇りを持って相対してきた仕事を奪われたことを憐む声があることも知っている。

 少し違う。憐む必要などない。我が願いは、ただ一つ。それは失っていない。奪われていない。

 ふと、ミーシャルールが連れてきた少年を思い出した。名は確か、デル。

 あの眼差し。微かながら、憐みの色が滲んでいた。だが、そのさらに奥には違った色を潜ませていたように見えた。

 何者だろうか。

 四人の中では間違いなく最年少でありながら、纏う存在感は絶大だった。あのミーシャルールすらも遥かに凌駕していた。

 沸々と少年への興味が湧き上がる。ブラウラグアだけに向けられてきた興味。それとは別に、久方ぶりに抱いた興味の対象が、まだ二十歳にも満たないであろう少年であることに、フォーディンは苦笑した。

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