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後継〜神皇帝新記 第二章  作者: れんおう
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『終』

『終』

 一年という時の長短は、人それぞれで捉え方が異なる。熱中するもの、注力する何かがある者には短く感じられる場合が多いかもしれない。キーオンにとってのあの一年もそうだった。

 キーオンが通ったセイトゥナ園の通園対象は六歳から十三歳だが、ほとんどの者が始まりとされる六歳から入園する。それも最難関とされるが、非常に稀に中途で入園してくる者がおり、中途入園の難度は更に困難を極めたものだった。

 中途入園者はここ三十年で二人しかいないという事実が、その難度を物語っていたが、キーオンがそのうちの一人であることは、あまり知られていない。実際、キーオンがセイトゥナ園に入園したのは九歳の時だった。皆より約三年遅れて入園しながらも同世代の者たちをごぼう抜きしてしまったのは、キーオンが類稀なる才の持ち主である証左であろう。そんなキーオンにとって、これまでで最も早く感じられた一年が、セイトゥナ園に入園する直前の一年間だと言えた。

 キーオンは生まれてまもなくの頃から、旅の行商であった父に連れられて世界中を流転していた。ただ、いくら記憶を辿っても母に関するものは無く、常に父と二人であったことしか思い出せなかった。

 父は行商としては優秀だったようで、暮らしそのものに不自由はしていなかった。また、一箇所にとどまることのない暮らしも、それ以外を知らない幼きキーオンにとっては苦にはならなかった。

 そしてそれは、キーオンが八歳になったばかりに起きた。

 父が仕事をしている間、キーオンはいつもその周辺にいた。遊んだり学んだり本を読んだり絵を描いたり、一人でもできることは幾らでもあった。

 父の目の届かぬところまで行くのは極めて稀だったが、その時は、見たことのない鮮やかな羽根を持つ蝶を追いかけた。蝶が、手の届かない上空へと飛んでしまい、諦めて立ち止まった時、辺りには誰もいなかった。

 父に叱られると思い、戻る道を探そうとキーオンは首を左右に振った。その次の瞬間、視界が黒く閉ざされた。続いて腹部に衝撃が走り、意識が遠退いていった。

 目を醒ますと、そこは薄暗く、洞窟の中のような場所だった。焚き火の灯だけが、辺りに微かな灯りをもたらしており、キーオンはすぐそばにいる人物に気付いた。

 両目以外は黒い頭巾で覆われていて、その表情を窺い知ることはできず、キーオンが上半身を起こした後も、黒頭巾はしばらくは黙したままだった。沈黙の中、眼前の黒頭巾に拐われたのだと理解できると、急速に恐怖が込み上げ、キーオンは叫び出したい衝動に駆られた。

 だが、それは果たせなかった。

 「大きな声を出せば殺す」

 男女の別がつきにくい機械仕掛けのような声に、キーオンは何とか衝動を飲み込んだ。機械仕掛けの声は続いた。

 「これからお前に、業を授ける。拒否することはできない。いや、拒否しても構わぬが、その場合、明日の朝陽の下にお前はいない」

 「わざ……そ、それって何の?」言葉を絞り出して訊ねた。

 「詳細は知る必要はない。いずれ解るだろう。地上最強の業、そうとだけ伝えておこう」

 「な、なぜ僕なの?」

 暗がりで正確にはよく分からなかったが、キーオンのその質問に、黒頭巾の両目が見開かれたように思えた。

 「僕?いま、僕と言ったな。お前は男か?」機械仕掛けの声は変わらなかった。

 キーオンは黙って首肯することで応えた。当時のキーオンは華奢で、髪も長かったため、女児に間違われてもおかしくはなかった。

 やや沈黙があった後、機械仕掛けの笑い声が洞窟内にこだました。

 「面白い。男という異分子が入り、どう作用するか。それを見るのも一興」そう言って再び笑った。

 以降、約一年に渡って毎日、深い森の中で誰に会うこともなく、ひたすら黒頭巾から業を叩き込まれた。

 その修練は凄惨の一語に尽きた。当初は、その日の修練が終わると指一本動かせなかった。飲食もままならず、死への扉が何度も開きかけた。

 黒頭巾は、食物の載った皿を眼前に置くだけで、介助してくれることはなかった。理不尽さを呪う思考すら浮かばなかったが、「食わなければ死ぬ。食えば明日には繋がる」と言われ、それがキーオンの琴線に触れた。死よりも明日を求めた。それ以降、這うようにしてでも食った。

 季節は巡り、拐われた時と同じ季節が再びやって来た。その約一年は、瞬く間だった。それでも、自身の力が飛躍的に向上したことは分かった。精神面も鍛えられた。滅多なことでは動じなくなった。

 「届いたな」

 それが、最後に聞いた機械仕掛けの声だった。出会った日と同様に、不意を突かれて腹部に衝撃を受け、気を失った。

 次に目が覚めると、そこには父がいた。

 父は旅の行商をやめ、エイブベティス大陸の港町チェンバに様々な日用物資を扱う店を構えていた。その店の二階が住居となっており、二つ並んだ長床の一つにキーオンは寝かされていた。

 さすがに驚きの表情を隠しきれない息子に、父は「よく頑張ったな」とだけ口にした。唖然としたが、引き攣った父の笑い顔を見て、キーオンは全てを悟った。

 一方的に拐われたわけではなく、それを父は了解していたのだ、と。理由は分からなかった。父も語らなかったし、キーオンも訊かなかった。

 ただ、父子の繋がりはその日に千切れた。セイトゥナ園への中途入園を父から提案された時も二つ返事で了承した。王国街に住居が無い者は入園と同時に入寮することが定められており、家を出られると知っていたからだ。

 セイトゥナ園入園後は寝食を削ってでも必死に学んだ。結果、最優秀の成績を修めることができ、王宮という進路も得た。

 王宮での仕事にも励んだ。結果を残して信頼を得て、今の地位まで上った。そんな今を失いたくなかった。

 地位を守りたいわけではない。シザサーをはじめとした上下に及ぶ他者との繋がりが、父との繋がりの断絶という記憶により、果てしなく貴重なものとしてキーオンの身内に蟠踞していた。それらを失いたくないのだ。

 自身が授けられた業が、フルナブルの業であることを今はもう確信している。その運命を厭悪し、呪った。そして自らの奥深くへ業を封印した。

 だが今回、封印の扉に手を掛けた。フルナブルの業の解放を、自身で許容したと自覚している。それを思いとどまらせてくれたのは、デルソフィアとの会話だ。

 デルソフィア・デフィーキル。神皇帝皇子だった者は、崩壊に向かう世界を救うと言った。その同志として求められた。

 心は決まっていた。

 自身の主がシザサーであるという認識は不動だ。そのシザサーがデルソフィアと心を通わせて同調するというのなら、そこに何ら異存はない。共に歩むだけだ。

 そして、フルナブルの業を解放する時が、もし今後あるとしたならば、それはシザサー、デルソフィアと共に進む道程でのことであってほしい。彼らのためならば、世界を救うためならば、自身もまた悪辣の汚名を着る覚悟がある。

 キーオンの眼差しに奮う光が宿り、繋がりゆくものに、繋がりゆく人に、繋がりゆく明日に馳せる思いが身内を満たしていった。


 絶命した瞬間のジョーザの顔。つい先刻のことだというのに、アルズスの脳裏にそれはもう残っていなかった。今、アルズスの考えを支配しているのは、何故ジョーザが自死を遂げなかったか、だ。

 洗脳が不完全だったというのか。いや、それは考えにくい。あの程度の者の洗脳において過誤を犯す筈がない。

 同じ地位であることが非常に不愉快になる程、無能な者との認識しかなかった。武人精神に藉口した矮小な生き方の見本のような者だった。立場の弱い者には、耐え難い頤使を強要する一方、ノールンなどの権力者には媚びた。だがそれも面従腹背だった。

 洗脳し見合った役で使い捨て、自死へと誘う筈だった。ジョーザによる王国や王宮への悪影響を厭悪したなどの面は皆無、ただただ、同列で語られることへの煩瑣が理由だった。

 だが、結果的にジョーザは自死することなく、自らが手を下さなければならなかった。それ自体は、フルナブルの業を得た者として容易いことだったが、この結末に関しては首を傾げざるを得ない。

 ゼロンについては、自死に見せかけて自らの手で殺した。だが、あれは自死を待つだけの時が無かったからだ。

 今回、時はあった。しかし、いくら待っても狂人の態を晒し続けるだけで、自ら命を絶つことはなかった。ジョーザの部下たちが計画通りに自死した一方、ジョーザについては完璧な筈だった計画の瑕疵となったと言えよう。早々に、別の者を用いて確かめなくてはならない。

 それにしても、自身の計画通りとはいえ、ジョーザの部下たちもまた無能の極みだった。勝てる筈のない戦いを勝てると信じた。彼らによる襲撃の目的は、王太子やその側近を亡き者にすることではない。そんなことは無理だと分かっていた。

 あの男に気付かせるために芽を植え付けること。それが肝要だった。誰が、王国にとっての真の敵であるか。その迷いの入口へ誘うことだった。恐らくそれには成功した。

 敗北を悟った際には囚われる前に自死するという結末は、筋書き通りとなった。洗脳が成功していても、その本人になれるわけではない。僅かな綻びが、やがて甚大な決壊へと繋がらないとも限らない中で、全員が自死したという事実は満足のいく結果だ。

 全体を見通せばやや不満は残るが、ジョーザの死によって全てを知る者は皆、葬られた。良しとして、事後に目を向けねばならない。

 このエイブベティスにおいて、王宮崩し、王国崩しへと向かう始まりの鐘はもう既に鳴らされ、それは確実に進行しているのだ。世界に目を向ければ、同様に何かが動き出している国もあれば、まだ眠っている国もある。進行度合いは違えど、いずれそれらは波及し相乗していく。

 フルナブルによる復讐の焔が、世界を覆う日は近い。その一翼を担うため、業を授かった。そう、あの時あの地で。

 ニチェンテ・フルナブルと名乗った黒色の套を纏いし者から。


〜第二章 完〜

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