『36』
『36』
ガゼッタ山とナハトーク樹海の境界線にある前線基地に、再び三十人余の人が戻っていた。ブラウラグア調査隊からブラウラグア捜索隊へと名を改称した一団は、新隊長に就任したフォーディンのもと、一人の隊員も欠くことなく前線基地へ到達した。
今回の捜索には、シザサー、キーオン、ミハエの三人は同行していない。この三人は捜索隊特別隊員の位置付けとなり、常に捜索隊に同行するわけではなくなった。だが、王君アツンドらを前に、シザサーが語った想いは、隊員たち皆の胸に刻まれていた。
そして、ミーシャルール、タクーヌ、ルネル、デルソフィアの四人の姿もない。四人はエイブベティス大陸および王国での滞在を終え、次なる目的地へ向かうべく準備に入っていたためだ。
これまでの隊から七人もの隊員が抜けた形だが、その分は志し高き者たちによる志願で埋まった。変わらぬ士気の高さを保つ隊員たちを、フォーディンは頼もしく感じていた。
フォーディン自身の士気もまた高かった。それには幾つかの要因があるが、何よりもまずシザサーからの信頼が大きかった。エルユウグの狩人という仕事を失って以降、これ程までに他者からの信頼を得たことはなかったと思う。
他者の信頼など不要で、一人でも十二分にやれる--そんな風に思い上がっていた鼻っ柱は、ものの見事に叩き折られた。それも力尽くではなく、優しさに包まれた中でのことである。
そこに思い至るたびに微苦笑を禁じ得ないが、信頼とは人と人の繋がりゆえに生じるものと思い知った時、家族の再生へも素直に動けた。娘に対し、自身の狷介な行動や思考を詫び、頭を下げた。娘から言葉をかけられるまで頭を下げ続けたのは、その表情を見るのが怖かったから。
情けないという一語に尽きるが、「もう、顔を上げてよ」の言葉に、長年にわたり蟠踞していた氷壁は瞬時に氷解した。頭を上げ、改めて向き合った娘は、少し切なさを滲ませながらも笑っていた。
傍には子ども達が寄り添い、娘にはもう母の雰囲気がしっくりと収まっていた。母を亡くし、父を失くしても、娘は親となり、親の役割をきちんと果たし、家族を守っていた。幾つもの想いが込み上げたが、それらは「ありがとう」の一言に集約され、頬を涙が伝った。
娘の姿が、孫たちの笑顔が、たとえ会えない時でも傍にあった。手を伸ばせば触れられた。そこに、繋がりがあるからだ。それらもまた自身の士気を高めている。
さらにもう一つ、フォーディンの指揮を高めているものは、デルソフィアからの期待だ。シザサーから隊長を引き継いだ後にデルソフィアと会話をする機会を得られた。
言葉数は決して多くなかったが、一語一語に重みがあった。自身よりも遥かに若い者の言葉に、これ程までに心奮うとは思わなかったが、デルソフィアのこれまでの人生や、今後進むべき道程に伴う重責に、ほんの僅かでも思い至ることができれば、それも得心がいった。
まもなくこの地を離れ、新たな地へ旅立つという話も聞いた。その旅は、新たなる仲間を探す旅である。デルソフィアの仲間として、その一翼を担う者として、旅の成功を願わずにはいられない。仲間であるという自負が、新たなる仲間の出現を待望する。
正直な話、共に行きたい気持ちは皆無ではない。だが、ブラウラグア捜索隊隊長としてデルソフィアから寄せられた期待がある。
「いつか必ずまた会おう」そう言って微笑んでくれた面影が刻まれている。
先日のブラウラグアは、シザサー、そしてデルソフィアの前に現れたのだと、今でもそう考えている。だからこそ、今は自身にできること、やるべきことをやるだけだ。
その積み重ねしかない。その積み重ねの結果、デルソフィアやシザサーではない自身でも、きっとブラウラグアと邂逅できる。
そう確信しているフォーディンの表情は、これまでで最も旗幟鮮明としていた。
出港の時が迫っていた。
ミーシャルールを筆頭にほぼ全員が船に乗り込んでいたが、残る唯一人、デルソフィアが船を背にしてシザサーと向き合っていた。デルソフィアも一旦乗船したものの、シザサーと少し話をしたい旨を申し出て、許可を得て下船していた。
シザサーの後方には、キーオンやミハエをはじめ王宮に仕える者たちが並んでいる。デルソフィアの素性を知れば、王君自らが見送りにくることは必然だったであろうが、その素性を明かしていない現状では、「旅の無事を祈る」という言葉をシザサーに託すという対応は当然と言えた。ガルヴィやノールンなど幹部の姿もない。
「お見送りが、私たちだけで、誠に申し訳ございません」
「構わん。大仰な見送りなど不要だ。其方たちの仕事を中座させていることも心苦しく思う。だが、しばしの別れになる故、矛盾は承知の上で、シザサーと話をしたかった」
デルソフィアは真っ直ぐにシザサーの目を見つめた。シザサーは小さく頷き、その視線を受け止めた。
デルソフィアが話を続けた。
「民を先導する者と頂に立つ者、これは俺の中で同義ではない。頂があるということは、そこに上下というものも否応なく存在するということだ。まさに今の世界や各国がそうであろう。
不条理に、為す術もなく定められた上下に、民たちが憤りを抱かぬ筈がない。だが、そこにも上下がある。下の声は、仮にそれが叫びでも上には届かない。僅かな叫びが届いたとしても理解されず、時の流れが風化させる。その結果、下にいる民たちが身に付けたのが諦めであり、最早、諦めていることにすら気付いていない者が多い。
だからこの世界には、怠惰でありながらも上にいるが故に奢侈な者がいる。堕落した者でも元が上であれば下よりも高き場に寝転がっている。
一方、勤勉であるのに下にいるが故に正当な対価を得られない者もいる。上からの圧で、幾ら努力を重ねても形を為さぬ者もいる。
あってはならぬことだ。諦めてしまってはいけないことなのだ。上も下もない。平等に産まれ落ち、恩恵は平等に降り注ぎ、見合った対価を平等に得られる。懸命に咲いた花が惜しまれつつも枯れていくように時を生きていく。皆がそうであってほしい。理想かもしれない。夢物語かもしれない。だが、世界を崩壊させぬように動くこと、世界を変えること、それが俺の使命であるならば、誰かがやってくれるのを待っているわけにはいかない。俺がやる。頂から差配するのではない。同じ地にあり、導くのだ。そういう者に、俺はなる」
語気を強めることなく、デルソフィアは淡々と語った。だがシザサーは、そんなデルソフィアの姿から決意の強さ、覚悟の深さを感じた。
続く言葉はなかった。それが不要であることを、両者ともに理解していた。
上も下もなく皆が平等な世界の創造へ向け、共に歩み、共に進む--。
互いの身は別の地にあっても、この想いは同じだ。
どちらからともなく差し出した手と手が、デルソフィアとシザサーの狭間で堅く結ばれた。




