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後継〜神皇帝新記 第二章  作者: れんおう
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『33』

『33』

 その告白に誰もがまずは耳を疑い、その後、真実であると思い至ると、皆が直立不動し、最敬礼の姿勢となった。ルネルもタクーヌも、キーオンもフォーディンも、そしてエイブベティス王国の王太子であるシザサーもそうだった。

 「それは、以前にも申し上げたように…」シザサーの問いに対してそう口にしたミーシャルールの続きを、「ミーシャルール」と名を呼ぶことでデルソフィアは制した。

 皆の視線がデルソフィアに集中していったが、特段あわてる様子もなく、それらを受け止めている。こうして皆の注目を集めることに慣れているのだな--とシザサーは思い、真実が語られることを確信した。

 「俺の名はデルソフィア・デフィーキル。かつて、神皇帝皇子だった者だ」

 本名と出自を明らかにしたデルソフィアの言葉だったが、それは余りにも想定の外にあり、皆が沈黙してしまったのは、その意味を咀嚼する時間を要したためであろう。シザサーもまた、バルマドリー皇国において神皇帝皇子の一人が殺人の罪を犯し、罪人として裁かれた結果、無期限の配流とされたが、収容先への移送中に船もろとも海中に没したという、以前に聞かされた話へと繋げるのに幾らかの時を必要とした。その皇子の名が、デルソフィアであったと思い出した頃には、隊員たちの間でも黙したまま隣や周囲の者と顔を見合わせる光景がそこここで見られた。

 疑念の色の滲む顔が多かったが、それも次第に薄れていった。シザサーが問いかけを行った背景で、この回答を予想していたのではないかという思いに至ったからだ。そう思い至ると同時に、多くの者の背筋がぴんと伸びていった。

 「打ち明けてしまわれたか」

 ミーシャルールは苦笑を浮かべ、「これだと私が皆さんを騙していた悪人ということになってしまうなぁ」と続けた。

 デルソフィアの正体を唯一知っていたミーシャルールの口調にあまり悪びれた様子はなかったが、それを気に留める者はいなかった。大いなる事実を前に、小事への反応が麻痺してしまったかのようだった。

 「隠していたのは俺も同じだ」と言い、集まる視線ひとつ一つを受け止め返すように見渡した後、デルソフィアは「皆、すまぬ」と頭を下げた。その姿に多くの者が唖然とし、言葉を発せられずにいた。

 神皇帝皇子--。

 王国どころか全世界の頂にある一族に名を連ねる者。存在は知っていても会うことなど夢のまた夢、ましてや親しげに会話をするなど、遥か雲上の星のかけらを掴むか如き奇跡だ。

 無表情が常のタクーヌの顔にも緊張の色が見え、出会いからこれまでを思い返したのであろうルネルの顔は蒼白に染まった。エイブベティス王国一の才とも称えられるキーオンや、デルソフィアが只者ではないと悟っていたフォーディンでさえ身を硬くし、微動だにしない。尤物の彼らですらそうなのである、他の隊員たちは目が合うことに慄き、真っ直ぐにデルソフィアの姿を見られない者がほとんどだった。

 それ程までに尊き存在が、非礼を詫びて頭を下げたのだ。唖然とするのも当然だと言えた。

 一方、頂やその周辺にある者は、仮に頭を下げても高き場からは降りてはいない者ばかりとの認識が一般的には浸透している。だが、デルソフィアは今、皆と同じ目線で立っていた。

 そこに思いが至った者は、感激で胸を熱くした。そしてその感激は伝播していった。

 きらきらと目に輝きを宿した隊員たちを前に、デルソフィアは旅をする理由を語り始めた。

 親友を殺害した容疑をかけられ、結果、無期限の配流となったが、収容先である島牢獄への移送中に船が嵐に遭遇して大破したこと。海に投げ出されたことは覚えているが、その後に気を失い、次に覚醒した時は見知らぬ天井の家の長床だったこと。覚醒はしたものの、記憶を失っていたこと。助けてくれたのはウルディングという名の老人で、元はランスオブ大聖堂の十官であったこと。その縁で神官大長に会ったこと。今ここにいるミーシャルールには、危うく船で遭難しかかったところを救われたこと。ミーシャルールは親友の兄であること。ミーシャルールの導きで、長年会えていなかった実母に再会できたこと。そして、記憶を取り戻したこと。

 デルソフィアは、これらを一気に語った。皆が話に聞き入り、口を挟む者は皆無だった。旅に出た理由はまだ語られておらず、誰もが続きを待望していた。そうした視線を受け止め、デルソフィアは続けた。

 「話は少し逸れるかもしれんが、今のこの世界が、崩壊へ向かう入口にあると聞かされて、それを信じる者はいるだろうか?」

 デルソフィアは一旦話を切り、隊員たちを見回した。唐突な問いかけに応える者はいない。

 デルソフィアは二度頷くと、「俄には信じ難い話だろう。だが俺は、ある偉大な人物からその話を聞かされた。そして俺は、その話を信じている」と断言した。

 「そ…その根拠は、何処にあるのでしょうか?」

 恐縮極まりない態でシザサーが訊いた。今のこの場において、デルソフィアに問いかけることが出来るのは自身しかいないという自覚がそうさせた。

 「そうだな。根拠がなければ、絵空事と何ら変わらない話になってしまうな。だが、すまぬ。今はまだ具体的には語れぬのだ。強いて言えば、血だ」

 「血…でございますか?」

 「そうだ。俺の身内を流れる血が、その話が真実であると信じさせるのだ」デルソフィアの眼差しは真っ直ぐで、一点の曇りも無かった。

 「わかりました。私は信じます」シザサーは胸を張った。

 「シザサー…」

 「神皇帝皇子である御身分を明かされる前のデルソフィア様と共に過ごさせていただきました時間があります。恐れながら、私の知る限り、その"デル"は嘘を吐くような者には見えませんでした。その評と、共に過ごした時間と、私の根拠はそれで充分でございます」

 「ありがとう、シザサー」

 デルソフィアとシザサーの視線が絡み、どちらからともなく笑顔を浮かべた。それが引き金になった。

 「私も」「私も信じます」

 そうした声が次々と挙がった。あまりにも尊き存在であった事実を前に、皆が見失っていた"デル"という者に対する気持ちを、シザサーの言葉が蘇らせた。

 「皆も、ありがとう」再びデルソフィアは深々と頭を下げた。

 「さあ、再びお話を続けてください」

 シザサーが先を促し、デルソフィアは一つ頷いてからそれに応えた。

 「崩壊する世界とはどういうことかを考えた場合、例えば世界が瞬時に崩れ落ちたり、燃え尽きたりするわけではなく、徐々に徐々に、民たちが日々暮らす土台の態を失っていくものだと、俺は考えている。そうした環境下で真っ先に苦しみに喘ぐのは、世界の土台のすぐ上にある民たちだ。神皇帝一族や王君一族、或いは皇宮や王宮が滞ることなく政を推進できるのは、民たちの支えが基になっているにもかかわらず、有事に害を被るのは決まって民たちなのだ。

 俺は、それが納得できない。世界で最も恵まれた神皇帝一族の皇子が何を言うかといった叱責や、偽善者との指摘なら甘んじて受ける。だが、納得できぬものは、できぬのだ。

 自惚れでもいい。過信でもいい。既に崩壊が始まっているのなら、苦しみにもがく民たちがいるのなら、その辛苦からの解放を己の使命に変え、そこに光を当てるために動きたい。

 今日、そして先日の襲撃に際して、俺は剣を振るった。相手を傷つけた。それが悪だというなら、その悪さえ飲み込み、己に同化させる。躊躇いはない。必要ならば、この先も剣を振るう。

 世界を救い清浄へ導く。民の支えに応えて先導していく。そういう者になるために、俺は旅を始めた。そういう者が神皇帝であるというならば、それを簒奪することも厭わん。

 だが、現時点の俺では、それは適わん。だから、各王国を訪れていく。仲間を、同志を得るためだ。もちろん、無理強いをする気はさらさら無い。我が想いに共鳴し、集ってくれる者たちと一緒に成し遂げたいのだ」

 無音だった。声や言葉という反応は無かった。しかしながら、デルソフィアの話を聞いた全ての者の顔に、応えは刻まれていた。

 デルソフィアは突如、左手に嵌めていた手袋を外し、そこに出現している星紋二つを皆の前に晒した。自ら進んでこんな行動に出たことは、今までに一度たりともない。

 左手甲に出現した星紋という事実に苦しみ、兄弟や親友にすら隠していたほどだ。だが、それを自ら掲げてみせた。

 それは、仲間への、同志への誓いであった。


 フォーディンは与えられた長床の上に胡座をかき、話をするデルソフィアの姿を思い出していた。

 出会った当初から、只者ではない存在感が琴線に触れた。気になる存在ではあり続けたが、決してそれが前面に押し出されていたわけでもなかった。今思えば、神皇帝皇子という身分故に、意図的に存在感を矮小化していたのかもしれない。

 先刻の話の中で、その素性を明らかにしたが、本来であればそれはまだ先で、神皇帝皇子としてではなく、デルという一人の男として、仲間を、同志を募りたかったのではないか。頂にある者やそれに近しい者からの依頼は、それが頼み事の態をとっていても、受ける側からすれば命令や指令などと何ら変わらない。神皇帝皇子デルソフィアは、そうした形を厭悪している気がするし、素性を明かすのは今ではないと考えていたように思う。

 だが、そうした考えは杞憂であるのだと伝えたい。素性を明かした後のデルソフィアの言葉や挙措動作を、短い時の中でも目の当たりにした者は、いわゆる一般論として伝わる頂やその近くにある者とデルソフィアが大きく乖離していることを理解しただろう。

 シザサーに対して抱いた感覚を、デルソフィアからもまた得られた。他の隊員たちのことは正確には分からないが、恐らく皆、同様な気持ちなのではないか。

 本人は意図せずとも、神皇帝皇子という桁外れに尊き存在の想いを聞き、仲間、同志として請われているのだと理解すれば、それを意気に感じぬ者はいない筈だ。ましてや、高いところからではなく、同じ地に降りて、同じ目線でデルソフィアは語っていた。

 調査隊の面々がそれを悟れぬ愚者でないことは、これまで行動を共にしてきた自身もよく分かっている。三十名ほどの調査隊ではあるが、デルソフィアの下に集う……いや、デルソフィアと共に歩む仲間、同志となったのだ。

 これはまだ始まりであり、これから何かが動き出し、大きな畝りとなっていくことを予感する。崩壊する世界を救うという途轍もなさに眩暈を起こしそうだが、同時に奮う気持ちが確かにある。

 そして、壮挙を為していくために、自身も律しなければならない。自身の国に対する想いはどうか。

 こういうものだから仕方ない。それが当たり前。以前からずっとそうだった。

 そんな言葉たちを贄にして、諦めることが常となり、何かを変えようと動くことは極めて少ない。変えるための第一歩が国を想うことであるならば、国を想う自身の基となる一つが家族なのではないか。

 崩壊してしまった自身の家族。修復するのは不可能なのだろうか。

 フォーディンは部屋の天井を仰いだ。顔には微苦笑が張り付いている。解はもう出ている。

 どんな絶望の淵にあっても、そこで出来る最大限に努める。そうしていれば、いつか必ず光は差し込んでくれる。そのことを、シザサーが、そしてデルソフィアが教えてくれた気がする。

 会いに行こう、家族に。

 話をしよう、家族と。

 フォーディンは長床から降りると、部屋を出て行った。特に何か目的があったわけではないが、無性に外の空気に触れたかった。

 前線基地はまもなく宵闇に包まれようとしており、薄暗くなりかかっていたが、視界が利かない程ではなかった。外に出たフォーディンは、視線の先で並び立つ二つの後ろ姿を認め、思わず息を呑んだ。後ろ姿だけでもはっきりと分かるその二人は、デルソフィアとシザサーだった。

 皇国の神皇帝皇子と王国の王太子。

 共に世界、或いは国の頂にあり、何不自由なく豊かで満ち足りた暮らしを送っている。そう思うのが一般的であり、それが誤りだと断言することはできないし、そんな気もない。だが一方で、彼らには不平不満、悩みなどは皆無と断言することも、またできない。民の暮らしを顧みずに頂にある者を批判するのは至極当然であるが、そうした批判者の中に、頂にある者の、頂にあるが故の辛苦に思いを馳せられる者がどれだけいるだろうか。

 上下の別など無く、人と人としての繋がりを尊び、そこから愛情を紡ぎ、友情を育み、夢や願いを継いでいく。誰かが誰かの支えとなり、支えられた誰かはまた誰かの支えとなる。デルソフィアもシザサーも、そんな誰かの一人であるべきだとも思う。

 そう思いながら、眼前の二人に目をやると、歳相応の若き背にも見えてくる。この二人をはじめ、自身には願いを、夢を託せる者たちがいる。

 フォーディンは込み上げるものを抑えきれず、破顔した。

 まだ訪れてもいない未来を憂うことはしない。精一杯に生きられる今を、瞋恚だけで満たしたりはしない。自身には、今できること、まだできることがあるのだ。

 フォーディンは二人の背に深々と頭を下げた。

 しばらくその体勢のままいてから、その場を立ち去ろうと頭を上げた時だった。フォーディンの視界の中に、それらはいた。

 一、二、三…。

 三頭のエルユウグがこちらを、いや恐らくシザサーとデルソフィアを見ていた。真ん中にいる一頭には、何となく見覚えのある気がした。先日出会い、シザサーと戯れていた一頭ではないだろうか。

 いつだってまた会える--シザサーの言葉が蘇る。今回は家族を連れてシザサーに会いに来た。そんな風にも思えた。

 シザサーとデルソフィアの背から特段の変化は見られず、エルユウグの存在に気付いているのかどうかも分からなかった。ひとまずエルユウグの存在を告げようと二人に向かってフォーディンが一歩を踏み出した次の瞬間、眼前のデルソフィアが左腕を前方へと上げた。何かを指差しているようだ。

 歩みを止めたフォーディンは、目を凝らした。三頭のエルユウグのさらに奥だった。

 体長は、人間とほぼ同程度のエルユウグよりも二回りほど小さく、その体は金色の毛で覆われている。陽にあたれば光り輝く姿が容易に想起できた。多くの絵画に共通した特徴であった翼は、どうやら無いようだ。

 大きくて円らな目が印象的で、その顔は可憐な少女を連想させるが、それとは対照的に、前頭部から天を衝くか如く上方に生えた細く長い一本の角は、志高き少年を思い起こさせる。

 自身よりも大きなエルユウグ三頭を従えているかのような態で微動だにしない姿は、凛々しくて逞しく、それはデルソフィアと重なった。

 自身だけでなくエルユウグ三頭を包み込むような絶対的な存在感は、そこはかとない優しさも伴い、それはシザサーと重なった。

 「ブラウラグア…」フォーディンは思わず零していた。

 高揚し、弾む心音がはっきりと聞こえる。それでいて妙に心地が良く、眼前の光景をずっと見ていられるという感覚に包まれている。

 ブラウラグアとエルユウグ、そしてシザサーとデルソフィア。フォーディンは、一つの絵画の前に立っているような気になった。

 その絵画と自身の隔たりを認知しながら、あの時、シザサーと出会い戯れたエルユウグが家族、或いは仲間と共に、ブラウラグアをシザサーとデルソフィアに引き合わせた--そう考えていた。

 待望していた時そのものは、待ち続け、追い続けた時間と比して、あまりにも短かった。

 樹海の奥深くへと戻るため、ブラウラグアはくるりと体を反転させた。その時、ブラウラグアの体長と同程度の尾が翻った。それをフォーディンは、再び目に焼き付けた。

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