『32』
『32』
戦いに勝利した高揚感は、そこになかった。
黒装束たちの正体が同朋の者であったという事実が、まるで宿痾のように調査隊隊員たちの心を重くしたままだった。王宮が出した結論を覆すのに、これ以上ない証拠を得た筈だが、それに浮き立つ者は一人もいない。
黒装束たちの遺体を土に埋め前線基地内に戻ってすぐ、右政武代補佐ジョーザ・グイバの部下たちによる襲撃および自決という事実を、王君アツンドをはじめとする王宮幹部に報告するため、シザサー、ミハエ、キーオンの他、隊員二名を加えた五名で王宮へ向かうことが決まった。その際も言葉を発したのはシザサーとキーオンだけで、それ以降は沈黙に包まれていた。
「さてと…」
ミーシャルールが壁に寄りかかっていた体勢から一歩前に進んだ。皆の視線がミーシャルールに集まった。
それを十二分に理解している態で、「私は…私たち四人はランスオブ大聖堂から来た、いわば部外者です。故に何の忖度もなしに発言します」とことわりを入れた上で、ミーシャルールは語り始めた。
「今回の襲撃は王太子殿下もおられる中での襲撃でした。仮に殿下が調査隊に合流されていること知らなかったとしても、戦いの場に殿下の姿はありました。王宮に仕える者たちであれば、そのお姿を知らぬ筈がない。それでも黒装束たちは襲撃を止めなかった。殿下に向けて、刃を振るった。それは王宮そのものへの攻撃とも言え、王宮へ反旗を翻したに等しい。
そこで一つ問いたい。部外者故に知らぬので非礼であればお詫びいたしますが、右政武代補佐のジョーザという人は、それ程の器量の持ち主なのですか?」
すぐに答えを返す者はいなかった。皆それぞれに思うところはあるようだが、この場で発言するのは決まっているとばかりに、その者の発言を待っていた。
それはシザサーも同様だったが、他の者とは違い、調査隊の長という自覚が、「キーオン」と、その者を促す言葉へと繋がった。キーオンにしては珍しく、シザサーの言葉に即応せずに、一つ大きく息を吐いた。覚悟を決めたようだ。
「私も王宮の左政武代補佐であり、ジョーザとは同じ立場になります。手前味噌になりますが、この地位に就くことは決して容易ではありません。そうした観点から、ジョーザは魯鈍な者ではない。
ただ、もう一人いる右政武代補佐のアルズス・ヨリトが非常に優秀で評価も極めて高い。そのアルズスと比較して、全てにおいて劣っているとジョーザを蔑む声があるのも事実で、ジョーザ自身も女性であるアルズスに遅れを取っている点やそうした周囲から聞こえて来る声に対し、卑屈になっている面は否めません」
「なるほど。で、貴方はジョーザさんに今回の件は実行可能だと?」
ミーシャルールの問いにもキーオンは即答しなかった。皆の注目がキーオンに集まる中、その声は別のところから発せられた。
「無理よ。その程度の男に今回の件を主導する力なんてありっこない」
ルネルだった。些か断言する口調が強過ぎるきらいはあったが、この場にいるほとんどの者が同様の思いを抱いていた。
再び視線がキーオンへと集まった。キーオンは、また一つ大きく息を吐いた。
「私も、ルネルと同じ考えです。ジョーザは今回の首謀者ではない。恐らく、首謀者によって動かされた駒の一つでしょう」
「では、今回の首謀者とは一体…?」
シザサーの疑問には、予想すらできないという色が強く滲んでいた。
「はい。あくまで私の予想であり、確信できるものは何一つありませんが…」と前置きした上で、「王宮の右政武代、ノールン・ヒレイレ、その人です」
騒めきが起き、その後に水を打ったように静まり返った。挙がった大物の名を、皆が必死に咀嚼しているようだった。中でもシザサーの顔からは表情が消え、蒼白になっている。
「王君一族を除けば、左右の政武代が最上の地位でしたよね?血縁に関係なく、可能性で言えば誰もが上り詰めらる地位」ミーシャルールの問いが沈黙を破った。
「はい。ですが、逆を言えば、王君一族の血縁でなければエイブベティス王国の頂に立つことはありません…」キーオンはそこで一旦言葉を区切り、真一文字に結んだ口を再び開いた。
「それが…その事実が今回、このような愚行にノールン様を走らせた理由だと、私は考えています」
「どういうこと?」シザサーの声に覇気はなかった。
キーオンは、「この話は、ノールン様を除けば、王君アツンド様、左政武代ガルヴィ様、そして私以外には、恐らく知られていない話ですが、ノールン様は先日、アツンド様に対して一つのご進言をされています」とし、ノールンがアツンドに対して養子を迎えるよう訴え、その候補として、セイトゥナ園で現在、最優秀の成績を修めている自身の甥を推薦したこと等を明かした。
「それはまた、王君に対しても野心を隠さない人なんだね」ミーシャルールは苦笑しながら、眉間をぽりぽりと掻いた。
「はい。そうした姿勢はノールン様の性でもありますが、国を思うが故との判断からアツンド様がノールン様を諫めることなどはありませんでした」
「でもさすがに養子の話には、王君も応じなかったと?」
「そうですね。直接お伺いしたわけではありませんが。ただ、僭越ながら今回の調査隊の長にシザサー様を任命された背景を推察しますと、周囲の納得を得られる功績をシザサー様に挙げてほしい、或いは調査隊の長を務められることでシザサー様の成長を促したい、そうした思いが蟠踞されているのではないかと。
そして先日、アツンド様、ガルヴィ様の前で、シザサー様は確かなご成長の姿を見せられた。アツンド様の後継として、次期王君として相応しい人品骨柄を示されたことは、アツンド様の神慮を、より確かなものにされたと思います」
皆の視線が、キーオンからシザサーへと移っていった。それらの視線を受け止め、毅然と立つ姿は、キーオンの話が些かも大袈裟ではないことを語っていた。
「で、自分の野心が叶えられなさそうだと悟ったノールンさんが、実力行使に出たと?」ミーシャルールが再び質問を投げかけた。
「私は、そう考えています。ただ…」キーオンは口籠もった。
それをミーシャルールが引き取り、「確証は何もなく、恐らく真の黒幕として、ノールンさんまで辿るのは不可能…」と続けた。
口惜しげな表情を隠そうとせず、キーオンは首肯した。調査隊の面々にも同様の表情が滲んだ。
そうした中で、意外な人物が口を開いた。フォーディンだった。
「次期王君はシザサー様しかいない。何も、怪我したところを救われたからって、追従するわけじゃない。まだ短い期間でしかないが、行動を共にしたり、話を聞いたりして確信したんです。上手く言えないが、頂に立つってのは、こういう人じゃなきゃいけない。それはもう感覚なんだ。俺の魂がそう言ってんだ」
誰もがその意外性に浸り、しばし沈黙に包まれたが、シザサーこそ仕えるべき主人--との思いを強くする者たちの心を奮わすには充分な言葉だった。そこここから、同調する声が挙がった。
「フォーディン、皆、ありがとう」
シザサーは深々と頭を下げた。その姿勢に再び沈黙が走ったが、頭を上げたシザサーが破顔すると、瞬く間に笑顔が咲き、笑い声が溢れた。
「これは素晴らしい主従だ。双方が双方を思い遣っている。先が楽しみだね」
ミーシャルールの言葉にも喜びが混じっていた。ミーシャルールの言葉に皆が頷き、自然と視線はシザサーに集まった。
シザサーから言葉が発せられるのを待った。心を、気持ちを奮わせる言葉を期待していた。
その後、シザサーから言葉は発せられた。ただそれは、隊員たちが期待していた類の言葉ではなかった。
「私も一つ問いたい」そう言ってシザサーはデルソフィアの方へ身体を向けると、「デル、貴方は一体何者なのです?」と問いかけた。




