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後継〜神皇帝新記 第二章  作者: れんおう
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『29』

『29』

 まだ微かに手の震えが続いていた。怯えからではなく、奮ったが故に全身に武者振るいが走り、戦いが終わった今も、その名残がデルソフィアの手を震わせた。

 初めての実戦の時は、あっという間に過ぎ去った。無我夢中だったというわけではない。その瞬間瞬間が確かに記憶に刻まれている。手応えのあった斬撃、空を斬った剣、鼻先を掠めた敵の剣筋、それらを明確に思い出すことができる。

 では何故、あっという間に過ぎ去ったのか。解は至極簡単だ。敵による攻撃が、文字通りあっという間だったのだ。

 戦いが始まって幾時も経たぬうちに、敵は潮が引くように退却していった。こちらにも敵方にも、死者はおろか、怪我人らしい怪我人すら出ていないだろう。一糸乱れぬ素早い退却は、それが初めから決まっていたことを物語っている。

 相対した調査隊と黒装束たちの戦いは、「タクーヌさん、ルネルさん、お願いします」というキーオンの言葉で始まった。デルソフィアがその言葉に反応した時には、タクーヌもルネルも、自身の剣を抜き、黒装束たち目掛けて駆け出していた。

 剽悍な動きであったが、予想通り、黒装束たちも只者ではなかった。幾人かが、二人の動きに対応して動き出し、斬り込まれる前に受け止めた。

 剣と剣がぶつかる甲高い音が響くと、それが開戦の鐘の音となった。調査隊、黒装束たちが入り乱れ、ここそこに甲高い音や、肉体同士がぶつかる鈍い音がひしめいた。

 やはり実戦の経験という面では、黒装束たちの方に分があり、開戦直後、調査隊は押された。経験不足から生じる怯えを拭い去るため、無我夢中となった動きは本来の力を削った。的確に狙いをついてくる黒装束たちの攻撃に、必死に受けに徹するだけの時間が続いた。ここで一気に崩れなかったのは、調査隊が精鋭で構成されていたことに他ならない。

 経験の差が一気に縮まるということはなかったが、次第に、奮う気持ちが経験の差を埋めていった。調査隊の気持ちを奮い立たせたのは、タクーヌ、ルネルという尤物の武であり、また、年少のデルソフィアが臆することなく、互角に打ち合っている姿だった。

 タクーヌは圧倒的だった。

長剣は誰がどう見ても扱いにくそうに思えたが、タクーヌにかかれば問題は微塵もなかった。事も無げに振るう長剣は、横に一振りすれば、二、三人を飛ばした。命を得たかのように躍動するタクーヌの長剣が形勢を押し戻し始めた。

 一方のルネルは流麗だった。舞うが如く、次々と敵を退けていく。共に稽古したからこそ、デルソフィアは知った。あくまで稽古は稽古。実戦の場に立ったルネルの強さは、その遥か上をいっていた。

 この二人に加え、隊員たちが奮い立ったことで、形勢は逆転した。キーオン、さらにはミーシャルールもまだ動いていない状態だった。

 形勢が逆転したのを読み取り、敵を一気に叩くべく、キーオンが剣を手にした時だった。どこからともなく指笛が轟いた。

 戦いに加わっていない者が、黒装束たちの中にも一人だけいた。その者が指笛を鳴らしたのだ。

 指笛を聞いた黒装束たちの行動は迅速だった。戦いを止めると一気に退き、調査隊との距離を取った。迅速かつ的確な動きだったため、タクーヌもルネルも虚を突かれた格好で、追うことができなかった程だ。さらに指笛を鳴らした者が右腕を上げると、隊列となった両端の者から後退し、背後の闇に消えていった。

 最後に指笛の者が残った。黒頭巾で覆われているため、表情を窺い知ることはできない。ただ何となく、余裕のようなものを纏っている、とデルソフィアは感じた。僅かな時間、調査隊の面々の視線を受け止めた後、指笛の者も踵を返し、闇の中へ消え去っていった。

 「明らかに様子見だったね。本格的な攻撃が、この後あると考えて間違いなさそうだ」ミーシャルールは、飄々とした態を崩さずに言った。

 調査隊の隊員たちは、戦いを終えた安堵と、未だ冷めやらぬ興奮が入り混じった状態だったが、ミーシャルールの言葉に反応すると、皆一様に表情を引き締めた。

 「そうですね。ブッパー森林山の事故も含め、ネノの森の事件に今の襲撃と、調査隊に絡んで短期間でこれだけの事柄が出来したことを、偶然の一言で片付けるわけにはいかないでしょう」キーオンの言葉にも切迫感はなく淡々としていた。

 「偶然でないのなら?」とルネル。

 「これら全てに関わる大きな組織、或いは相応の人物がいるのではないかと思う」

 「なるほど。それで?デルじゃないけど、あたしもあなたはその人物とやらに心当たりがあるように見えるんだけど。相対してみれば分かるかもしれないって言ってたけど、どうなの?」

 「……頭に浮かんでいる者はいる。だが、今はまだ言えない」

 「何それ。身内とかってこと?」

 これには答えず、キーオンは微笑を浮かべた。

 「大丈夫だ、ルネル。おそらく次の戦いで、敵さんが何者なのか明らかになるさ。まあ、明らかになっても構わない態で来るってことは、向こうも必勝を期して来るんだろうけどな。この場合の必勝は、こちらの全滅ってことだからねぇ」

 言葉とは裏腹にミーシャルールも微笑を浮かべ、続けた。「さてキーオンさん、どうする?」

 「我々で迎え撃ちます」

 そう口にしたキーオンに躊躇いは見られず、微笑すら浮かべていた。

 「ほぅ。次は、どれ程の戦力で攻撃して来るかも分からないのに?タクーヌとルネルの強さも見せたし、隊員たちの士気も高く、実戦を経験したということも敵は知った。相応の戦力増強を予想するのが定石だが…」

 キーオンの微笑が微苦笑へ変わった。だが、纏う雰囲気から余裕は無くなっていない。

 キーオンへ向けるミーシャルールの眼差しに一瞬だけ鋭さが伴ったが、ミーシャルールはすぐに頬を緩めた。キーオンへにじり寄ると、耳許に顔を近づけ、「……万事、あなたの掌の上なのかな」と囁いた。


 キーオンら数人は別にして、戦いの余韻を多くの隊員たちが引きずる中、前線基地内では朝食の準備が進められていた。

 フォーディンはまだ戻っていなかった。

 「今朝は少し遠出しちゃったかな」ミーシャルールの言葉に、食堂内の雰囲気が少し弛緩し、通常に近付いた。

 その時だった。一人の隊員が食堂に駆け込んでくると、「フォーディンさんが戻ってきましたっ」と声を張り上げた。声量だけでなくその表情も、只事ではない事態に触れた者のそれだった。

 「どうした?怪我でもしていたか?」

 朝食の準備に加わっていたキーオンは手を止めた。

 「いや、あの、確かに怪我をされているのですが、その…フォーディンさんを背負われているのがシザサー様なのです」

 「なんだと!?」冷静沈着なキーオンらしからぬ怒声だった。

 次の瞬間、食堂にミハエが入って来、フォーディンを背負ったシザサーが続いてきた。シザサーの額には汗が滲んでいる。誰にとってもまったくの想定外であることを示すように、キーオンも、ミーシャルールでさえも言葉を忘れ、立ち尽くした。

 「こちらに」ミハエが、食堂内の長椅子にフォーディンを座らせるよう促した。

 「うん」シザサーは頷くと、食堂内を進んだ。

 動くシザサーの姿を見て我に返ったように、慌ててキーオンが駆け寄った。

 「お手伝いいたしますっ」

 何故かまだ怒声だったが、「大丈夫。任せて」と、シザサーは微笑んだ。

 長椅子へ座らされたフォーディンは、明らかに気不味そうに、身を固くしていた。

 「キーオン、事情を説明する前にフォーディンの手当が先だね。出血はないが、足を強く打ち付けている。よろしく頼む」

 「わかりました」

 そう言うと、キーオンは食堂を出て行った。いつの間にか食堂には、ほとんど全ての隊員が集まっていた。

 デルソフィアもルネルもミーシャルールもタクーヌも、その視線は一様にシザサーへと注がれている。それらを受け止めてもシザサーは微笑みを崩さず、「キーオンが戻ったら話をしよう」と口にした。

 そんなシザサーの姿を見ながらデルソフィアは、纏う雰囲気の違いを感じ取っていた。

 自信が無さそうに周囲ばかりを気にしている以前の姿ではない。目で見て解るくらいの成長を遂げ、眼前に現れた王太子に何が起きたのかは定かではない。

 しかし、自身も含め、この年代の者には短期間で劇的に変貌を遂げることがあるということを、デルソフィアは教えられていた。教えてくれたのは、ふたりの友。今は亡きオッゾントールと、ユジ島で出会った老友ウルディングだ。

 また、頂の近くで生まれ育った者同士だからこそ抱いていた親近感があり、シザサーの成長は自分のことのように嬉しかった。

 キーオンが治療道具を手にして食堂へ戻ってくると、ミハエがそれらを受け取り、フォーディンの治療を開始した。それを見てから一つ頷くと、シザサーは隊員たちの前へ自ら進み出た。

 「皆を驚かせてしまったと思う。皆の帰る場所になるという約束を破り、この地に来てしまったことも申し訳なく思っている。だけど、少しでも早く、皆に伝えたいことがあるのだ」

 そう切り出したシザサーは、王宮が調査に乗り出した二つの案件について示された結論を伝えた。

 小さくない騒めきが起き、幾つかの会話が始まった。王太子の面前で、皆が好き勝手に話しをする姿を、シザサーは容認した。当然の反応だと思ったからだ。

 だが、それは長く続かなかった。キーオンによる一喝で、皆が黙した。

 「ありがとう、キーオン」そう言ってからシザサーはさらに続けた。

 自身が抱いた疑義や違和感を披露し、皆と共有すると共に、王宮の結論は絶対的な意味を持ち、それを覆すには相応の証拠が必要になるとの考えも示した。その上で、皆の考えも聞きたいと要請した。

 これに応え、幾人かの隊員が口を開いたが、それらはゼロンひとりの手に負える案件ではないという意見に集約された。

 誰もが、ゼロンの背後に潜む黒幕の存在を認め、先刻の襲撃と結びつけていた。そして、キーオンがそれをシザサーに伝えた。

 「そんなことが…」思わずの態で、治療を受けている最中のフォーディンが溢した。

 シザサーも目を見開いたが、動揺する姿を晒すことはなく、「被害状況は?」と問うた。

 「大きな負傷者はおりません」との報告に、シザサーは心底から安堵したような表情を浮かべた。

 「決まりですな。何者かが、調査隊の邪魔をすべく暗躍し、ついには直接叩きに動き出した」

 ミーシャルールの言葉に隊員たちの表情が再び引き締まっていった。

 「だが、考えようによっては暗躍されるより、直接動いてくれた方が対処しやすいという面もある。こちらが勝てば、黒幕の正体にまで一気に辿り着けるかもしれない」と続いたミーシャルールの言葉に対しては、力強く頷く者も多かった。

 そんな中でただ一人、キーオンだけが浮かない顔をしていた。キーオンの心内は、シザサーを守りながらの戦いをどのように展開していくかという観点で、急速に占拠されていたからだ。

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