『28』
『28』
何故ここに--という思いが先行したが、それはすぐに安堵、そして感謝へと変わっていった。
足を負傷し動けない状態で白の乱舞の只中に置かれるという状況は、想像以上に自身の心を疲弊させていた。思わず零れた吐息を自覚し、フォーディンは微かに苦笑を浮かべた。
白の乱舞が止むと同時に、こちらが二人に気付いたように、シザサーとミハエもこちらの存在を認めたようだ。顔を見合わせた後、二人はすぐ、こちらへと向かって歩み始めた。
白の乱舞に巻き込まれながらも、歩けぬ程の負傷は負っていないようだ。それでも大陸随一の難所であるナハトーク樹海を、恐らく初体験している二人である。彼我の距離は互いを見通せる程度であっても、それを埋めるのに、相応の時を要した。
二人が近づいてくるにつれて、明らかになることがあった。二人とも、当然無傷ではなく、身体のあちこちには白布が巻き付けてある。血が滲んでいる箇所も見受けられた。幾つもの苦難を乗り越えて、二人がこの地に到達したことは容易に想像できた。
しかし、キーオンらに懇願に近い形で説得され、前線基地にて調査隊の帰る場になることを了承したシザサーが、たった二人きり、それも側仕女だけを共にした形でこの地に現れた理由については、只事ではない事態の出来とだけは予想できたものの、その他はまったく見当も付かなかった。
「フォーディン、大丈夫かい?」
ありふれた問いが、非常時には殊の外嬉しく聞こえることを知った。
フォーディンは上方を指差し、「あの岩から落下し、右足を強く打ち付けてしまいました。お恥ずかしい話です」と言った。
強がることなく、本当のことを晒した。相対したシザサーの顔がそうさせた。
「動けないの?」
「本当にお恥ずかしい。でもまあ、白の乱舞の中にあっては好都合でしたよ」
「そうか」シザサーの口元が綻んだ。
「王太子さま達の方こそ、大丈夫だったんですか?白の乱舞なぞ初めてのことだったでしょう?」
「確かにね。白濁の世界に包まれ、空間識を失調するとは、なかなか得難い経験をさせてもらったよ。ただ、このミハエに知識があった。白の乱舞の只中にあっては闇雲に動かぬことが最善、だったよね?」
シザサーは後ろに控えるミハエを振り返った。
「はい」ミハエは笑顔で頷いた。
「ほう、若いのに大したものだ」
感嘆の言葉は心底から出たものだった。若き女の身で、大陸随一の難所であるガゼッタ山を越えて、ナハトーク樹海まで辿り着いた。
その行動力、肝の座り方など只者ではないことは明らかだ。キーオンといい、このミハエといい、シザサーの周囲には尤物が集まるようだ。
その訳が、今ならば何となく分かる。
放っておけない未熟な面と、追従したくなる人徳が、同じ人物の中に混在している事実。その事実に触れれば、それがいかに魅力的なことであるかを悟るのだ。
未熟という面は年齢だけからの想起だが、あのデルという少年にも、似たようなものを感じていたのかもしれない。フォーディンは、そう考えるようになっていた。
「手当をするか、或いは時間をおけば、歩けるようになりそうですか?」ミハエが覗き込むように訊いてきた。
「どうやら急いでいるようだね。俺のことは気にせず、先に行ってもらって構わない。ここまで来れば、前線基地は目と鼻の先だ」
「それは駄目だ」
存外強い語気だった。フォーディンは思わず目を瞠ったが、シザサーは続けた。
「怪我人をこのような場所に置き去りになどできない」
「いや、しかし…。本当に目と鼻の先ですし、痛みが引けば十分歩いて戻れます」
只事ではない事態の出来は明らかで、恐らくそれを調査隊の面々に伝えに来たのだろう。そこに自身も含まれているという自覚は多少なりともあったが、最優先がキーオンであることは間違いない。
大陸随一の難所であるガゼッタ山をたった二人で越えてきたという辛苦に思いを馳せれば、一刻も早く前線基地へ辿り着かせたい。自身の置かれた現状などどうでもよく、フォーディンはそう願わずにはいられなかった。
「それなら尚更だよ。目と鼻の先なら、私でも十分に背負っていけるということだ」
フォーディンの願いに反する言葉を、シザサーは口にする。御為ごかしではなく本心であることが容易に分かるシザサーの表情に、フォーディンの焦燥が募っていく。
「そ…そんな馬鹿な。王太子さまに背負われる家臣など、聞いたことがありませんよ」
「では、これが初めてになるようだね」
そう言って笑い、シザサーはミハエの方を振り返った。釣られてフォーディンもミハエに視線を送ると、既に自身とシザサーの二人分の荷を抱えている。
素敵な主従だ--と、妙に感心してしまった。観念したようにフォーディンが天を仰ぐと、それが合図となったようで、シザサーに背負われた。
シザサーは一瞬だけよろけたが、すぐに立て直し、体勢は安定した。木の枝や幹に目印が付いていることを伝えると、ミハエが先導する形で、フォーディンを背負ったシザサーが続いていた。
何とも言えない居心地の背で、フォーディンは考えていた。頂に立つ者が皆、同じではないのだ--と。そして、頂に立つべき者が頂に立った国がいかに幸福かということを、強く感じていた。
三人は、まもなく前線基地が視界に入ってくるというところまで来た。もう歩けます、とシザサーに伝えようとした時だった。
フォーディンは、微かながらもこちらへ向けられた視線のようなものを知覚した。シザサーに背負われたままの体勢で、首を左右に振った。
いない。
いない。
いない。………いた。
前頭部の左右からそれぞれ一本ずつ太く短い角を生やしている。この角が人々を病から救い、同時に乱獲される因ともなった。エイブベティス大陸以外からは姿を消したとされるブラウラグアの眷属。
エルユウグが、確かにこちらを見ていた。




