『24』
『24』
岩場に立ったキーオンは、その痕跡に気付いていた。だが、自身の後を追い、ルネルが険阻な岩を上ってくる姿を認め、その到着を待った。
自身とそう変わらない時間で、ルネルは岩を上りきった。ガゼッタ山での挙措動作から、只者でないことは既に知悉していたが、やはり身体能力はかなり高い。加えて、剣の扱いにも長けているという。ミーシャルールが、タクーヌと同様に全幅の信頼を置いているのも頷ける。
岩場に立ったルネルは、二の腕を摩りながら、「腕がぱんぱん」と微苦笑を浮かべた。その顔だけを見ていると、人並み以上の美しさは備えているものの、どこにでもいそうな二十歳そこそこの女にしか見えなかった。試してみよう--キーオンにしては珍しく、悪戯心に藉口した思いが芽生えた。
「ここが事故の現場らしい。どうだ、何か気付くことはあるか?」
「いま上ってきたところなんだから、ちょっと待ってよ」
そう言いながら、視線は既に辺りへと配られていた。やがて、行き来する視線が一点に定まった。その先には、崩れ落ちたという岩と残った岩との断面がある。
「やはり気付いたか」
「やはりって何よ?当然でしょ。あなたもとっくに気付いてる」
「そうだな。とりあえず、君の見解を聞こうか」キーオンが促すと、ルネルは頷いた。
「一目瞭然。これは自然に崩れた断面じゃない。誰かが意図して切ったのよ」
「そんなことが可能だと思うか?」
「普通の剣じゃ無理そうだけど、例えばタクーヌさんが持ってるくらいの長剣なら可能かな。まあ、普通はそこに考えは及ばないだろうから、気付かず事故って判断しても何らおかしくないよ」ルネルは淡々と言った。
力量ではなく武器の問題なのかと、キーオンは少なからず感心し、この女の武の力量も見たくなった。
「では、未だ意識不明の二人は犯人の姿を見ている、そう考えるか?」
「それはどうかな。これは武器さえあれば誰にでもできるっていう芸当じゃない。それが可能な者なら、二人に気付かれずに実行できるかもしれない」
「なるほどな」
まったく同意見だった。ルネル同様、キーオンもそこに考えが至ったわけだが、自身に可能かと問われれば、現時点では否定するだろう。恐るべき力だと言わざるを得ない。そして、そのような者がブラウラグア調査隊の任務を妨害するために暗躍している可能性が、極めて高くなった。
「ちょっと、ひとに喋らせるだけ?あなたの読み筋も聞かせてよ」
ルネルは口を尖らせた。そんな姿は普通の二十歳そこそこの女達と変わらない。
「いや、大したものだ。私の考えも君とほとんど同じだ」
「あら、そう。で、どうすんの?正直、あたし達だけの手に負える案件じゃなくなってきてると思うんだけど…。そもそもただの調査隊なわけだし、戦うって覚悟が皆にあるわけじゃないと思うし」
手に負えないと言いつつ、その口調に動揺の色は無い。キーオンは改めて、さすがだなと思った。既に先を見据え、戦うという覚悟へ心内を切り替えているのだろう。
「その通りだ。我々調査隊の手には余る。善後策を講じねばならないが、それもまた我々だけで判断・決定するのは難しい」
「ん?王太子様がいるのに?」
他意は無いであろうルネルの問いかけだったが、キーオンは思わず言葉に詰まった。
ルネルの問いには直接答えず、「やはり王君のアツンド様、左政武代のガルヴィ様にご報告して、ご指示を仰がねばなるまい」と説明し、すぐに岩場から降りる必要性を説いた。
それでも岩場から降りる際、キーオンはルネルを先に促した。ルネルが岩から降りたのを見てから降り始め、第二班の隊員たちの前に立つと、岩場にて得た情報を皆に共有した。加わて、行方不明者たちについても、何者かに拉致された可能性が高いことも指摘した。
少なくない騒めきが起きた。皆の顔に不安の色が滲む。それが最も濃く表れているように見えるのがシザサーだった。だが、キーオンはそんなシザサーの前に跪いた。
「今回の件は、既に我々の手に負える範疇を逸脱していると考えます。速やかに王宮へと赴き、アツンド様、ガルヴィ様に報告し、その後のご指示を仰ぐべきかと存じます」
「そ、そうだな。それで、どのようにする?」
「王宮へは、シザサー様と私の二人で参りましょう。他の者たちはひとまず、前線基地の旧ムトタンパ聖堂で待機ということで、いかがでしょうか?」
「わかった。そうしよう」
従順に頷くシザサーを見ながら、キーオンの心内には申し訳なさが募った。自我がなく、他者の言いなりとの評が定着しているシザサーだが、最近は少しずつ変わってきている側面もあるとキーオンは感じていた。特に、調査隊を前にブラウラグアへの想いを語った姿は強い印象を残した。
今回も、まずはシザサーの考えを聞くのが正当な道筋だと思う。だが、事は急を要するとの判断がそれをせず、問いかけに答える形とはいえ、自身の考えを先に披露することへ繋がってしまった。
「では、行きましょう」後ろ髪を引かれる思いだったが、キーオンは踵を返した。
その背に、「キーオン…」と呼びかける声が届いた。キーオンは即座に振り返った。
「いかがいたしました?」
語気が強くなったのは否めなかった。何を語るのかという期待が膨らんだ。
だが、シザサーはキーオンと目が合うと、「…いや、何でもない」と、首を振った。
何かあるのだと直感し、それを是が非でも聞きたいと願ったが、ここで無理強いすると、その何かは永久に出来しない可能性があると思い至り自重した。
「わかりました」とだけ告げるとキーオンは再び踵を返した。
シザサーとキーオンは、王宮内の玉座の間でアツンドと対面した。アツンドにしては珍しく、執務を行う席ではなく玉座に腰を下ろしている。その傍らには左政武代のガルヴィの姿がある。
確率は高くとも確証のある話しではないため、現時点でそれを伝える相手は少ないほど良い。キーオンはそう判断し、眼前の二人だけに面会を求めた。
シザサーからの挨拶が済むと、「今日はどうした?調査の進捗報告か?」と、穏やかなアツンドの声が響いた。
頂にある者を前にした緊張を強いるのではなく、聞く者の心に落ち着きをもたらすものと、キーオンが常々感じている声だ。それもあり、重く暗い話しでありながら、すんなりと説明に入れた。
事前にシザサーより、「詳細な説明はキーオンの方から頼む」と要請されており、それをキーオンは承諾した。説明にあたっては、出来るだけ細部に至るよう努めた。
説明が進むにつれて、アツンド及びガルヴィの表情には険しさが滲んでいった。それでもキーオンの説明が終わるまで、二人とも口を挟むようなことはなかった。さすがに、超が付く一流の男達である。
キーオンが話し終えても、しばらくは玉座の間に沈黙が流れた。キーオンやシザサーがその沈黙を破るわけにもいかず、序列の関係からその役目がガルヴィである筈もなく、三人はアツンドからの言葉を待った。
話を聞き終えてから目を閉じていたアツンドだったが、徐に両目を見開くと、「そうであったか。それは尋常ではないな」と口にした。言葉はたったそれだけだったが、その行間にどれ程の思考が巡ったのだろうか。
さらに、「キーオン、其方の言う通り、調査隊だけに実行犯および行方不明者の捜索を委ねるのは賢明ではない。この問題には、王宮をあげて対応にあたるとしよう」と続けた。
キーオンに異論はなかった。それが最善だと思っている。
「かしこまりました」と頭を下げた。その上で、「恐れながら、一つご進言いたしたき議があるのですが、よろしいでしょうか?」と、頭を下げたまま言った。
「無論だ」先を促すようにアツンドは短い言葉で応じた。
キーオンは、調査隊の第二班も捜索に加わらせてほしい旨を伝えた。これに対し、アツンド及びガルヴィからの反論はなく、その方向で話がまとまりかけた時だった。
「お待ちください」
弱々しい側面は否めなかったが、確かな声が室内に響いた。シザサーだった。
アツンドとガルヴィの視線を受け止め、なお、一歩前へ歩み出た。常らしからぬシザサーを斜め後方から見守る形になったキーオンは、その表情は窺い知れなかったものの、並々ならぬ決意を感じ取った。やはり、期するものがあるようだ。
「何か?」
アツンドは玉座にて微動だにせず先を促した。だが、話の流れに抗い意見する実子の姿が極めて稀であることに気付いている筈だ。向き合う父子は何を語らうのか。キーオンは胸の高揚を抑えきれなかった。
シザサーが語り始めた。
「実行犯および行方不明者の捜索に第二班も加わる旨の提案がキーオンよりありましたが、ブラウラグア調査隊隊長として私は、第二班は、現在ガゼッタ山及びナハトーク樹海という難所にて調査にあたっている第一班に合流し、共に行動したいと思っています。
もちろん行方不明者の安否は心配です。実行犯が存在するならば、それを許すことはできません。それらの捜索にあたることが、我々が今選択する正解なのだとも思います。
その一方で、一度始めたことを中座して別のことに取り組んでも、結果的に両方とも中途半端になってしまうという危惧があります。何故かと申せば、今回の調査隊はブラウラグアの調査のために集められた者たちであります。捜索へと即座に気持ちを切り替えられる者もあれば、後ろ髪を引かれる思いで捜索にあたる者もありましょう。皆が同じ方向に向かうことは難しく、一致団結した際に発揮される力は望めない可能性が高い。
捜索か調査隊か、そのどちらを選択するか…。先に結果が分かれば容易な選択になるのですが、そうもいきません。
私は自分の選択を信じたいと思います。思い切って、行方不明者等の捜索はより専門の者たちに任せ、我々は再び調査へと戻る。そうした道へ皆と進んでいきたいと考えます」
畳み掛けるわけでもなく、玄妙な語り口というわけでもない。それでも一語一語が胸に響いた。
自身の提案を覆す内容の新たな提案であったが、それが歯牙にも掛からない程、キーオンの心内は喜びで溢れた。父である王君アツンドに、王太子シザサーが面と向かって意見している。稀どころか、今までに一度たりとも無かったことだと断言できよう。それは成長以外の何物でもなく、シザサーに対する自身の考えに間違いはないのだという心証を、キーオンはさらに深めた。
「それは、調査隊の総意か?」
心内を窺い知ることが難しい声色でアツンドが問うた。
「いえ、総意ではなく、私の考えです。これから皆へ話し、納得してもらいます」
「納得してもらえると思うか?皆の納得がなければ、それは総意ではなく、先程お前が話した一致団結への道も遠いぞ」
「納得してもらえるかどうかは、正直に申せば分かりません。故に、私の言葉で、私の考え、そして私の思いを正直に伝えます」
「思い?」
「はい。皆はとうに承知していると思いますが、私には何の力も無く、誰かの助けが無ければ何一つ為し得ないという事実を、改めて明らかにします。その上で皆に助力を乞います」
「なるほどな。しかしそれは、調査隊の長として、あるべき姿か?」
「それも分かりません。そのような者は長ではないと断ずることも、そうした長がいても良いと確信することも、今の私にはできません。
なれば、自身の信じた道を、自身が信ずる仲間と共に進むしかない。その結果、解を得られれば良いと思います」
閉ざされた空間に一陣の風が吹いた--。恐らくそれは錯覚であっただろうが、キーオンは確かに風を感じた。
一方、アツンドは視線を上方へと向け、そのまま目を閉じた。そんな姿を見つめながら、自身が感じた風を或いはアツンドもまた感じたのではないか、とキーオンは思った。しばしの沈黙の後にアツンドは、シザサーの提案を受け入れることを告げた。
四者の話し合いは終わった。
シザサーの成長を目の当たりにして喜びに満たされたキーオンの身体は軽やかだった。だが、キーオンは気付いていなかった。
行方不明者が出た時点で、ブラウラグアの調査について見直すべきではなかったか--。その疑義をキーオンがアツンドに照会していれば、この時点でアルズスが講じた絡繰りに、首謀者は誰か等は別にしても、気付けた筈であった。しかし、臣下である故の無意識下での遠慮が、キーオンにそうさせず、また、キーオンの心内が、シザサーが実父に自身の思いをぶつけ、その先の行動を得たことに対する無常の喜びによって支配されたことも災いした。
畢竟、アルズスの絡繰りは未だ露見していなかった。




