『22』
『22』
深い宵闇の中とはいえ、自身を明かす灯がこの先も皆無であるとは言い切れない。仮に正体が明かされるようなことになれば何かと面倒だ。
王国街を囲む壁に設置された四つの門のいずれでもなく、王宮内でも数名しか知らない地下通路を通って王国街の外へ出たアルズスは、手にしていた大きめの頭巾を被った。全身を覆う衣と共に黒で統一され、闇に溶け込んでいった。
幼き頃から闇は嫌いではなかった。表向きは、王国一の教育機関との名をほしいままにしているセイトゥナ園でも史に残る才女。だが、その裏の闇に紛れて悪事に手を染めてきた。
セイトゥナ園への通園期間中、園内での自身の地位を脅かすような存在は見当たらなかったが、念には念を入れた。抵抗勢力になり得る可能性が一握でもある者や僅かでも自身に否定的な立場をとった者などは次々と陥れた。
その際には闇が奏功した。闇に包まれれば良心の呵責は薄まり、加減は働かなかくなった。悪事に浸る快楽を、闇が増幅させると、とことん追い詰め、或いはとことん蹂躙した。歯止めは闇の中に消失し、顔前の哀願する表情はさらなる悪意を駆り立てた。
アルズスの攻撃対象となり、精神を病んだ者は十指に余る。自ら命を絶とうとした果てに、結果的に死んだ者はいなかったが、身体に一生の障害を負った者も一人二人ではなかった。
それでもアルズスの悪事が白日の下に晒されることは一度たりとも無かった。常に証拠を掴ませない精妙な陥穽であることが多く、いよいよ隠し切れないとなった時にも身代わりが現れた。
アルズスの同級で、卒園を待たずに園を去った者は五人に及ぶ。最高峰の教育機関としては、異例の多さだと言えたが、その因がアルズスに帰結することはなかった。
セイトゥナ園を卒園するにあたっては首席、それも歴代屈指の成績で卒園することとなり、多くの者が賛辞を惜しまなかった。だが、ただ一人、園長だけは「慢心してはいけない」と諭してきた。同等、或いはそれ以上の成績を収めた者が、かつて一人いたと明かされた。後に知ることになるが、それがキーオンだった。
セイトゥナ園の卒園後は、王宮の幹部になるべく養成機関に入所した。精鋭が集うこの場でも、最優秀の存在であり続けた。
この頃には、セイトゥナ園で繰り返した悪事には手を出さなくなり、むしろ周囲の者を自身に心酔させることに注力した。洗脳ともいえる手法で、アルズスのためならたとえ悪事でも厭わず率先する者を増やしていった。そうした者たちとの関係は、今なお続いており、ブラウラグア調査隊のゼロンもその一人である。
養成機関においても比肩する存在などなく、通常の幹部候補生より二年も早い十七歳で王宮へあがった。これもまたキーオンと並んで最年少であった。
王宮で働き始めて最初の一年は、試用と称して様々な仕事を経験した。傍からみれば重要で、羨望される程の厚遇が約束された仕事が多かったが、アルズスの琴線に触れるものは無かった。
退屈--その一言に尽きた。悪事に手を染めていたセイトゥナ園時代や、心酔者を増やすことに注力していた養成機関時代と比べ、胸が高揚することはほとんど無く、凪いだ状態が常だった。そんな中で出会ったのが、ノールンだった。
当時のノールンは右政武代補佐で、アルズスもまた試用期間の中で右政武代の職務を補佐する仕事に就いた。この右政武代はかなりの高齢で、彼の仕事の大部分をノールンが差配していた。そうした姿を見て、他の者に比べれば仕事ができる男--とは思ったが、その程度の印象だった。
だが、ノールンはそれだけではなかった。王国や王宮の発展に努める気持ちは確かにあるようだが、それを遥かに凌駕する野心があった。
それを知ったのは、偶然耳にしたノールンと彼の妹の会話。その中で、妹が連れたまだ幼い子に向けてノールンは言った。「お前はいずれ王君になるのだ」と。その言葉の響きは真剣そのもので、冗談を言っているわけでないことは、顔が見えない状況下でも十分に伝わってきた。
エイブベティス王国の王君は代々、チオニール家が世襲している。一族が悉く滅ぶでもしない限り、それは変わらない筈だ。
だが、ノールンはそこに食い込もうとしている。闇雲に口にしているわけではなく、何か考えがあるのだろう。この話を聞きながらアルズスは、久しく忘れていた胸の高鳴りを自覚した。
試用の期間を終えたアルズスは、右政武代の下で働きたいと希望した。その狙いが右政武代ではなく、ノールンにあったのは言うまでもない。
ノールンと働き始めると、次第に彼はアルズスの秘める悪に気付き始めた。アルズスがそう仕向けたとも言えるのだが、そうしたアルズスの資質を平然と受け止め、活用した。
ノールンが表立って動けない裏の仕事がアルズスへと回ってきた。アルズスにとっては他愛もない仕事も多かったが、常に最上の結果で応えた。そんな日々は退屈ではなかった。そして現在、ノールンからの信頼は確固たるものとなった。
その一方で、アルズスの中で新たな悪意が芽生え、その高揚がノールンから齎されている日々を遥かに凌駕していること。それに付随した繋がりを構築し始めていること。これらはノールンも知らないことだった。
王国街の外に出てから約半刻ほど歩いた。幸い、誰とも会うことはなかった。
辿り着いたのは王国街から南東に位置する寂れた祠だった。役目を終えてからもう何年も経過しており、今では訪れる者もほとんどいない。言われれば思い出すが、普段は忘れているといった程度の存在だった。
だが、当初から多くの者が知らなかったが、この祠には地下室があった。堅牢な拵で、一度中に入ってしまえば外部に音が漏れることはなかった。アルズスは、この地下室を目指していた。
祠の中へ入ると、内部には歴代王君のうちの、とある二人の像が寄り添うように並んでいた。アルズスは、それぞれの像を引き離すように動かした。
するとそこには地下へ通じる入り口が現れた。歴代王君の像を動かす行為に対する畏怖が、この入り口の存在を秘匿し得た所以だろうが、そこに気を留めるアルズスではなかった。
アルズスは地下へと降りていった。そこにはセイトゥナ園に通う頃から慣れ親しんだ闇があった。灯を灯す気はなかった。
真っ暗闇の中、息も絶え絶えといった態の呼吸音が二箇所から聞こえる。まだ命を繋ぎ止めているようだ。
自身の心酔者を一人伴い、ネノの森で調査を行なっていた隊員二人を急襲した。その際の攻撃で絶命してもおかしくなかったが、調査隊に名を連ねる精鋭だけのことはあった。彼らは死ななかった。
だが、それが僥倖だったと言えるかどうか。今から始まる一方的な蹂躙。結果、彼らが絶命するのは間違いない。苦しみ死んでいくくらいなら、あの時、何も分からないまま命を落としていた方がどれだけ楽だったか。
いつの間にかアルズスの両手にはそれぞれ剣が握られていた。




