『20』
『20』
第二班隊員の負傷は、不運な事故によるものとされた。
立っていた岩場が崩れて二人は転落し、下方の岩場に叩きつけられた--。翌日、現場の検証に当たった第二班の他の隊員達は、そう結論づけた。
第二班によるブッパー森林山の調査については、調査隊による話し合いの結果、継続となった。継続の判断を下したのは隊長のシザサーだが、そこには第二班班長のカリーと副班長のテレ、さらには第三班班長のゼロンの意向が多分に影響した。
負傷者を出した第二班の者には、調査の中止を言い出しにくい側面があり、それらを汲んだカリーやテレは本意ではなくとも調査続行を訴えた。それは行方不明者を出した第三班も同様だったが、それ以上にアルズスの掌中にあるゼロンが、彼女の意を受け、やはり調査の継続を主張した。
第二班及び第三班の代表格に、こぞって調査継続を訴えられれば、今のシザサーにそれを拒否する器量はなかった。ただ、行方不明者に続き、負傷者の出来も重なり、第二班及び第三班の士気の低下は否めず、調査再開となると、それぞれ現場には赴いたものの、重苦しい雰囲気での質の低い調査に終始した。
そうした中、調査開始から約半月が経過した日の夜、第一班が旧ムトタンパ聖堂へ帰還した。
帰還した第一班の隊員達は庭に屯ろし、まずはキーオンだけが広間へと入室してきた。広間では、この日の調査を終えた隊員達に夜飯が振る舞われている最中だった。そこにはシザサー及び護衛者、ミハエも同席しており、第一班を除く全員が揃っていることになる。
待望--その表現がぴたりと当て嵌まる表情が、ほとんどの者の顔にあった。シザサーやミハエはもちろんのこと、カリーやテレといった歴戦の精鋭も例外ではなかった。ただ一人、ゼロンだけがその顔に緊張の色を走らせたが、それに気付く者はいなかった。
キーオンはシザサーの近くまで進むと跪いた。
「お食事中のところ、誠に申し訳ございませんでした。お食事が終わるまで、外にて待機いたします」言い終わるや否や立ち上がると、踵を返した。
「待って、キーオン。待ってくれ」
呆気にとられて反応が遅れたが、何とかキーオンが広間を出る前に呼び止められた。キーオンが立ち止まり、振り返る。
「食事を中断してでも、伝えなくてはならないことがあるんだ」
シザサーは立ち上がった。倣うように他の者も皆、続いた。ここでもゼロンだけがやや遅れた。
何かが起きたこと、或いは起きていることを悟った顔でキーオンは頷いた。庭で待機している第一班の隊員を呼び入れる許可を求め、シザサーが認めると、一旦退室し、次に第一班隊員を伴って再び入室してきた。話し合いは皆でということなのだろう。その間に第二班及び第三班の隊員達は、シザサーとミハエの席の周辺に整列しており、入室してきた第一班と対面するような格好となった。
約半月に及ぶ調査。しかも、向かった先は大陸でも屈指の難所である。
第一班隊員達の顔にも、さすがに疲労の色はあった。だがそれ以上に、精鋭中の精鋭ともいうべき面々は精悍さを増したようにも見えた。彼らを前にして、ここ数日波立っていたシザサーの心内が、ゆっくりと凪いでいく。
キーオンがいる。フォーディンがいる。ランスオブ大聖堂十官のミーシャルールもいる。紅一点のルネルの姿もある。タクーヌに至っては、疲労の色がほとんど見えない。そして自身とそう歳の変わらないデルも健在だ。
キーオンら王宮の者はいざ知らず、既知ではなかった者達、排除したいとさえ望んだ者達、彼らの姿にも励まされていることを自覚し、シザサーは過去の己を少し恥じた。
「シザサー様、第一班の十五名、第一次調査より無事に全員帰還いたしました。本来であれば調査のご報告をさせていただくところでございますが、シザサー様よりお話がある旨を承りました。謹んで拝聴いたします」
キーオンが跪き、他の者もそれに倣った。一連の流れに淀みはなく、王宮外の者も加わっている第一班だが、半月に及ぶ難所での共同作業が、彼らの連携を深めたことを窺わせた。
「跪かないでいい」シザサーは立ち上がるように促した。
「はっ」というキーオンの発声の後、第一班は全員立ち上がった。改めて向き合い、その存在に心強さを感じた。
「よろしければ、ご説明は私の方から」と耳打ちするカリーを制し、シザサーは自ら口を開き、第二班及び第三班に起きた事柄を説明した。
シザサーの説明は詳細に渡っており長くなったが、その筋は理路整然としていて分かりやすかった。これまでに余り見られなかった王太子の姿に、思わず目を瞠る者もいた程だった。難所にて命をかけたであろう第一班の面々への思いが、無意識下でシザサー自身への成長を強く促していたとも言えよう。
シザサーが話し終えると、広間にはしばしの沈黙が流れた。
「なるほど」
思わずといった態で零したキーオンの一言が沈黙を解き、さらにキーオンが続けた。「皆、思うところはある筈ですが、まずは私の感じたことを話しても、よろしいでしょうか?」
「もちろんだよ」と、シザサーは許可した。
「まず、第三班の行方不明者二名についてですが、自らの意志で調査隊を離脱したとは考えにくく、彼らの身に外部から何事かが起きたことは間違いないと思います。獣に襲われた可能性はもちろんあるでしょう。ネノの森に棲む獣の中には人を襲うものもありますし、食した獲物を放置せずに巣などへ持ち込む習性のものもおります。
それでも、当日及び翌日の捜索で何の痕跡も見つけられなかった点が少々気にかかります。獣に襲われたということは、確実に出血を伴います。襲われた地点が、そう、例えば水辺などの場合は血痕などは残りませんが、その他の場所であれば、血痕は残るでしょう。獣には痕跡を隠す必要はありませんから。ましてや一人ではなく二人です。二人同時に水辺で襲われ、その場で絶命し、その場で喰われてしまう。果たしてその確率は如何程のものか。極めて低いと判断します。
獣に襲われたという説を排除することはできませんが、それだけに特化させるのも、いかがなものかと存じます。とすると、他の可能性を探らなくてはなりません」
「他の可能性…」とシザサー。
「はい。真っ先に思い付くのは、何者かに拉致されたという可能性です」
「何だって?」
「誠に僭越ながら、不要との自己判断からシザサー様には申し上げておりませんでしたが、今回の調査隊の件につきまして、王宮内にも快く思っていない者が存在していると思われます」
少なくない騒めきが広間内に起きた。
動じていないのは五人ほどだろうか。そうしたことも想定していたであろうミーシャルールとルネル。元々、何を考えているのかが表情に出ないタクーヌ。王宮内のことには些かの興味もないフォーディン。起きた事柄を、自身の器に収めてしまっているデルソフィア。これにキーオンを加えた者達には、動揺の色は見えなかった。
「そうした者が二人を拉致したと?」動揺の色はありありと見えたが、シザサーの声は
比較的落ち着いていた。
「いえ。あくまで可能性の話です。ですが、仮にそうであるならば、こちらも覚悟を決めなくてはなりません。拉致は明らかな犯罪行為です。そうした行動に出た裏には相応の覚悟を伴っていると思われますので」
「そうか。でも待って。うん、確かに私に対して不満を抱いている者が王宮内にいることは知っている。私が不甲斐ないからね。でも何故、今回のブラウラグアの調査をそうした者達が快く思わないのだろう?」
「それは…」キーオンは言い淀んだ。言葉を選んでいる様子だった。
「王太子殿下の評価に繋がるからですよ」
思いがけぬところから声が発せられた。ミーシャルールだった。
「ミーシャルールさん…」キーオンの顔には窘める色が若干あったが、ミーシャルールは続けた。
「ブラウラグアが絶滅していたとしても、それを宣言できるだけの調査を殿下が率いる調査隊が成し遂げれば、王国民の多くは高く評価します。ここでは、殿下が率いた調査隊という点が重要になるのです。ましてや棲息していることを突き止めようものなら、殿下の評価は天井知らずでしょう。そうすると困る輩がいるんですよ」
「困る輩…?」
「次期王君に、殿下ではない者をと考えてる奴らですよ」
「ミーシャルールさんっ」キーオンの怒声が広間内に響いた。
「これは口が滑りました。忘れてください」ミーシャルールは頭を下げた。
忘れることは……無理そうだ。自身が次期王君に相応しいなどと思ったことは一度もない。それでも、次期王君に別の者と言われた今、心内は波立っている。現王君の父から遡る系譜への矜持は少なからずある。それを穢されることを厭悪している己を自覚する。
また、もしミーシャルールの話が真実なら、二人が行方不明となった原因は自身にある。不甲斐ない王太子のまま、家臣に出来した不幸を、苦笑の裏に隠すように見過ごすことはできない。
「キーオン」シザサーは絞り出すように名を呼んだ。
「はっ」王国一の逸材とも評される男は泰然とそこにあった。
「今回の二件について、もう一度調べてみてくれるかい?」
「もちろんでございます」
「ありがとう」シザサーは頭を下げた。
「おやめください。当然のことでございます。しかしながら、シザサー様の温かい思い、深く沁み入りました」と言うと、キーオンは、対面している第一班と、シザサー及び第二・第三班が立つ中間くらいまで歩み出た。
「皆、聞いた通りだ。我々は、ブラウラグアの調査と並行して、今回の変事に関しても改めて調査を行う。
よって、班を再編する。ガゼッタ山、さらにはその先にあるナハトーク樹海にて、ブラウラグアに関する調査を継続する第一班。ブッパー森林山とネノの森にて、変事の詳細を調査する第二班。この二つの班に分ける。班分けの作業については、シザサー様と私に一任してほしい。
以上、異論のある者は?」
声を挙げる者はいなかった。
「最後に一つ、よろしいでしょうか?」
キーオンは許可を求めてきた。シザサーは首肯した。
「行方不明者及び怪我人を出しながらも、調査を継続した皆を誇りに思う。我々はこの困難を越え、任務を必ず成し遂げると、いま改めて確信した」キーオンは高らかに宣した。
やや芝居がかっていたものの、精神的にも肉体的にも疲労し、追い詰められた者たちには、これが奏功した。多くの隊員たち、特に第二・第三班の隊員たちの顔には再び生気が宿り、士気も上がっていった。
しばしの後、班分けの結果が発表された。
第一班は、班長にフォーディンが指名され、ミーシャルールとタクーヌも名を連ねた。元第一班の者が比較的多いが、元第二・第三班の者も幾人か加わった。第二班は班長にキーオン。ルネルとデルソフィアはこちらに回った。カリーやテレ、ゼロンも第二班とされた。
そして発表の最後にキーオンは、「第二班にはシザサー様に同行していただく」と告げた。
班分けの意図について、キーオンからの説明は、特段無かった。ブラウラグアを最もよく知るフォーディンが第一班で、シザサーから依頼された形になったキーオンが第二班というのは当然の流れだろう。班長となったフォーディンの資質にも疑いの余地はない。
半月に及ぶ今回の調査は、結果的にガゼッタ山の一角にとどまった。
ガゼッタ山の切り立つ岩場は、紐を幾重にも編み込んだ綱を上から下へと通さなければ登れず、そうした岩場が無数に点在した。人ひとりが横歩きでようやく通れるような狭所も多く、そこから下を覗けば、その高さに隊員たちの足は竦んだ。
想像以上の難所に多くの隊員たちが四苦八苦し、調査は捗らなかった。四苦八苦した者にはデルソフィアもルネルも含まれ、苦もなく行動できていたのはフォーディンとタクーヌくらいで、キーオンやミーシャルールさえも苦労している様子だった。
そんな中、第一班を先導する役割を期待されていたフォーディンは、先を急ぐことはしなかった。
まずは難所で普通に行動できるよう、皆を慣らすことから優先した。連日のように、各難所での行動が繰り返された。その際もフォーディンによる手取り足取りの説明はなく、やってみせて、その姿から学び取ることを求めた。
ただ一言、「ひとりで出来ない時は仲間を頼れ。そのために数がいるんだ」とだけ発した。ぶっきらぼうで親しみなど微塵もない言い様だったが、これが隊員たちの心を掴んだ。
精鋭中の精鋭で構成された第一班。ともすれば、頼ることと不甲斐なさを同義としている者も多い。だが、困難を前に、頼ることは頼られることにも繋がるという思いの芽生えは新鮮でもあり、それ故に隊員たちの連携を深めた。
そうなれば、あとは早い。今回の調査が終わる頃までに、精鋭たちはガゼッタ山の難所を次々と攻略するまでに至った。
デルソフィアもまた、他の隊員たちと同様に、難所を攻略できる力を身につけることに精一杯努めた。そのため、今回の調査ではフォーディンと話をする機会はほとんど無かった。
調査はまだ始まったばかりで、今後、機会は幾らでもあると思っていたが、この班分けで第一班と第二班に分かれてしまった。興味を抱く者と離れてしまうのは残念だが、デルソフィアの中には、再びあの難所で行動を共にする時が来ると、確信にも近い思いがあった。
それに、この班分けで第二班とされた者たちに課された任務にも重いものがある。
行方不明者と怪我人が立て続けに発生したこと。不幸な偶然と言えるかもしれないが、特に前者の二人は未だに見つかっておらず、何ら解決していないと言えなくもない。
そんな状況下で調査の継続を命じた王君アツンドの采配には、些か疑問も感じる。相対して、その人品骨柄を目の当たりにしているから、なおさらだ。何か訳があるような気がしてならない。
それを知ることも行方不明者発見へ繋がる手立ての一つだと思うが、何よりも現場を見ることが先決だ。違う目で見ることによって、新たな発見があるかもしれない。第二班への配属が決まった次の瞬間から芽生えた変事への対応を考察する心は、徐々に徐々に大きくなり、デルソフィアの身内の多くを占拠した。いずれまたフォーディンと共にブラウラグアを追っているという確信に似た思いが、それをさらに後押しした。
そして、デルソフィアには神皇帝皇子として何不自由ない暮らしをする上で、多くの民に支えられていたという自覚がある。
バルマドリー皇国が世界の頂であるとするならば、エイブベティス王国の民もまた、自身を支えてくれた存在である。王宮に仕える者とはいえ、民であることに変わりはない。ならば、その支えに報いるためにも、彼らに困難が生じた時には救いの手を延べることが、頂にある者の責務であろう。皇国を離れている間に薄れていた思いが、再びデルソフィアを奮わせた。
同時に、第二班への同行を申し出たシザサーの気持ちが少なからず解るような気がした。
優柔不断で、家臣たちを牽引していくような姿勢はほぼ皆無。一方で、人一倍の優しさを誰に対してでも分け隔てなく向けられる資質を備えている。
その狭間で揺れ惑い、悩んで悩んで至った結論なのだと思う。今回の結論に至る過程に、シザサー自身の王太子としての矜持が介在したことは間違いない。
成長している。進化しているのだ、彼もまた。




