『19』
『19』
フルナブルの業の真髄は、いかに手際良く人を殺すかにある--。
その者は突如、闇の中から現れた。
とある書物庫の一隅に、忘れ去られたように収納されていた書。その書に記されていた地に一月程、毎夜通った果てのことだった。
痩身に黒色の套、性別を判別しにくい機械仕掛けのよう声色。一度発すれば後退ってしまうほど圧倒的な殺気。
上には上がいることを知った。
それから手解きを受けたのは二週間程。その間、殺しの業もそうだが、精神面を特に鍛えられ、命を奪うことへの良心の呵責は微塵も無くなった。命乞いの声は、ただの音として耳朶を通り抜け、真っ赤な返り血に染まる視界も見慣れていった。
二週間でどれ程の人を殺めたか。途中からは数を数えるのも止めた。
手解きの終幕を告げると、「誰も殺す者がいなくなったら、いつか私を殺しに来い」と言い残し、黒色套を翻して闇へと消えていった者。
滅びた筈のフルナブル族の末裔か否かは知る由もない。ただ、フルナブルの業を継ぐ者であるという。
それを伝えてきたのは、調査が開始されて四日目の夜だった。
ガゼッタ山、そしてナハトーク樹海を担当する第一班は、遠征に出ていて、この場にはいない。食糧等の関係から、半月程で前線基地に戻り、補給と休息の後、再び発つという繰り返しになると、フォーディンは説明していた。
一方、ブッパー森林山を担当する第二班と、ネノの森の第三班については、前線基地を早朝に発ち、夜には戻ってくるという形をとっていた。
その第三班の隊員達が血相を変え、旧ムトタンパ聖堂の広間に駆け込んできたのだ。これまでの三日間と比べて明らかに遅い時間になっており、シザサーとミハエが第二班の班長及び副班長から受けているこの日の報告も終盤に差し掛かっていた。
広間に入ってきた第三班の隊員達は、目の焦点が合っていない者、王太子の前にも関わらず俯いたまま顔を上げない者など、尋常な態ではなかった。辛うじて正気を保っているように見えるのが、最前にいる班長のゼロン・サニールで、さらに一歩前に出ると跪いた。
「シザサー様、ご報告は私が一人で行います。故に他の隊員達はそれぞれ自室にて休息することを、お許しいただけますでしょうか?」
ゼロンの声は震えていた。それが寒さからではないことは、シザサーにもわかった。
「もちろんだ。早く休ませてあげて」
シザサーの言葉を受けゼロンが頷くと、他の隊員達は深々と頭を下げてから踵を返した。出口へと向かう足取りは、皆一様に重い。
一体何があったのだ。逸る気持ちを抑え、シザサーは第三班の全員が退室するまで待った。
全員の退室を見届けると、「其方は大丈夫なのか?」と、変わらず跪き続けるゼロンへと問うた。キーオンの部下であるゼロン。もちろん知らない間柄ではない。責任感の強い男だということも知っている。その責任感が無理を強いているのではないかと心配になった。
「私は大丈夫です。今はいち早く報告することが最善となります」ゼロンは毅然と言い切った。
「分かった。聞こう」シザサーは先を促した。
この時、第二班の班長カリー・ラザと副班長テレ・マヌノが、退室する旨を申し出たが、それはゼロンが押し留めた。シザサーに許可を得てきたので、それを認め、同席を許した。深く首を垂れることで感謝の意を示し、ゼロンは口を開いた。
「お気付きであったかもしれませぬが、本来八名の第三班で本日この前線基地に戻った者は六名しかおりません」
ゼロンに言われ、そうであったかと振り返ると、確かに人数が少なかった気がしてきた。
「何故だい?」とシザサー。
「本日も前日までと同様に、二人一組でネノの森の各所の調査にあたりました。ネノの森入り口にある石碑が調査終了後の集合場所で、時刻は陽も落ちた後七の刻と定めておりました。しかしながら、隊員二名が約束の時刻になっても集合場所に戻ってきませんでした」
「戻ってこない?」
「はい。ただの遅れだろうと、しばし六名でその場にて待機いたしましたが、状況は変わりませんでした。よって、その場で待つ者と捜索する者に隊員を分け、二刻ほどの時をかけましたが、結果、彼らが現れることはなく、また、彼らを見つけることもできませんでした」
「ネノの森とは、それ程広大ではなかった筈…」
「仰る通りでございます。四名にて捜索を行いましたが、二刻の時でおおよそ八割方は潰せたと思います。陽も落ちた暗闇で灯火だけが頼り故、見落とした可能性も否めませぬが、それでも大の大人二人を見落としてしまうとは些か…」
ゼロンは沈黙した。つられるように皆が黙ったが、沈黙はシザサーが破った。
「どう思う?」と、同席する第二班のカリーとテレを見遣った。その視線を受け、班長のカリーが答えた。
「ゼロンの言う通りだと考えます。捜索にあたっては、呼び声も発している筈でございます。それを聞けば、仮に声を発せない状況下であっても、物音を立てるなど何かしらの反応を示す筈。それも無かったと考えると、こちらの声が聞こえない状態、もしくは物音を立てるなどの行動すら起こすことができない状態に陥っているのではないかと」
カリーが押し黙り、テレが引き継いだ。
「或いは、考えたくはありませぬが、二人はもう彼の地にはいなかったという場合も…」
「それは……連れ去られたということ?」
「はい。それが一つ。或いは…」
テレは言い淀んだ。
「何?」
この場にいるシザサーを除く者は皆、理解しているようだった。ただ、テレを含め隊員達は三人とも言いにくそうにしている。彼らの気持ちをミハエは察した。
解はあるが、それを口にしたくない。それが事実となった場合に、口にしたことに対する自己嫌悪。口にしなければそうならなかったのではないかという悔恨。それらを想定して押し黙っているのだろう。
とはいえ、解を求める主が眼前にいるのだ。誰かが口にしなくてはならない。それならばと、ミハエが口を開いた。
「ネノの森にも危険な獣が皆無というわけではありません。そうした類に襲われてしまえば……人の姿は残りません」
「そっそれは、獣に喰われてしまったということか?まさか、そんな…」
「可能性は零ではありません」
ミハエの言葉にカリーとテレも頷いている。
「しかし、そんな一日足らずで…」
「獣が一匹とは限りません。シザサー様もよくご存知の筈ですが、群れで行動するものもおります」
「うーん…」
一つ唸って俯いたシザサーの顔には弱気の影が差した。何も決断できず、他者への依存が度合いを増す。
「では、どうする?」
「ネノの森の調査はやめることにした方がよいのではないだろうか?」
「いや、待って。何よりもまず父上にご報告しなくていいのだろうか?」
案の定、誰に向けたかが定かではない、疑問形の言葉が相次いだ。このうち、最後の問いにゼロンが答えた。
「お待ちください。まだ何も明らかになっておりません。明日、第三班六名でネノの森に入り、再び捜索を行います。武装した上で六人で固まり行動いたします。アツンド様へのご報告は、明日の結果を待ってからでもよろしいのではないでしょうか?」
「そうか。うん、そうだな。うん、分かった。父上へのご報告は明日を待ってからにしよう。それとは別に、キーオン達への報告はどうする?第一班がここへ戻るまで、まだ十日はある。誰か遣いを出した方が良いのではないだろうか?」
再びの疑問形。これにはミハエが応えた。
「お言葉ですが、シザサー様。ガゼッタ山及びナハトーク樹海のどこに第一班がいるかを見極め、そこへ遣いの者を送るのは不可能でございます。第一班への報告につきましては、彼らがここへ戻るのを待つ他にありません」
「そうか…。こんな時に限ってキーオンが不在とは…」
心底弱り切ったという態のか細い声だった。それが皆の不安を煽っていることにも気付かない。
ゼロンもカリーもテレも、キーオン不在の不安はおそらく皆、一様なのだ。ミハエも同様だった。沈黙が続き、不安は増幅した。
堪りかねたように、カリーが「ひとまずは明日次第か。明日の捜索には、我ら第二班も加わろうか?」と、ゼロンに投げかけた。
「いや、それには及ばぬ。まだ事の次第が明確ではないのだ。調査も並行して進めるべきだろう。なに、六人もいる上に武装するのだ、心配いらぬよ」
「なら良いが…」カリーもそれ以上は続けなかった。
「では、シザサー様。明日、第三班はネノの森にて不明者の捜索に、第二班は引き続きブッパー森林山の調査ということで行動いたします。明日の捜索を担当する第三班の先導、及び明日の結果次第にはなりますが、今回の事態に関しますアツンド様へのご報告も、私が責任をもって担わせていただきます」
まとめるように話すゼロンの口調に淀みはなかった。
翌日の早朝に旧ムトタンパ聖堂を発ったゼロン率いる第三班六名は、陽が落ちてからもしばらく捜索を続けるなど、丸一日近くを費やした。だが、前日に行方不明となった二名の隊員を見つけることはできなかった。前日よりもさらに重い足取りで、疲労が色濃く滲んだ顔の六名が旧ムトタンパ聖堂の広間に現れたのは、日付けが変わろうとしている頃だった。
涙を必死に堪えているような顔で報告をするゼロンからは、無念さが溢れているように見えた。捜索の詳細を告げ、発見に至らなかった結果を口にした後、ゼロンはしばし沈黙した。
ゼロンの痛嘆は、ミハエには察するに余りあった。そこでミハエは、一つ提案をした。
「アツンド様へは、私がご報告いたしましょうか?」
この提案に対するゼロンの反応は早かった。
「お気遣い、感謝する。しかしながら、ご報告には詳細も必要となりましょう。やはり私がご報告にあがります」
「そうですか。では、せめて私も同道いたしますょう」
「それにも及びませぬ」
ゼロンは即座に拒否した。その語気の強さにミハエは思わず目を瞠った。
語気の強さにゼロン自身も気づいたのだろう。「ミハエ殿は、シザサー様のお側にいてください」と言って、微笑した。
その微笑は、この場には不釣合いで、どこかぎこちなかった。
第三班に休息が与えられた翌日、班長のゼロンだけが王宮へ向かった。王君アツンドへ、今回の事態を報告するためだ。
アツンドの場合、ゼロンが玉座の間にて直接報告することも不可能ではない。ただ、今回の調査隊ではキーオンが副隊長を務めており、そのキーオンの上長である左政武代のガルヴィを通してアツンドへ報告されるのが通例と思われた。だが、ゼロンが向かった先はガルヴィの部屋ではなかった。
その王宮内にある一つの部屋の前で、ゼロンは深呼吸を二度繰り返してから扉を叩き、来訪を告げた。ややあって扉が開いた。中から現れたのは、右政武代補佐のアルズス・ヨリトだった。
その日のうちにゼロンは旧ムトタンパ聖堂に戻った。アツンドが記したとされる書を携えていた。
シザサー、ミハエ、第三班および第二班の隊員を前に、ゼロンは書を読み上げた。ゼロンが書を読み終えると、小さくない騒めきが起きた。シザサーとミハエ、カリーとテレはそれぞれ顔を見合わせた。
ゼロンが書をシザサーへと手渡した。シザサーは書面に目を落とした。
王君印が押印されたその書には、日々の労苦や不明者が出た心痛を労う言葉が並べられた後、調査を継続するよう記されていた。
アツンドの書によって調査は継続された。第三班への人員補充は無く、六名での調査が続いた。
そして調査再開から六日後、それは起きた。
今度は、第二班の隊員ニ名が調査中に負傷。いずれも意識不明の重体だった。




