『1』
『1』
バルマドリー皇国のあるバルマドリー大陸から東方に蟠踞するのが、エイブベティス大陸並びにエイブベティス王国である。王国は皇国の属国という位置付けではあるが、相応の裁量権も与えられており、各王国がそれぞれの特徴を活かして繁栄していた。
世界には大陸が五つある。バルマドリー大陸を中心にして、おおよそ東西南北それぞれに一つずつ大陸がある格好だ。五つある大陸のうち、エイブベティス大陸の面積が最も広く、その大半は森、山、草原、湿原、川、湖などの自然によって占められている。
エイブベティス王国が建国されたのは、バルマドリー皇国が興されてから数年後のことで、現在四つある王国の中では二番目に古い。
広大で豊かな自然に寄り添い、守り、その恩恵を受けることでエイブベティス王国は発展を遂げてきた。自然に対し、破壊することなく、時に凶暴の極みとなった際にも辛抱強く共存の道を探った。自然を敵に回すことをしなかった結果、王国存亡の危機とも言うべき事態の出来はなく、今日までの長い歴史を紡いでいる。
建国当初から現在に至るまでエイブベティス王国を統治するのは王宮。王宮は、皇国における皇宮と同じ位置付けで、王宮による王国統治は、他の王国も同様である。
王宮の頂に君臨するのが王君で、王宮を中心に王国街が広がる。これもまた、皇宮及び神皇帝、皇国街という皇国と同じ様相を呈している。
代々、エイブベティス王国の王君にはチオニール一族があり、現王君のアツンド・チオニールは第十九代にあたる。
アツンドは現在、六十二歳。先代王君である実父を若くに亡くしたため、在位はまもなく四十年に届こうとしている。
エイブベティス王国の頂に約四十年、アツンドは君臨し続けている。長きに渡る権力は腐敗しやすいと考えられ、四十年という期間は充分条件と言えよう。
だがそれは、アツンドにおいては当て嵌まらないだろう。
時に過ぎるきらいはあるものの、真面目一徹のアツンドの性格は多方面に波及していた。特に政では、頂にあるべき者の在り様を常に体現するかの如く、王国民への愛情や慈しみに溢れた先導で、多くの支持を得ていた。
そんなアツンドを支えてきたのが、王妃であるミエイル・チオニールである。エイブベティス王国の中でも有数の名家の長女として生まれ育ったミエイルは、礼儀作法や所作をはじめ、その為人は王妃として申し分なかった。
また、頂の地位にある者としては珍しく、アツンドの妃はミエイル一人だけだった。なかなか子宝に恵まれぬ中でも、第二、第三といった王妃を迎え入れなかったアツンドのミエイルへの愛も、真面目一徹そのものであろう。
そうして連れ添うアツンドとミエイルの姿は民の憧憬の的であり続けた。
当該の二人、さらには多くの民が待望した王太子の誕生には、アツンドとミエイルが結婚してから十六年の時を要した。アツンド四十七歳、ミエイル三十六歳の時で、王太子はシザサーと命名された。
待ち望んだ我が子の誕生に、アツンドとミエイルの喜びは計り知れないものだったが、特にミエイルは息子を溺愛した。有形無形の別なく、限りない愛情を、それこそ果てしなく注ぎ続けた。
時に親として厳しさを示さなくてはいけない場面でも、ミエイルはその責を果たさなかった。王太子の育児・教育を担う家臣も当然いたが、王妃への配慮や忖度から、それらには悉く甘さが滲んだ。
畢竟、厳しさを示す役割は父であるアツンドへと巡ってきたが、王君であり、かつ名君とも讃えられるアツンドの日常は多忙を極め、待望の我が子とはいえ、自身の時間の全てを捧げることなど到底適わなかった。限られた息子との時間の中では、アツンドもまた甘さや優しさが次々と溢れ、厳しさを示す場面は、ほとんどなかった。
そうして現在、シザサーは十五歳になった。大きな病や怪我もなく、ここまで育ったことは何ものにも替え難く喜ばしかった。
だがアツンドは、「後悔、先に立たず」の言葉を、特に最近は頻々と痛感している。
厳しさがなく、甘さや優しさの中で育ってきたシザサーからは、脆さや弱々しさばかりが際立っている。"穏やか""心優しい"といった言葉に何度もすり替えてきたが、齢六十を越え、いよいよという時が迫る中、アツンドの心内には無数の不安が掻き立てられ、日増しに募る焦燥を持て余した。
後継--。
その言葉が、それに纏わる凡ゆる事象が、現在のアツンドに重く重くのし掛かっていた。