『12』
『12』
二度目の登山も清々しいものだった。
木々の隙間から注ぐ木漏れ日は美しく、心を癒した。吸い込む美味な空気と、それに代わるように吹き出る汗とが、身体を内から綺麗にしてくれる。
デルソフィアは、ミーシャルール、ルネル、タクーヌと共に、再びフォーディンの山小屋を目指していた。
前回の訪問から二日しか経っていない。立て続けに訪問する理由についてミーシャルールは、「その方が饒舌になる」とだけ説明した。
腹の底どころか、その一端程度しか見せていないフォーディンの考えや気持ちを、ある程度までは聞き出したい。何かをするにしてもそれから、ということなのだろう。
一方で、二日という短期間だが、何もしていなかったわけではない。ルネルと、剣の稽古を始めたのだ。
受諾してくれる確信がないままのデルソフィアの申し出を、ルネルは快諾してくれた。これまでも旅中の稽古を欠かさなかったというルネルは、「一人でやるより、二人でやる稽古の方が遥かに有益。まあ、相手にある程度の練度は必要だけど、自分から言い出すくらいだから、そこは大丈夫でしょ」と、悪戯っ子のような笑みを湛えた。
「大丈夫だ」と笑みを返したデルソフィアは、タクーヌの名を挙げた。
「タクーヌさんも、もちろん稽古してる。でもあの人、稽古してる姿を他人には見せないのよ。きっと必死になって顔を歪めたりしてるのを見られたくないんじゃない。あたしもそんな姿、ちょっと見たくないし」ルネルは舌を出して戯けた。
確かに、寡黙でほとんど表情を変えないタクーヌの必死の形相など、想像できなかった。だが、この後、必死の形相かどうかは定かではないが、タクーヌが日々、厳しい鍛錬を己に課しているとの確信を、デルソフィアは持つことになる。
それは、稽古を始めてすぐに知った自身を遥かに凌駕するルネルの力量と、そのルネルが口にした「タクーヌさんは、あたしよりも強い」という言葉によって齎された。
ルネルは強かった。ハーネスとの稽古によって培ってきたものが、到底及ばないことを知った。さらにその上にタクーヌはいるという。具体的な高みを目の当たりにしたデルソフィアに、喜びと活気が漲った。まだまだ強くなれる--かつてそう示してくれたハーネスの言葉が蘇った。
「筋は良い、と思う。だから、努力を怠らずに続ければ、まだ強くなれるんじゃない」
ルネルの言葉も、真っ直ぐ身内に入ってきて輪をかける。デルソフィアが稽古の継続を願い出ると、ルネルは即答で承諾した。稽古相手としての練度には至っているという事実が喜びを倍加させ、今もデルソフィアの足取りを軽くさせていた。
前回よりも少し短く感じた時間で、フォーディンの山小屋に到着した。幸い、フォーディンは在宅していた。
相変わらずの無表情だが、「今日は何だ?」との問いかけだけでなく、纏う雰囲気からも、追い返したいという色は感じなかった。こちら側からの一方通行ではなく、フォーディンの興味が、こちら側にも向かっていることをデルソフィアは確信した。
「いえね、この若者達がブラウラグアやエルユウグの話を聞きたがるもので。私なりに知っていることは話したんですが、いかにも物足りないって顔をしましてね。それならフォーディンさんに聞くのが一番って。でも、つい先日訪れたばかりだから、少し間を置くのが礼儀だって言ったんですが。まあ、これって目標や目的を見つけたら、若い奴らは猪突猛進ですから。困ったもんです」
ミーシャルールの口調は、いつもと変わらず飄々としていたが、デルソフィアは若干呆れた。そんなやり取りは一切なかったからだ。まさに口八丁の創作だ。
しかし、フォーディンに負けず劣らず無表情が常のタクーヌは別にして、ルネルも肯定するように頷いている。ミーシャルールの創作に乗っかるようだ。仕方なくデルソフィアも頷いてみせたが、それはやや曖昧になった感は否めなかった。
フォーディンの無表情は変わらなかった。故に、ミーシャルールの創作を信じているのかいないのか、表情から判断するのは難しい。
「立ち話で済む程度の話しか知らん」フォーディンは唐突に切り出した。
「その程度の話を聞くために再び山を登って来たとは御苦労なこったが、まあ、中に座れる椅子が無くはない」それだけ言うと、さっさと一人で小屋の中へと戻っていった。ただ、扉は開け放たれたままだった。
微苦笑を浮かべたミーシャルールを先頭に、四人は山小屋へと入った。
小屋内には基本的に必要最低限のものしかなかったが、壁際に比較的新しい木製の丸椅子が五つ程積まれていた。その数と小屋内の在り様にデルソフィアは違和感を覚えつつも、タクーヌと共に二つずつ小屋内の中央付近に運んだ。
フォーディンが普段使いの椅子に腰を下ろし、視線で四人にも着席を促した。四人がそれぞれ椅子に座るのを見計らって、フォーディンは口を開いた。
「ブラウラグアとエルユウグについて、お前さん達が知っていることを話してみろ」
"お前さん達"と言っているが、フォーディンの視線は何故かデルソフィアを見据えていた。それは誰の目にも明らかで、ミーシャルールやルネルにも促されたデルソフィアは、自身が知る限りのことを披露した。
デルソフィアが話している最中、フォーディンは目を閉じていた。聞き終えると目を開いたが、無表情は相変わらずだった。
「エルユウグが絶滅に瀕しているのは乱獲が原因だ。角から精製される薬が良く効くなんてのは昔の話で、結局のところは人の貪婪に起因した狩りに歯止めがかけられなかったのだ」
トズも同じようなことを言っていたのをデルソフィアは思い出した。トズとは異なり、フォーディンの口調は淡々としていたが、怒りや無念を押し殺し、それすら悟られぬようにしているのが、眼前の無表情に繋がっているのだと察した。
「では、ブラウラグアは何故、…絶滅したのだと思う?」フォーディンの視線は再びデルソフィアを捉えた。
「絶滅した」の直前、フォーディンが僅かに言い淀んだことをデルソフィアは聞き逃さなかった。やはりフォーディンは、ブラウラグアが絶滅したとは思っていないのだ。とすると、真の無いこの会話は余り意味を為さない。尤物と評した男の瞞着にふっと湧いた悔しさが引き金となってデルソフィアは口を開いていた。
「ブラウラグアの棲息を誰よりも信じているあなたが何故、絶滅したなどと言う?」
次の瞬間、小屋内には沈黙が走った。
だが、各者の表情は雄弁だった。フォーディンは眉間にしわを寄せ、ルネルは目を瞠り、タクーヌでさえ瞬きを数回繰り返した。そしてミーシャルールは破顔し、即座にそれを押し隠した。
タクーヌはさておき、フォーディンの無表情が崩れた。崩したのはデルソフィア。訊きたくても訊かないという大人にありがちな忖度とは無縁な男の真骨頂とも言え、その痛快さがミーシャルールの顔を綻ばさせた。故に、咎めるどころか制止する気もさらさら無く、しばらく成り行きを見守るつもりでいた。
「言っている意味が分からんな。ブラウラグアの絶滅など、幼子でも知っている常識であろう」表情だけでなく、口調にも微かながら怒りが滲んだ。
「確かにそうだ。だが、証明されていない。だから、絶滅を信じていない者達がいる。あなたが、その筆頭であろう」
「そうか。その話は聞いていたか。ならば、ちょうど良い。お主に話した張本人も同席しているしな」そこで一旦、ミーシャルールに視線を向けてから、「その話はな、戯言だ」と続けた。
「戯言…」とデルソフィア。
「そう、戯言だ。まさか信じる奴がいるとは思わなかったがな。まあ、お前達も本心では信じていないのだろう」
フォーディンは口元を歪めた。無表情を装えなくなっていると、ミーシャルールは判断した。
伝説とまで称された狩人も、神皇帝皇子を前にすれば、只人とならざるを得ないのか。いや、神皇帝皇子ではない。その地位を放擲し、新たに世界を先導すべき者だ。
あなたの力不足ではないよ--ミーシャルールは心内で、そう語りかけていた。
「残念だったな。少なくとも二人は信じている」
今度はデルソフィアがミーシャルールへ視線を送った。ミーシャルールは微苦笑で二度頷いた。
「三人よ」ルネルの声に迷いは無い。
「四人だ」久々に聞くタクーヌの声にも揺らぎは無かった。
フォーディンの眉間のしわが深さを増した。ふんと鼻を鳴らし、「勝手にすればいい。お前達が信じようが信じまいが俺には関係ない」と言い放った。
さらに、お手上げだとでも言うように両腕を広げ、「それに…」と口にした時だった。
来訪者の存在を告げるべく、小屋の扉が外から叩かれた。一瞬の沈黙が走ったが、ミーシャルールが「どうぞ」と、応答するように促した。
フォーディンは無言で頷き、扉の前まで行くと、それを開いて外に出た。フォーディンの姿はデルソフィア達からは見えなくなったが、扉が開け放たれたままだったので、声は聞こえてきた。
来訪者は、キーオン・バンと名乗った。王太子の遣いであった。




