消えた物資
ある独立商人の目に映るモノ
寒さと飢えというのは、人から冷静な判断力を奪う。それを実感する。
昨年の冬季を目前に逝った友人を思い出す。
あいつもこの寒さと、飢えを感じ、失意の中に逝ったのだろう。
俺は自分のことに手一杯で、アイツを救ってやることが出来なかった。
衛士の連中が篝火の前で震えている。当たり前だ。
こんな海岸で無計画に何日も俺達を拘束しているんだ。何時終わるのかも見当がつかない。
馬鹿な王太子が一度初めてしまったことに引っ込みがつかなくなったのだと、連中の噂話からも伺い知れる。
何も遮蔽物もないこの場所で、食い物も与えられず、意識を失うやつが出て、せめて焚いた塩水だけでもと急遽それが振る舞われたが、それも長く続かないだろう。
縄をうたれたままうめいていた奴が、恐らくついさっき逝った。
口も目も見開いたまま目の前を転がっている。
アイツは無事に逃げ切れただろうか。そのはずだ。
捕まったなら、俺より後にやってくるはずだ。少なくともここへ運び込まれた様子はない。
他の漁港でもこうやって集められているのなら、話は別だが。
俺もそう長くはないだろう。雲が厚い。
この風が吹くまま、雨でも降り始めれば、ここで勾留されている連中は全滅する。
向こうから荷車がやってきた。
あれは何処の連中だ。荷を積んでいる様には思えないが。
陽が沈み、いよいよ降り出した霧雨の中、篝火が灯る衛士の野営地に、コ・ジエたち一同は漸くたどり着く。
「ディル領のコ、ジエだ。不在の領主に代わり、こちらへ話をしにやってきた。責任者を呼んではもらえないか?」
コ・ジエが衛士の一人に話しかける。それに応じ、衛士は何処かへと走り出す。
「おっちゃんはどこ?」
荷車の取っ手を手放し、由佳は薄暗く、冷たい霧の広がる周囲を見渡す。
「ここに滞在している衛士隊の隊長の一人、リオルだ。ディル領のコ、だったか。何の用だ。」
現れたリオルはその場の一同に目を向ける。と、そこに居合わせる顔に気づく。
「あんたは。」
自分の記憶とは髪型と服装が異なるが、目鼻立ちから、幢子の存在に気づく。
「前にあった事がありますよね。ポッコ村がオオカミに襲われたときに来ていた衛士の隊長さん。」
幢子は硬い表情のまま、相手の顔を見据える。
「出来ればちゃんと事情を伺いたいのですけれど、まず物資を流通に乗せてもらいたいです。それがないと、領民が飢えますので。大勢が亡くなることになります。」
見知った顔を前にしても、幢子は表情を崩さなかった。
「ない!?」
幢子は思わず叫び声を上げる。
「王太子殿下の許可を得たって、ディル領の役人が受け取りに来ただろう。引き連れた幾つもの荷車に乗せて少し前に領主の館へ運んでいったはずだが。」
「そんな指示をした記憶はない。コヴは王都からまだ戻らぬし、我々は領主の館から歩いてきたが、そんな一団とはすれ違っていない!」
リオルの返答に、コ・ジエは思わず言葉を荒げる。
「そんな事を言われてもよ。じゃああの物資はどこへ行ったっていうんだ。塩、乾豆、木材、草布生地を選んで荷車に乗せたぞ。」
「乾物は?後、貝殻も。それにこっちから輸送してた灰と木酢液は?」
幢子は矢継ぎ早に荷の行方を問う。
「貝殻やら、海藻の干したヤツは今回は運ばなかったからまだ集積地にあるはずだ。モクサクエキというヤツは毒の密輸の証拠だからって王都へ運ばれた。灰は、ひっくり返されて集積地に積み上がってるよ。あれはどうするんだってさっきも聞いたんだ。」
「ジエさん。」
「荷は何処へいったんだ!」
幢子の言葉すら遮るように、コ・ジエは叫び取り乱す。冷静さを失い、顔を赤くする。
「そう言われても、よ。」
改めてリオルも顔を歪ませる。
確かに、荷の行方について見届けなかった事と、確かに、言われるまま荷を積み込み、相手の確認を怠ったことは自身の失態であると思い始めていた。
「おっちゃんはどこ?捕まった人たちは!」
会話に割り込む機会を伺っていた由佳は、その一寸に割り込む。
「誰を探してるか判らねえけど、あっちで集めてるよ。俺達も困ってるんだ。どうするのかって指示も来ねぇし、この冷たい雨の中で。今、慌てて海の塩水を薄めて、焚いて振る舞ってるんだ。」
「即時開放してください。」
コ・ジエはリオルに掴みかかって訴える。その必死の形相にリオルの胸中は締め付けられる。
目を逸らすとその先でも、幢子が睨みつけるようにしてリオルを見ていた。
「わかった。わかったよ。指示も来ないし、荷の行方もわからない。どうしようもない。これ以上責任だけを被せられるのはこっちも御免だ。おい!」
「おっちゃん!おっちゃん!」
駆け出した衛士と共に走った由佳は、叫びながらそこへ駆け込み、一人ひとりの顔を見て回る。
「随分、騒がしい声だ。静かに寝れねぇじゃないか。」
掠れた声が弱々しく呻く。由佳はその声の主に飛びつく。
「お前も捕まったのかよ。逃してやったのに、格好が付かねぇじゃねぇか。」
間近にある涙で腫れ上がった顔に、白髭の男は呆れた様に言う。
「馬鹿言うなよ、おっちゃん!おっちゃんを助けに来たんだよ!しっかりしてくれよ!」
両手で抱えたその耳は冷え切って、身を切るような潮風に真っ赤になっていた。
由佳はそのまま冷えていくのを引き止めるように男を思わず抱きしめた。




