北からの吹き込み風
衛士リオルの手記 冬季の訪れ
捕縛した商人たちは滞在を続ける漁港の野営地に捉えられたまま、食事も与えられていない。
そんな中、北から強く冷たい風が吹く。
更に間の悪いことに、空を徐々に厚い雲が覆い始める。
篝火の下であっても、寒さを感じる。
商人たちに一時的に意識を失う者も出始めたが、この野営に彼らに配給する食料も、肌寒さを和らげる重ね着もない。
この取り調べと勾留自体が、そもそも何の計画性もないものであったからだ。
あるとすれば、彼らから押収した物資だ。
だがそれに手を出すということは、元々彼らがそれを運ぶはずだった相手が飢えるという事である。
取り調べた彼らの言葉をそのまま信じるならば、これらはディル領が買い入れ、そしてディル領の領民が得て、用いるはずだったものばかりだ。
ディル領のコヴと面識を持ったこともある身としては、あのコヴが自らの私財としてこれらを領民に差配しない事は考えにくい。
事前の噂にあるように、私蔵する陶器を捨て値で売り払い、それで納税を済ませる程、領の運営が厳しいのであれば、尚更だ。
昨年の王都での非定住者たちが、飢え事切れていくのを見たことを思い出す。
あの冬が始まるのだ。
今年もまたあの謎の疫病が流行するならば、ここにある物資は今ここで、死蔵している事になり、更にここで勾留されている独立商人たちは、荷を運ぶ事もできない。
令を出している王太子殿下は、何も知らせを送ってこない。
コ・ジエの一行が領館にたどり着いた時には既に、事態を察した役人が集まり滞在をしていた。
「全ての荷が止まっている、と言う事でいいのだな。」
現れたコ・ジエの前に報告を上げた役人が静かに頷く。
「コヴも王都からまだ戻られていません。事態を鑑みるに、まだ王都にいらっしゃるのかと。」
コ・ジエは頭を抱える。側に立つ幢子もまた顔を歪める。
「領館の備蓄があるならそれを森林部開拓村へ送れないかな?南部の農村には三の豆があるとしても開拓村は基本的に輸送される食料頼りだし、何か送らなきゃまずいよ。」
幢子の提案を、右手で押さえて一旦抑止すると、コ・ジエは目の前に並ぶ役人たちを一瞥する。
「こういう事態を考えた備蓄は今後の課題ですね。取り急ぎ、荷車はありませんが乾豆を持てるだけ持って各村へ役人が向かってください。向かった村から人を引き連れて戻り、再度持ち出しても構いません。我々は、急いで流通を回復させないと。」
役人たちは各々頷き、それと同時にコ・ジエは一枚の書面を書き上げる。
「この文面を清書し、開拓村へ持参を。食料の節約の次第と、防寒に関する指針、生産量の目安です。なるべく、教会、複数人で共同生活を行い、燃料の節約を。食事は共同で一度に炊き出しを徹底し、同時に遠慮、我慢する人の出ないよう指示を行ってください。」
そう述べると、コ・ジエは席を立つ。頭の中を占めるのは、昨年冬季の村々への訪問での苦い思いばかりであった。
「トウコ殿。一緒に行って倉庫から食料を貰ってきてください。ユカ殿は屋敷の井戸で水を汲んで来てください。私は屋敷の窯に火を入れますので、それで水を炊きます。役人たちの出立前の準備を整えて、それから直ぐに独立商人の勾留が行われているという漁港へ向かいます。」
幢子と由佳は頷き、それぞれその場を飛び出していく。
寸瞬を遅れて、それを漠然と見ていた屋敷の家令が、慌てて、窯場へ向かうコ・ジエを追った。
その日の内に、三人は屋敷をたち、平野部へ出て一日程の漁港へと足を向ける。
「そうだよ、この道だ。」
由佳は見覚えのある場所へ駆け出て、辺りを見回す。
今は陽は昇っているが、丁度あの夕暮れ時に騒動と遭遇した場所であった。
「おっちゃんは少し戻った所に、荷車を隠したって。無事に済んだら、今度からはそれを使えって。」
「荷車?」
周囲を見回す由佳を、幢子は足を止めそれを目で追う。その間もコ・ジエは道を征く。
「あった!あれだ。」
農道の東屋の影に、荷を積んだままひっそりと横付けされている荷車を見つけ、由佳はそれに飛びつく。村内の作物の輸送用と見間違われるかの様にそこにあった荷車の取っ手を、由佳は握る。
「何が積まれてるのかな。」
幢子はその姿を追って駆け寄る。由佳が荷車を引くと車輪が静かに回りだす。荷台の積載量に比べて、重さがそれ程でもない事に由佳はすぐ気がついた。
「わかんない。おっちゃん何を運んでたんだろう。」
農道へ荷車を乗り入れると、由佳は広い草布を掛けられた荷を確認する。
「防寒具、かな。中に仕込まれてるのは羽毛?結構な枚数があるよ。」
その言葉に、コ・ジエは足を止め、二人のいる荷車の方へと急ぎ足を向ける。
「先の冬季の報告に、リゼウ国でそういった物を多く作ったと聞いています。北部の積雪がある寒村での住民救助に成果があったと。輸送団の物資の目録にも含まれていたはずです。」
「そっか。こっちも積雪があった去年は被害が出たよね。京極さんが輸送団とは別口で送ってきたんだよ。きっと。」
寒さに凍え、抱き寄せて暖炉の前で身体を温めた子供の手の冷たさを、幢子は思い出していた。
「おっちゃん、リゼウ国に行くって言ってたけど、本当に、これをこっちに運んできてたんだね。」
由佳は、身代わりに捉えられた白髭の商人の顔を思い出す。
ほんの些細な事であったが、間際の勘違いの一言の記憶が、心の奥をチクリと刺激した。
一同は荷車と共に、再び道を行く。
カラカラと音を立てる荷車の背を押すように、強く冷たい北からの吹き込み風が、そこを通り抜けていった。