細川由佳が助けたい人。
ある青年独立商人の手記 よん
組合本部に手紙を届けると、新しい仕事として随分割の良い依頼を紹介された。
どうやら、届けた手紙は一種の紹介状みたいなものらしい。
そういう物があるらしいというのは元の世界に居た頃から知っていたが流石に初めてみた。
内容は信頼できる独立商人にのみ開示される依頼で、そこには細かい制約事項と一緒に貨幣や豆の歳末一括払いなどが並んでいる。
冬季の納税期に国家や領から清算支払いという事らしい。
見えるものがまるで違っていた。
ただ開示条件にも違いがあるようで、そういったものは更に個別の紹介状が必要になるらしい。
あの白髭の商人は西側に行くと言っていたから、少し東に行こうと思う。
ディル領の漁港で積んだ荷を領主の館に運ぶというのが幾つかある。
これも今回開示された依頼だ。
「あのさ、こういうのちょっと切り出しにくいんだけどさ。」
細川由佳は、目の前にスープを持ってきた黒髪で黒眼、年上と思わしき気さくな女性に、意を決して話しかける。
「日本人、だよね?」
「やっぱり!そうだと思ったんだよ!」
幢子は満面の笑みを浮かべて、由佳の手を取る。
「私は河内幢子。貴方は?」
目の前で目を輝かせて手を取る幢子に動揺しながらも、由佳は俄に表情を崩す。
「ほ、細川、由佳。よがっ、た、アタシだけ、じゃ、なかっだんだ。」
瞳に否応なく湧き出る涙を拭いながら、由佳は幢子の手を強く握り返す。
「ほら、ね。落ち着いて。まずはスープ食べよう?話はその後、ゆっくり聞くから。」
幢子にしてみれば、いつかはこういう事があるかも知れないと思っていた事であった。
自分だけでなく京極栄治が居る点からみて、複数人がこの世界に招かれている可能性は高いと考えていた。
「これでもこの領の領主様に顔が利くんだよ。この村も半分の半分くらいは任されてるし。ね。」
由佳は泣き声を上げながら何度も何度も頷いた。その度に幢子の手を強く握る。
教会へ招かれている穏やかではない来訪者に、ポッコ村の子供達が気になって扉の隙間から覗き込んでいる。
その間を割って、炊き場からスープの椀を手に、エルカとコ・ジエが教会の中へと踏み入ってくる。
「ジエさん、この子、何か大変なことがあったみたい。話を聞いてあげて。」
当のコ・ジエは、幢子の手をとって泣いている人物が、幢子と同じ様に黒髪である事にまず気が行く。
そして泣き顔ではあるが、その顔立ちが幢子と並ぶと、まずある種の連想が働かざる得なかった。
「トウコ殿、この方はもしや。」
「そうだね。私や京極さんと同じ出身かも知れない。でも、それは後だよ。」
教会のテーブル越しに対座に腰掛け、コ・ジエは彼女を見る。
泣き止む様子が見られず、困っていた所、エルカが由佳の隣に座り、その肩を抱き寄せる。
「安心してください。トウコ様もジエ様も力になってくれます。もう大丈夫です。」
「そうだよ。ジエさんはこの村の責任者だけど、領主様の息子でもあるから、何か困ったことがあれば解決してくれるよ。」
「おっちゃんが、衛士に連れて行かれたんだ。」
由佳が話し始める。それを対座に座って、コ・ジエが身構えて受け止める。
「私の身代わりになって。物陰に隠れてろって、連れて行かれて。私はただ漁港で、受け取った貝殻を荷車に積んで、領主様の館に運んでいただけなんだ。何かの、間違いなんだ。」
由佳が話し出す内容を、コ・ジエは表情を歪め、そして羽筆と紙を取り出し構える。
「詳しい状況を教えて下さい。どの道です?騒動があった時に何か他に、変わった事は?」
「必死で川を沿って、まず森に向かって走って逃げたから、今何処かも良く分かんない。漁港から、まっすぐ領主様の館があるって方向から、西側に。半日ぐらい歩いた所。」
「おっちゃんは、衛士がディル領内の街道を行く荷車を呼び止めて、連行している。見境なしだ。って言ってたと思う。それを聞いて直ぐに馬の蹄が聴こえてきて、薄暗かったから、向こうはアタシに気づかなかったみたいで、隠れられて。」
その言葉にジエは頭を抱える。
「役人ではなく、馬、それから衛士、動員できるのは中央の王政府のみです。」
その目を向けるコ・ジエに、幢子は慌てて首を横に振る。
「鍬の刃は送ってないよ!ジエさんに怒られたから!今出荷してるのは灰と木酢液だけのはずだよ!それだって向こうからちゃんと届いたって返事があったし!」
以前、咎められ、その理由について小言が長々と続いた記憶が俄に蘇り、幢子は青ざめる。
「では何が起こっている。コヴは今、納税のため王都に居るはずです。或いは、早ければ諸事を追えて戻ってきている最中か。」
コ・ジエは徐に立ち上がり、教会の個室へと向かう。
「支度をし館へ向かいます。私はこの村の役人である以上に、コであり、領主一族です。コヴが不在であれば事態を確認し収拾する必要があります。」
外套を羽織って現れたコ・ジエに、幢子も頷き立ち上がる。
「私も行くよ。積み荷の事なら行かないとダメだと思う。エルカは村に残って、皆をお願い。」
エルカは幢子の言葉に静かに頷く。コ・ジエは顔を歪ませたが、やがて諦めた表情になる。
「研修に来ている人たちは、どうしようかな。今、移動するのは怖いよね。出荷も停止したほうがいいかな。」
「そうですね。ただ各村に運び込まれる食料も止まっている可能性が高いです。ポッコ村の蓄えも無尽蔵にあるわけではないですから、何時までも、というのは。」
「アタシも行く!おっちゃん、助けなきゃだし!」
二人が慌ただしくやり取りを始めたのを見て、由佳が鼻をすすり上げて声を発する。
「道中で話をもっと聞かせてください。館にいる役人にもある程度は集まっているでしょうが、なるべく多くの情報と知識が欲しい。」
コ・ジエは由佳のその黒髪を意識する。幢子の同郷であれば、その価値観や着眼点は自分たちにない別の知識を含むものだと考えていた。
幢子の多用する言葉で言えば「知識の壁」の水準が違う、と。
例え、それを即断した事に幢子が苦い表情を浮かべていたとしても。