旧友との別れ
サザウ国 ディル領 コヴ・ヘスのある日の日記そのジュウニ。
コウチ・トウコと対峙する。
そう宣誓した通り、ついに鉄を持ち込んでくるに至る。
しかし、それはジエとも対峙することにもなった。
ジエは、私の想像以上に、コウチ・トウコに毒された、のではなかった。
コ・ジエとして領主一族として、私の息子として、確かに、強く、成長していたのだ。
私はそれが最後の最後まで信じられなかっただけに過ぎなかった。
コウチ・トウコに対する嫉妬が、私を駆り立てたのは間違いがないだろう。
だが、それを他でもなく息子であるジエに気づかれる事に怯え、そしてジエこそが、このコウチ・トウコとの仲立ちをしてくれている事に、気づけなかったのだ。
ジエはもう、私の息子である以上に、領民を思い、商人であり、コであり、無二のコヴの候補である。
勿論、そこにはコウチ・トウコに対する思慕からの努力もあるのだろう。
亡き妻の髪型を習い、整えているのは他でもなくジエであろう。
だがそんな事は私の些細な嫉妬でしかなかった。
その夜、ジエと二人で酒を酌み交わす。
父の稚拙で他愛もない不満を、静かに受け止める息子の姿があった。
ラドにこの姿を見せれば、さぞ情けないと言われ笑われることだろう。
妻亡き今、その面影を残すジエの姿が、愛おしく、そして心強い。
コヴ・ヘスは、コヴ・ラド、コ・ブエラを伴い、その朝、登城する。
「ヘス、ラドか。ブエラ老までそこに居るとはな。私の身体は余程、大事らしい。」
病床から身体を起こし、青白い顔をした国王ラザウ・サザウがそこに居る。
「今朝もダナウが早くから訪れてな、あまりに騒がしく少し疲れた。」
そう言うと、ラザウ・サザウは手を掲げそれを払う。
それを人払いと受け取った一同は黙し深く頭を下げ、背を向ける。
「いや、お前たちは良いのだ。他の者が下がれ。」
その背にラザウ・サザウが言葉を向ける。
三者は顔を見合わせ再びその身を返し、執事、給仕、衛士といった面々が退室していく。
「王立学校時代からの友を一人置いて、去っていくとは寂しいではないか、ヘス、ラド。」
病床から天蓋を見つめる目を傾け、三者を見る。
「ブエラ老がそこに居るという事は、二人が少なくとも道を外れていないという事だろう。そして三者が何か難事に関わっているという事もわかる。私だけ、仲間外れか。」
一人、その場から離れた位置に立つコ・ブエラの姿をみて、ラザウ・サザウはそれを問う。
「そうだね。私には、少なくとも二人が、商人として、領主一族として、道を外れた事をしているとは思えなかった。民を思い、民を差配し、民に敬われ生かされる。そこを違えてはいない。」
「先王である父の時代、シギザは王族と懇意であった。王立学校時代、友好を温めたお前たちと懇意に接しようにも、父やシギザの影がそれを幾度も阻んだ。お前たちの代わりに、ダナウが私に近づき、父もまたそれを歓迎した。」
「知っている。だが、我々の心はそう離れていなかったはずだ、その頃は。」
ヘスがそう述べると、ラザウ・サザウは嬉しそうに微笑む。
長年待ち続けた古い友に、漸く再会を果たした気持ちを得ていた。
「そうだ。それでも父や先代の領主たちに隠れ、三人、王都の酒場で酒を飲んだこともあったな。同じく若い独立商人たちに飯を振る舞い、店主に店じまいを言い渡されるまで騒いだ夜もあった。」
「先王が崩御し、私が王位に就き、サザウ国という大きな立場を担うようになると、父が残した地盤がいかに偉大であるかを思い知ることになった。お前たちではなく、バルドー国やその先の大国に伝を持つシギザや、内政府の人間と関わる時間が増え、やがてお前たちも領主になった。その頃からか、疎遠となっていったのは。」
ラザウ・サザウは再び遠く天蓋を見つめる。
「私に子が生まれ、ヘスに、ラドに子が生まれた。だが天は残酷だ。我が子、エルド・サザウはお前たちの子とは親交を温めることが出来なかった。私は一人、王城で孤立していったのだ。」
「ヘス。ディル領がエスタ領と組み、リゼウ国に砂鉄を売り、国を売ろうとしていることは本当か?」
一拍の間を置いて、ラザウ・サザウは再び二人に顔を傾け、それを問う。
「エルド・サザウがそれを私に直訴し、それに胸を締め付けられ、この有様だ。毎年と苦労をしていた納税をもう済ませたとも聞いてな。私にはそう結びつける事しかできなかった。」
エルド・サザウの独白に、コヴ・ヘスは首を横に振るう。
「我が領が売ったのは、灰と陶器、木酢液のみ。それをエスタ領とリゼウ国に売り、物資を買ったのだ。それが思いの外の利益、そして両者の豊作を生んだのだ。」
「なぜリゼウ国ではなく、私を頼らなかったのだ。お前に頼られれば、私が断るはずもないではないか。お前が毎年、領の運営に苦しんでいたのを、知らないわけがないであろう。」
コヴ・ヘスは顔を歪める。奥歯を噛みしめる。
目の前にあるラザウ・サザウのその目は、疑惑を晴らせたとはとても思えなかった。
「皿は、割れてしまったのだ。覚えてはいないか、ラザウ。」
言葉を詰まらせるコヴ・ヘスに代わり、コヴ・ラドが答える。
「そうか。そうか、あの時なのか。あの時、お前たちは私に一抹の想いを託していたのか。」
記憶の隅に残り続けた交流会の一幕を思い出し、ラザウ・サザウは天蓋へと目を向ける。
「ラドよ。この国は、民はどうなる。私の先はそう長くない。自分だからこそよく知っている。恐らく、それを見ることは叶わないだろう。私が亡き後、この国はどうなるのだ。」
力なく問うその声に、二人は答える言葉を濁す。
「今年の冬は、去年よりも更に厳しいものになる。今まで通りではダメなのだ。」
漸く声を絞り出したのは、コヴ・ラドではなく、コヴ・ヘスであった。
それを聞き再び、ラザウ・サザウは二人の顔を見る。
「そうか。己の不明を禊ぎ、お前たちと共に、それに抗う事ができず、残念だ。」
遠く古い思い出の先の、懐かしき友人たちの姿をそこに重ねながら、力なく呟く。
「王位は王太子に託す事になるが、民は、お前たちに託す。私は今や、不出来な息子しか信じる事のできない孤独な男だ。死後、迷惑をかける。お前たちは、思うようにやって欲しい。」
そうして、ラザウ・サザウは手を掲げ、それを払った。




