風雲急を告げる
サザウ国 ディル領 コヴ・ヘスのある日の日記そのジュウイチ。
手元に届いたその報告書は、国家を揺るがす問題と言える。
しかしそれを、私はどうしても国に伝える気にはなれなかった。
領民の衰弱、栄養価の不足、それによる体躯の変化。
ジエが送ってきた報告書には詩魔法の効果の濃淡まで綴られている。
憶測の段階だ、という印象が強い。
どれほど緻密な情報があっても、あのコウチ・トウコに依る扇動の可能性を捨てきれない。
だがそれでも、ジエが示す通りという可能性もまた捨てきれない。
だからこそその結果を写生し、エスタ領とリゼウ国へと送り出した。
あの村で、ジエはどんどんと変わっていく。
私の目の届かない所で、コウチ・トウコに染められていく。
その事を、私は許せないのかも知れない。
ジエを育て、共に過ごした年月を否定されたような気がしてならないのだ。
共に過ごせる年月が後、どれくらいあるのだろう。それを考える時間が増えた。
領の存続は最早、不可能だ。
だからこそ、残された時間を領主ではなく、一人の父親として、それを過ごしたいという気持ちばかりが募る。
「では征くか、ヘス。」
コヴ・ラドが腰を上げるのに併せ、コヴ・ヘスも立ち上がる。
その日、陽の上りきる前に内政府より上申される納税額は、その場で国王ラザウ・サザウの承認を受ける見込みとなっていた。
馬車を降り、二人の領主は内政府庁舎へと足を進めていく。
領主が二人、肩を揃えて歩くという構図は珍しい事であり、特に両名はこの数年、王都の交流会を含む冬季の諸事への参加を欠いていた。
両名の懇意は、大きく世代を違わない貴族であれば周知の事であったが、昨今の不穏な情勢も折り重なり、余計とその注目を集めることになっていた。
「領地割譲後のディル領の以後の納税額は以上だ。尚、本年は併せ疫病の蔓延に対し国民への支援を継続して行うため、全ての領に対して追加の税を課している。併せて、冬季の内に納められよ。」
王付きの役人が、コヴ・ヘスを前にそう言い渡す。
それを終えるとラザウ・サザウは手を掲げそれを制す。
「苦しい国政状況だ。だが、それに際し王太子エルド・サザウが、バルドー国との間に支援の約束を取り付けてきた。全ては民のために、共にそれを支えてやって欲しい。」
「王命、承りました。」
発布された王令書きを手に、コヴ・ヘスは拝礼を終え、その場に背を向ける。
「おお、ヘス。本年の税額の発布に合わせ登城とは。余程、税額が気になったと見える。」
応接間の扉のすぐ外に、コヴ・ダナウと蜂合わせる。
しかし、コヴ・ヘスは軽く会釈のみを済ませ、その場を通り過ぎる。
「まぁ、待てヘス。今年も納税が厳しいのではないか?」
「不要だ。」
肩を掴むようにして背を追ってきたそれを、言葉一つで振り払うようにしてコヴ・ヘスは歩を早める。
「まぁ良い。だがいずれお前は、頭を抱えて駆け込んでくるだろう。」
そう大きな声で吐き捨て、コヴ・ダナウは応接間へと足を向ける。その伴をするコ・デナンはその光景を横目に、父とともに応接間へと足を踏み入れる。
その日の内に、内政府庁舎に多額の貨幣が運び込まれる。
それは本年課せられたディル領の納税額である。
応接間を出たコヴ・ヘスはそのまま再びコヴ・ラドと合流。
都合二年に渡る陶器の請求書を取りまとめる。その額は本年のディル領の納税額と同額であり、請求はエスタ領、並びにリゼウ国に対してであった。
請求書はコヴ・ラド、及びリゼウ国の駐在役人にその場で手渡される。
支払の全額をエスタ領がその場で肩代わりし、リゼウ国分の支払いをエスタ領が受け取る流れになっていた。
数日の後、リゼウ国からの貨幣の納入を待って、エスタ領が本年の納税を済ませる手筈となっている。
「これでまた一年。」
コヴ・ヘスは王都の滞在屋敷で、そう呟く。安堵というよりも、奇妙、と言える感覚であった。
また一年、また一年と、領の延命が行われ続ける。
その延命が、縋るように掴み続けた生命が、少しずつ、光明のような物を得始めている。
少なくとも、毎年の納税貨幣に頭を抱えていたこの季節を、即日乗り越えてしまった。
事態は決して楽観できる状況ではないが、コヴ・ヘスの心理には開放感の様なものが確かにある。
乾季の終わりとは言え、王都には珍しく雨が振り始めていた。
「また冬季がやってくる。今年の冬季は更に険しいものになると、我々は知っている。」
同席するコヴ・ラドとコ・ブエラは静かに頷く。
「お前たちが羨ましいよ。次代があんなにも心強い。ジエに、ニア。立派なものじゃないか。」
「外からは、そう体裁よく見えるのでしょう。男親という立場もあるのでしょうが、私には最早ニアが何を考えているか、理解らない時がある。堅実に育ったジエ君が羨ましい限りだ。」
コヴ・ラドが嘆くのをコ・ブエラは大口を開けて笑う。
「そうだな。お互い、もういつ、領主を任せても、問題はないだろう。先人も居ることだしな。」
その夜、王城に一つの衝撃が走る。
国王ラザウ・サザウが急病により倒れ、辛くも一命を取り留める。
その知らせをコヴ・ヘスが受け取ったのは翌朝の事だった。