できる我慢
ある青年独立商人の手記 に
雨季の雨は嫌になる。漁村の東屋の軒を借りて、服を乾かす。
この村には海女が沢山いる。
エスタ領は農作や酪農が進んでいると聞いた気がするけれど、こうした浜辺の東屋に、こんな雨でも焚き火が起こされて、海女たちが身体を温めている。
聞けば、昨年の雨季辺りから、急激に貝の需要が増えたという。
そんな話はシギザ領やバルドー国方面では聞かなかった。
中でも、雨季の半ばから乾季の半ばまでは丁度冬季と逆に当たる時期で、気温も高く、需要が増えたこともあって良い稼ぎになるのだという。
雨の中、海女たちは次々と海に戻っていき、次々と海から帰ってくる。
そんな中、一人の海女が収穫の岩牡蠣を火にかける。
そしてこちらに差し出してきたので有り難く頂く事にする。
とても美味しい。
温かい食べ物は本当に有り難い。聞けば、貝殻の方が価値があり、中身は一度煮出してから干さねばあまり価値がないのだという。
その手間を惜しんで、今はこうして腹の足しにしてしまう事が多いのだという。
という事は、乾豆等を持ってくれば、この岩牡蠣の中身を沢山食べられたりするのだろうか。この情報はよく覚えておこう。
雨が止んだので、見計らって荷車に取り付く。
思ったより早く乾いた服は少し焦げ臭く、少しだけ海の香りがした。
東屋から出る所で、丁度近くをあの白髭の商人が荷車を引いて歩いてきた。
こちらに気づいたらしく大きく手を振っている。お付き合いとして手を振り返す。
「良かったね、エルカ。今夜はスープだ。」
降り止んだ雨に、外の広場での炊事が行われる事になり、土器の大瓶には干した海藻が沈められてスープが作られていた。
客人として扱われている幢子やエルカには手伝う仕事もなく、少し湿った丸太の椅子の上に座り、夕餉が出来上がるのを待っている。
「でも、流石にまだ陶器の瓶とは行かないか。あれだと大きさも強度も限界があるよね。早めに陶芸窯は軌道に乗って欲しいな。」
「そうですね。ポッコ村を見ているからか、炭窯が先というのは、少し違和感があります。」
焚き火と月明かりだけの夜なのに、村の炊事当番は騒がしく歩き回っている。
こうした活気はあの厳しい冬季の出来事がまるで別の世界の話だった様に、幢子とエルカは錯覚する。
「まずは木酢液の需要を鑑みての判断です。それに、乾季の最中には陶器の窯も動き出すでしょう。」
二人のテーブルにコ・ジエと、顔役の青年三人が現れて同席をする。
「トウコ様、昼間は助かりました。子供達に色々と教えてくださっていたみたいで。」
「例のあの数え歌、教えてもらったって自慢気に話してましたよ。」
そうして、青年たちはその手の指を折る。かつて覚束ない動きだったその仕草も、迷いなく数を刻んでいく。
「あの冬季の俺達を見てるみたいで、思わず楽しくなりましたよ。トウコ様に睨まれながらいろんな事を教わったのが、今は俺達が教える側ですからね。」
幢子は鼻の頭を少しかきながら、頬を赤く染める。その様子を見て、思わずエルカは口元を緩める。
「君らが教わったのは、トウコ殿からだけではないだろう。」
咳払いをしてコ・ジエが自分の存在を主張する。その素振りを見て、思わず幢子は吹き出し、青年たちは口を開けて大笑いした。
その雰囲気は野外の炊事場へ穏やかに波及していく。
「昼寝の寝付きも、慣れない詩魔法師たちより、エルカさんのオカリナの方がずっと気持ちがいい。あの音色を聞いて、あの冬季を思い出して、何度も夢にまで見ちまいました。夢の中でも、トウコ様は俺達を叩き起こしに来て、俺達は愚痴をこぼしながら朝の薪割りを始めるんです。」
その話に、他の青年二人は笑いだし、それに釣られて、コ・ジエも吹き出す。
思わぬ仕返しに、ほんの寸瞬、幢子は奥歯を噛みしめるが、コ・ジエもエルカも笑っているのをみて、直ぐに頬を緩める。
「やっぱり技術交流は必要だね。」
煮出し豆を皿から指でつまみ上げ、口に運びながら幢子は言う。
「もう四つの村を見てきた。煉瓦を焼いたり、それを組んで炉を作る所までは大丈夫だけれど、炭焼きとなると敷居が高い感じかな。あと、識字・数字の計算なんかは当然、誰かがまとまって教えなきゃダメだね。炭焼きは失敗の観察と記録が成功への近道だったからね。」
青年たちは幢子の話を興味深く聞いている。
自分たちがポッコ村にいる間に炭焼き自体は見たが、その後一年のポッコ村の変化と経験までは、想像もつかなかった。
「今回の視察で、乾季の末にポッコ村に人を寄越してもらい、それらを学ぶ機会を作る事で話を進めている。今回は残念だが君たちは村に残ってもらうが、今からその人選を進めておいて欲しい。中には子供も含めてもらいたい。」
コ・ジエも道中や視察での会話で、幢子の意見に概ね賛成でいた。そのために既に具体的な予定作りを検討し始めていた。
「子供もですか。まぁ、そうでしょうな。ポッコ村の子供に会って刺激を受けるのは何よりも俺達が体験済みですからね。」
「俺があいつらに会いたい気持ちはありますが、今回は我慢をして譲るしかないですな。これは唄って貰わなくてもできる我慢、ですからな。」
ポッコ村の子供達と別れ際に再会を約束を交わした青年も多い。この場の三人も同様だった。
「その代わり、炭焼きや陶器が落ち着いたら、その時は来てもらうからね。新しい事を沢山教えるから、それまではこの村でしっかりと反復学習。後は、しっかり働いて、しっかり寝て、しっかり食べる事。」
そう断言する幢子の言葉に、青年たちは照れる様に返事をして頷いた。
あの冬季、幢子に毎朝と怒鳴り起こされていた自分たちが、今や幢子に頼られているというその気持ちは、気恥ずかしくも心温まるものであった。




