種
衛士リオルの手記 乾季の訪れ
王太子殿下が王領内の視察に出ると聞き、随伴衛士として我が隊が選ばれた。
先日、リゼウ国から帰国した王太子殿下は酷く荒れていた。
城の中庭や衛士の訓練場で木刀を振るうことは良くある姿だが、俺が見かけた時は、鬼気迫る物があったように思う。
奇怪な疫病騒動は鎮まりつつあるものの、国内は穏やかとはいい難い。
国交に於いて何かと問題も多いのだろう。
視察では王領の南部平野での農村を見て回る。
乾季が訪れるというのに、畑に実っていたのは一の豆であり、これから収穫するのだという。
それを聞いて、王太子殿下は顔を歪め、握りこぶしを作っていた。
農民たちの表情も重い。
その顔を見て、狼騒動で派遣されたディル奥地の開拓村の事を思い出す。
失意にあった、村人たちの表情には重なるものあった。
あの時何処からともなく現れた変わり者の令嬢は、その雰囲気を払拭し、村を持ち直した。
俺達も助けられた。
彼女であれば、今この様な雰囲気にある村人に何かできるだろうか。
消息も知らない相手のことを思い浮かべても仕方がない。だが、前を行く王太子殿下の足取りは重い。
「リゼウ国め。」
王太子エルド・サザウは今その直前まで振っていた木刀を掴んで力任せに投げつける。
木刀は柱に当たると、その半ばで折れ、曲がり、力なく地面へと落ちる。
「代わりの木刀を持ちしますか?」
それを道中で見かけたコ・デナンは近くへ寄り、声をかける。
「おお、デナン。王都へ来ていたのだな。」
友人の顔を見て、エルド・サザウは喜びの表情を浮かべるが、一寸を置いて、再び表情を濁す。
「国内の情勢は余り喜ばしいものとは言えません。我がシギザ領も三の豆の作付けは間に合わないでしょう。」
向かいの椅子に座るコ・デナンの言葉に、エルド・サザウの表情は否応なしに固くなる。
「リゼウ国へ赴いて、物資を乗せたまま王領を素通りする馬車の如何を問い正した。」
「噂の輸送団ですか。シギザ領では見かけませんが、ディル領で荷を下ろしていると。」
エルド・サザウは頷く。その噂は最早、王領の内政府関係者や貴族たちで知らぬものは居ない。
「物資を得たくば、灰と貝殻を寄越せと言ってきた。貨幣ではなく、灰と貝殻だ。」
「体よく、あしらわれたのでしょう。何かの冗談としか思えません。」
自身の言葉に怒りを募らせ、エルド・サザウは奥歯を噛み締め、握りこぶしを作る。
「ただ、その冗談に付き合っているのがディル領です。戻りの荷車の中身をご存知ですか?」
コ・デナンがそれを問うと、エルド・サザウは僅かにその表情をしかめる。
「最早ディル領には、まともな品はないと言われていましたが、父の調べによると、以前、国王陛下に届け出を行い、内々に陶器製造と煉瓦製造の産業申請をしていた様です。つまり、灰がある。」
「戻りの荷車に、言われるままに灰を乗せているというのか。」
「荷車には確かに、灰が積まれているようです。実は疫病の騒動より前から、ディル領を立つ灰を乗せた荷車は確認されています。それは王領を通り、エスタ領の館へ一度運び込まれるのです。」
「エスタ領だと?なぜエスタ領が出てくる。ディル領とリゼウ国の取引であろう。」
その話はエルド・サザウにとってまるで預かり知らない話題であった。
「エスタ領で一度荷を下ろすのです。そして荷車は荷を減らして再び国境へと向かっていく。もはや木を焚いた灰しか売るものがないと、昨年はエスタ領の慈善と言われ笑われていたのです。」
「父は、灰の下に何か別のものを潜ませているのではないかと。」
コ・デナンが声を細めそれを言うと、エルド・サザウは目を見開く。
「以前からディル領のサト川の下流には砂鉄があると言われているのです。バルドー国ではまだそれを国策とするに至ってはいませんが、交流が深い父によると、その先の大国では砂鉄を溶かして製鉄する技術もあると。灰と砂鉄では一見、見分けがつかない事もあるでしょう。」
言葉を続けるコ・デナンに、エルド・サザウの肩は震え、怒りがこみ上げる。
「我が国の資源を、みすみすリゼウ国に売り払っているというのか!」
「仮にリゼウ国が、大国から製鉄をする技術を得たのであれば、十分に考えられる話かと。」
「しかし、その話は良いのです。今日、王城には、王太子殿下にご提案があって来たのです。」
コ・デナンは俄に声質を戻し、その表情を緩ませる。
「貨幣を賜われるのであれば、父がバルドー国より物資を買い入れ、王領へ納めることができると。既に内諾は済んでおり、内政府と王の許しがあれば、荷車が動き出します。」
「なんだと!」
失意と怒りに震えていたエルド・サザウに、俄に安堵の感情が戻る。
「こちらがご提案の内容と、取引仔細の目録です。」
コ・デナンはそう言うと、書状をエルド・サザウの手に握らせる。
「シギザ領が国王陛下に直接ではなく、王太子殿下にお持ちいただき、王太子殿下がこれを使って頂ければと。父も、私もそう思ってこちらに参りました。話の通じないリゼウ国よりはお役に立てるでしょう。」