飢えを叫ぶ大地
幢子の記録 詩魔法そのジュウイチ。
草木灰と木酢液はあるし、京極さんに前に聞いた手法で肥料を作ってみよう。
土壌の塩基濃度変化はまず排除して、考えてみるしか無い。
草木灰はアルカリ系の、木酢液は酸化系が強い。だから双方で中和させ合えば、いいはず。
冬期明けの土は固いので、水をまく。だからこれに木酢液を混ぜて耕してもらう。
水にはサト川の水と井戸の水を半分ずつ。
木酢液は百倍単位と言っていたので、これを水瓶で混ぜてから農作地に使った。
一度耕し終えてから、今度は草木灰を混ぜて再度しっかり耕してもらう。これで準備は整った。
一の豆を植えて、エルカに詩魔法を使ってもらう。オカリナを使って、いつもと同じ様に。
目視できるような変化は直ぐに起こらなかった。
にょきっと芽がでるような事をイメージしていた。
エルカの身体に負担はないらしい。
オカリナを吹き終えても頬の赤みや脈拍の変化は無いようだった。
翌朝、畑に雑草と豆の芽が生えていた。
それを抜くと、一緒に居たエルカが私を咎める。
どうやら豆の芽を引き抜いていると思ったらしい。
流石にそんな事はしない。豆の芽と雑草は区別して抜いていたはず。
そこまで考えて、ふと気になってエルカに聞いてみた。
引き抜いた名も知らぬ雑草を見せて、この草を知っているかと。
「前の会談の後、冬季に入って、ニアお嬢さんから手紙が届いてな。その手紙の内容が妙に長い。例のゴタゴタもあったから後回しにしていたのだが、一の豆の前にそれを思い出してな。」
栄治は土壌の土を手に取り、その手触りを確かめる。その区画は昨日、既に耕し終えていた場所であった。
「何でも、豆すら育たない土地があるっていうじゃねぇか。一体何をやったのか、まで含めてそこには書いてあったが、どうにも実際に目にしてないからな。気にはなっていた。」
コ・ブエラは足を止める。そして静かに、コ・ニアを一瞥する。
「それは六十年程前にあった、サザウ国の豊作後、凶作が続いた話か。」
アルド・リゼウの記憶にもそれに関する知識があった。
リゼウ国の歴史書、サザウ国との交流を記した記録にもそれについて触れる記述があったからだ。
そしてその関係者とも言える存在が、偶然にも必然にもその場にいる事に思い至る。
「あれは、これとは違う。見れば理解る。やっている事がまるで違う。」
コ・ブエラは頭を整理しながら、言葉を選んでいく。
古い記憶と、目の前の光景を見比べながら。
「窯元からの手紙もある。アイツは鉄を作りながら詩魔法にも随分興味があるらしくてな。と、そいつについてはニアお嬢さんも、国主様も存じ上げない内容だろうがな。やり取りもした。」
「今の所、詩魔法は、霊があるものにしか、効果がない。だそうだ。」
「霊とは何だ?」
英治が言う言葉の意味を理解できず、アルド・リゼウはそれを問う。
「自分で考え自分で選び、生きて、増える。宗教的な価値観が絡むが、生命、イノチ。そういうものの言うなれば見えない塊みたいなものだ。そいつがないと、死ぬ。俺の故郷にあった考えだ。」
「では生命ということか。事切れた存在に生命を戻す詩魔法はない。そういう事だ。」
アルド・リゼウは答える。それは詩魔法の大原則として、立場あるものならば戒めとして知られている。その戒めを思い出し、アルド・リゼウは得心する。
「国主様、に限らねぇが、そうだな、その生命はヒトにだけあるものだと思っているか?」
栄治は、そこに会する三者を見てそれを言う。表情は硬い。
「人だけではない、植物にも、鶏にも、生命があるからこそ詩魔法は効果を及ぼす。豆が詩魔法で育つのは、豆に生命、その霊というものがあるからではないのか?」
その場に居合わせるコ・ブエラも、アルド・リゼウの言に頷く。
しかしコ・ニアは頷かなかった。
「虫、それも私達の目には見えないほど小さな虫にも生命はあるのでしょう。」
コ・ニアが一寸を置いて、そう述べる。栄治はそれを受けて、口元を僅かに緩める。
「そう俺達は考え、それを前提に幾つかの言葉の使い分けをしている。反応と代謝、腐蝕と発酵、酸化と活性化、こういうのは一例だがな。似ているが違う。違うということになっている。」
「その六十年前の詩魔法、一体何をやった。お前たちの言う、生命をどう扱った。イマイチ、俺にはそこの所がピンときていない。」
栄治は、その場に居合わせる最年長に、一種の考察を胸に秘め、そう尋ねる。
「大地そのものに魔素を注ぎ、生命を作ろうとしたのだ。そしてそれは仮にとはいえ成功した。」
コ・ブエラは目を閉じ、静かに言葉を選ぶ。
自分が知りうる記憶をたどり、噛み砕きながら。
「それは、死人ですら無いものに、生命を注ぎ込もうとしたのか!」
アルド・リゼウはその言葉に唖然とする。
他国であるからこそ知り得なかった、秘匿に値する話であるとその場でそれを理解する。
「大勢の詩魔法師が数日をかけて魔素切れになるまで詩を捧げ、魔素を注ぎ続けた。結果、詩魔法が大地そのものに届くようになった。それまで効果を得られなかったものにも、効果を示すようになった。豆を植えて癒やせばたちどころに伸びて実をつける。詩さえ歌い続ければ、いくらでも収穫ができた。」
「それは詩魔法師たちにはどれほど過酷であったろうな。私が憧れ、好いた詩魔法師もその中に居た。だから私は子供心にもよく見ていたんだ。そしてよく覚えている。昼夜、晴雨を問わず、豆を育て続け、詩を歌い続けた。その結果が豊作だ。」
栄治は冬季に届いたコ・ジエの手紙にあった一文を俄に思い出す。
「詩魔法が途切れればどうなる。例えば、全ての詩魔法師が詩を歌えない程に魔素を消耗すれば。」
「結果にある通り、人のように飢えに苦しみ、辺りの虫や植物の魔素を吸い、そこに住む人の魔素を吸い、その見えない手が届く範囲の魔素を奪い尽くせば、やがて大地そのものが断末魔を上げて事切れる。」