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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
三国の転機
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豊作を呼ぶ土

ある青年独立商人の手記 いち

 岩に腰掛け、豆を齧り、水を飲んでいた所に、突然話しかけられた。


 側に荷車が並び、彼の差し出した干し肉を齧る。

 白く長い顎髭を擦りながら、自分が若い頃の話を勝手に話し出す。


 よく道ですれ違う男がいた事。

 こうして姿を見かけた時、日当たりの良い岩の上に腰掛け共に豆を齧ったこと。

 相手が先に荷車を持って、それが羨ましくて背負鞄一杯に塩を詰め込んで農村に売って回ったこと。

 その半分がダメになったこと。


 あんまりに話し続けるものだから、立ち上がる頃合いを逃していると、目の前を大きな陶器を目いっぱいに詰め込んだ荷車の一団が通り過ぎていく。

 武装をした随伴も居る事が気になると、それがリゼウ国へと帰っていく輸送団の一つだと教えてくれた。

 冬季からああして、護衛の兵士と他の仲間と組んで荷を運ぶようになったらしい。

 報酬も良く、一人で荷車を引き歩くよりは余程安心だという。


 それだけ話すと彼は、それまで話していた話題を嘘のように切り上げて立ち上がる。

 自分も立ち上がると、不意に口に干し肉を一枚放り込まれた。


 荷車を引いて先に行く彼。

 その背中を、自分は結果的に追うことになった。方向が同じだった。


 ただその背は少しずつ遠のいていく。

 陽がゆっくりと沈み、朱い夕焼けとともに彼は見えなくなっていく。


 また何処かで会うことがあるだろうか。荷車がほんの少しだけ軽い気がした。


 王都で組合に荷を下ろし、報酬を手にする。

 今まではディル領やシギザ領方面を歩いてきたけれど、今は西側に少しだけ興味があった。

 エスタ領の農村に塩と貝殻を運ぶ依頼を手にとったのは、それが理由だ。




「次期宰相とは出世されるのですね。」

「こちらは嫌だと言っている。言われる度にご辞退申し上げている。」

 からかう様に口元を緩めるコ・ニアに、栄治は心底呆れて、乾いた声でそれを返した。


「覚えが良いところ申し訳ないが、もうコヴでも、セッタの者でもない、一役人のブエラだよ。コとは言っても、実際に任されている村もなく、ニアの相談役としてエスタに飼われているに過ぎない。」

 コ・ブエラはそう言うが、英治がその顔を確かめるとコ・ニアは頷くでもなく、ただ目を細めているだけであった。


「まぁ、悪かったよ。行き先はあっちだ。国主様も来るかい?例の物を実際に使っている。」

「興味深い話だ。私の歩幅には合わせてくれるのだろうな?」

 そうアルド・リゼウが言うと、栄治は気不味そうに鼻の頭をかく。それを見てコ・ブエラは憤りを沈め、口元を緩ませた。


 王城の裏手から広がっている治験農場では、既に詩魔法師が捧げる詩もその日は終えていたが、一部では開梱が引き続き行われていた。

 その区画へ足を向ける道中をコ・ブエラは周囲に気を留めながら歩いていく。


「二の豆の成長が実に良いな。畑もよく耕されている。昔これとよく似た光景を見た記憶がある。」

 コ・ブエラの脳裏には、幼少の記憶が過る。

 豊作と喜ばれたあの年の畑の姿が、それと重なる。


「ああ、既に一の豆も昨年を超える収穫だ。土が育ち、よく耕され、注意深く観察し、都度、色々試している。おかげで豆以外の物まで芽を出すから、毎日そいつを引き抜かせている。」

 栄治は広がる区画の一つに立ち止まり、土を手で掬う。


「色、重さ、粒の大きさ。ここまで来るのに一年だ。今の所、リゼウで間違いなくここが一番いい農場だ。馬鹿みたいに手間がかかるが、本当はこれが当たり前なんだ。」

 栄治の手の土の中に、黒い粒のような小さな虫が動いている。それを潰さないように、栄治は畑へ土を戻す。


「この様に色の濃い土壌は、私も見た事がなかった。育つ豆は驚くほどによく伸びる。それを見るだけで私も、ここを耕す兵士たちも、頬が緩み、豊作を期待する。そして実際に豊作が訪れる。」

 アルド・リゼウがそう述べる最中を、栄治は再び歩き出す。

 不意に誰かが口元から舌を打つ音がする。栄治はそれを聞き、頬が僅かに緩む。


「今年は乾かし砕いた海藻もよく混ぜた。雨季が来て目論見通りやや粒の大きい土ができた。晴れた日は手を潜らせればほのかに温かい。ただ掘り返しただけの土はこうならない。」

 その話を、コ・ブエラは注意深く聞き、頭に叩き込む。

 土の質などという事は、考えの及ばなかった事であり、或いは忘れていった事なのかも知れない。


 領内の豆の育たない土地を目の前にして、その逆を見ずに居たことに今更と思い至る。

 ましてそれを意図的に作り出すという話には興味が絶えない。


 一同が足を止めると、そこには鍬を振るう兵士と数人の農民がいた。

 今まさに硬い地面を開墾している所であった。


「おお、あれは!」

 コ・ブエラが思わず声を上げる。その手にあるのは木鍬ではなかったからだ。

 鈍く、重そうな塊が刃として取り付けられている。


「深い。おお。あんなに土に沈み込むのか。ここまで変わるのか。」

 アルド・リゼウが感嘆の声を上げる。

 この一年、視察としてこの治験農場で開墾や畑を耕す姿を幾度も見てきたからこそ、その違いに気づく。


「雨季で地面が柔らかい事もあるが、畑の撹拌かくはんはコイツで段違いに変わる。結果的に深く長い根が地中に伸び、それが水と栄養を広く吸い上げる。土が柔らかく、栄養もあり、暖かく、よく水を含んでいれば尚更だ。それらは全て、繋がっているんだ。」

 兵士自らが手本を見せ、それを農民にもさせる。


 そうして掘り返されていく地面を、彼らは暫くの間、栄治の解説と共に、興味深く見つめていた。

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