鉄を叩く金槌の音
衛士リオルの手記 雨季の王都
中心区画への出入りが許される様になり、我が隊はしばらくぶりに王城兵舎で背を伸ばして寝る事ができた。
しかし、中心区画の有様も冬季の前とは比べ物にならない酷い有様だ。
城壁の外では今日も次々と非定住者が倒れている。
入都監査の役人は詩魔法師を随伴し、小さな傷を作ってはそれを癒やす詩を唄ってもらう。
そんな怯えた外界に影響されるように、内政府舎、王立学校といった施設には衛士から詩魔法師が配置されている。
中心区画を出入りする使用人の顔ぶれ、その数だけ変わっていない様に思う。
また兵舎ですれ違う顔ぶれも、その雰囲気こそは重いものの変わりはない。そこに安堵する。
兵舎で提供される乾豆と魚の量も久々に安堵を感じるものであった。
隊員たちの表情も少しは柔らかくなる。
炊いた湯を口に含めば、乾いていたのが喉だけでない事を意識させられる。
以前、狼騒ぎがあった際、ディル領で出会った記憶喪失の令嬢の事をふと思い出す。
安心感から、そういった事を思い出す余裕が出てきたのだろう。
彼の地であって以来、王都で見かけることもなく、今日まで来ている事に気がついた。
この奇怪な疫病、もしディル領のあの村に居続けていたならば、犠牲になったかも知れない。
今回の件では、ディルに不明な挙動が見られたように思う。だが一介の衛士には何も出来る事はないだろう。何らかの罪があるならば、王政庁や王族がその裁定を下すだろう。
まずは、このまま疫病が終息していく事を願う。
素焼きの型を金槌で叩く。中から鉄の塊が掘り出される。
ポッコ村の一角ではそんな光景が朝から繰り返されていた。
その中心にいるのは幢子である。
今も破片となって散らばった素焼きの欠片を、担当の村人が手早く片付けていく。幢子はそうしてまた、厚みのある鉄板を一枚積み上げる。
「トウコ様、炭に火を入れました。どうぞ。」
「ありがとう。皆、ちゃんと作業見ててね。冬季の前にはやって貰うんだから。」
二枚の厚みと大きさの異なるズク鉄の板が用意されている。その一枚を焚いた木炭の上に乗せる。
炭がジリジリと音を立てる時間が続く。
その間に幢子は大きく厚い穴の空いた方の鉄板を、金床に乗せて、穴とは逆の片側の先を金槌で叩く。
少し叩いて、炭の火で熱し、また少し叩いて、炭の火で熱す。
そうする事で少しずつ赤熱色を帯び始める。
そうしている間に、炭の上に乗せていた小さめの鉄板が赤白色に染まっていく。
幢子はその炭の上の鉄板を、やっとこで持ち上げると、叩いていた金床の鉄板の上に半分ズラして乗せる。
そして叩く。少し叩いて返し、はみ出た鉄板を曲げるように叩き返す。
グニャリと折れ曲がった小さい方の鉄板の半分は、大きい鉄板の背に張り付く様に整えられていく。
少し叩いて、炭の火で熱し、また少し叩いて、炭の火で熱す。
二枚から一枚になった鉄板はその片側の先端を赤く輝かせながら、幾度も幾度も叩かれる。
その度に甲高い音が辺りに響く。
「ちょっと、炭を足して、もらえるかな。」
金槌と金床の反動に声を弾ませながら幢子がそう言うと、担当の青年が陶器のスコップで瓶の中の木炭を掻き出し、焼き炭の中に注ぎ足す。
赤く焼けた鼻を触りながら、幢子は干物と海藻出汁のスープをすすり、口に塩煮豆を放り込む。
朱色に夕暮れた野外の炊き出しを腹に詰め込みながら、時折腕を伸ばし身体をひねる。
腕のだるさが抜けきらないのを感じ首や肩を回す。だがそこに、少し名残惜しさを感じる。
「今日こそは早く寝てくださいね、トウコ様。」
向かいに相席するエルカはそう言うと、口元にスープを運ぶ。
エルカはこのスープの味がすっかり好きになっていた。椀を両手に抱え、大事そうにすすり、豆を口に運んでは、またスープをすすり、喉の奥へと噛んだ豆を流し込んでいく。
「明日からまた視察の日々かぁ。全然、製鉄が進まないよエルカ。」
翌朝、幢子とエルカ、そしてコ・ジエの三人はポッコ村を離れる事になっていた。
統合された森林部の開拓村を回り、技術指導や各村の問題解決のため巡回することになっている。
「大変なのは理解るんだよ。でもこう、製鉄や鍛造が息抜きになってるというこの状況が、ね。」
「私も、ちょっとだけ、このスープの味が名残惜しいです。」
そういって、エルカは少しだけ頬を歪めて苦笑いを浮かべる。
「よし、乾物も少し持っていこう。塩だけ白湯にこっそり入れて、二人で楽しもう。」
「ジエ様は仲間はずれなんですか?」
悪い顔をする幢子を、エルカはたしなめる。そういう悪巧みは、いつもコ・ジエに露見して、小言が長くなる光景を幾度を見てきた。それを思い浮かべて、エルカは微笑む。
「村の食料は村人のものです!って、ジエさん怒るのが想像できる気がするよ。」
エルカの笑顔を満更でもない雰囲気で喜んで、幢子も笑う。
「そういう贅沢はしなくてもいいんです。また村に戻ってきた時に美味しく食べれますから。」
エルカの内心はもっと別の事にあった。幢子と一緒に居られる時間が増える事も、エルカにとって心に温かい気持ちと、村の皆に申し訳ない気持ちが入り混じっていた。
「今日は早く寝るよ。でも、その前に子供達とちょっとだけ楽器で遊んでからね。」
そういって幢子は椅子を立つ。
椀を瓶の水の中に沈め、今日もまた、声を張って子供たちを呼び集めた。