葬送の鐘が鳴る
「ジエさん、これ。」
草布の外套の尾を掴み、道に歩を進める幢子がそれに気づく。
寒空を覆う分厚い灰色の雲から、ゆっくりとそれが舞い降りてくる。
幢子の鼻に触れると、ヒヤリとして水となる。
「急ごう。」
コ・ジエの歩調がその勢いを増す。道を行く三人の先には七つ目となる開拓村がある。
その安否が胸中で俄に大きくなるのを感じていた。
そのコ・ジエに続いて、幢子とエルカも歩を早める。その外套の尾を更に強く引きながら。
リゼウ国とサザウ国の国境を、度々、人に引かれた荷車の小規模な輸送団が流れていく。
リゼウ国側からサザウ国側へと流れるその光景は、既に四日目を数えていた。
輸送団はそこを商路とする独立商人たちがリゼウ国に雇われ、通行手形を持ったリゼウ国兵士二名が随伴し送り出されている。
輸送団には厳しい監視の目が敷かれている。
冬季に割の良い報酬と、出発を前に焼いた若鶏を振る舞われたが、その荷の押領が発覚した場合は輸送団全体の責任を問われることになっていた。
荷車には乾豆、海産の乾物、塩、薪用の針葉樹の材木、草布生地と、品としての希少性は薄いかに思われた。が、その規模については異様であり、注目を集めていた。
その先頭の輸送団は早ければサザウ国の王領へとたどり着くだろう。
事実、既にその輸送団の噂話は伝播しつつあった。
サザウ国 王都トウド。酒場ビリヤニのテーブルで一人独立商人が静かに酒を飲んでいる。
豊富な顎髭を蓄えた商人は、向かいの椅子の前に置かれた木製のジョッキに、自らのジョッキを静かに重ねる。
双方に酒は注がれているが、肝心の相手はそこに居ない。
往年の友であるその相手は、もうその歯並びの悪い大口を開けた、笑い声を聴かせることはない。
昨年、陶器の相場に手を出した友は、徐々に落ち着き豊富に供給され続ける陶器を前に、膝を付いた。
その損失を取り戻そうとバルドー国にそれを運び売り払い、高い関税を支払って鉄の皿をサザウ国に運び入れた。
しかし、乾季を迎える頃には、新たに鉄の皿を買い入れる貴族は居なかった。
鉄の皿は錆びを見せ始め、寧ろ安価で見事な陶器に興味を示す者まで居た。
荷車に鉄の皿を乗せたまま、その売り抜け先を彷徨い、冬季を目前にした王都への陸路の最中、男は飢えに力尽き事切れた。
その亡骸は王領の巡回衛士に依って火葬され、独立交易商組合にその報告され、荷車は手続き通り、組合によって押収された。
骨付きの若鶏の肉を噛み締め、それを酒で流し込む。
皮肉な事に、今年の肉は、昨年のそれよりも美味かった。
顔を見せない相手を、組合に尋ね、その末路を知った無念さが波の様に幾度も押し寄せる。
「馬鹿めが。」
商人は涙目にそう吐き捨て、テーブルに代金の貨幣を積み、席を立つ。
同じ交易路を征く仲間たちに一様に呼び集める声がかかっていた。
明日を食うために働かねばならない。
リゼウ国北部、雪が降り続ける寒村を、兵士に伴われ、草布の外套を纏った村人たちが荷車に乗せられ運ばれていく。その姿は一様に暗く、重い。
日々落ち込んでいく気温と積雪に、村の年配者は次々と倒れていった。
例年と変わらない冬季のはずだった。
落葉も、雪の降り始める時期も、違いがあったように思えなかった。
ただ一様に、空腹が残り、寒さが骨を貫く。
身体が強張り、動かしにくい。詩魔法師の詩も、それを和らげる程度に過ぎなかった。
そんな時に物々しく兵士たちが現れ、生き残った大人と子供たちは焚かれた暖炉の火の前に涙した。
村の蓄えの乾き豆を炊いた湯とともに十分に腹に詰め込み、羽毛の仕込まれた厚手の外套を羽織らされ、荷車に乗せられ避難する。
兵士たちは幾度も幾度も、彼らに声をかけ続ける。その声を命綱に、彼らは必死に生にしがみついた。
雨季が来て、亡き父母を弔いに戻る事を固く誓って。
セッタ領の館を一台の馬車が発する。
数名だけの古くから気心の知れた役人を引き連れ、ブエラ・セッタは南部平野の農村地域へと昨日通ったばかりのその道を引き返すように急いでいた。
エスタ領から館へと戻る道すがら、立ち寄った農村では子供と老人が弔われている所であった。
話を聞けば、寒さと、空腹を訴え、炊き湯を口に運ぶことも出来ず、成す術なく亡くなったという。
偶発的に知り得た事前の情報と合致する点が、不安を募らせ、ブエラ・セッタの胸中を締め付けた。
調べを進める事をコヴに具申したが、当人はブエラ・セッタの立ち回りそれ自体を咎めた。
その上で意固地となり、最早聴く耳を持たない姿勢すら感じられた。
最早現地で自ら差配をすると意向を変え、コヴに黙って馬車を走らせる。
サザウ国王領、王都トウド近郊。
自らと逆走をする荷車の輸送団とすれ違った荷運びは、それを気にしつつも順番を待つ。
間もなく門をくぐれるであろう王都では、その冬季の賑わいの中、今年の利益からささやかな贅沢を楽しむつもりであった。目の前には通用門での入都監査を受ける列が続いている。
来年には蓄えから荷車を持つことも出来るだろう。背の荷物の重さに息を切らせる事も減るだろうと、夢が広がりつつあった。自らの両手をすり合わせ吐息を吹きかける。
不意に、彼の目の前の男がフラフラと足元を狂わせる。
余程眠いのか、腹が減っているのだろうか、先程から幾度か似たような素振りを見せている。
だがその男は突然、バタリ、と倒れると、そのまま起き上がる素振りも見せなかった。
「大丈夫か!?」
慌てて声をかけ揺するが、反応はない。周囲が、ざわつき始める。男は事切れていた。
「また、か。」
そのざわめきの中で、確かに誰かが、そういった。
空からは数多の雪が静かに舞い降りていた。




