不要の懸念
幢子の記録 詩魔法そのジュウ。
人に関する魔素の情報は、今後もっと観察と調査をしていこう。今度は植物だ。
詩魔法が人の栄養価に影響を与えるとするならば、同じ生物の括りである植物はどうなのだろう。
植物の場合必要になるのは、京極さんが指摘する通り肥料だ。
リンや窒素化合物、炭素やケイ素、光合成を加味するなら日光や酸素、二酸化炭素。
ポッコ村の外周から先には、森林が広がっている。木々は何故詩魔法がなくても育つのだろう。
土中には窒素化合物やリン、ケイ素などが正しく存在しているなら、雨や日光で植物は成長できていくはず。植生を見れば、高度についても北に見える山の森林限界まではまだありそう。
そういう点では、京極さんの方が農作の観点からも原因に対する考察がもっと進んでいるかも知れない。
ただ、詩魔法についてだけ言えば、人間の栄養価位置で炭水化物以上、水・酸素以下という位置づけが正しいのなら、一つ考察できることがある。
きっと、人に対するそれと同様に、今の詩魔法は極めて効率が悪い。魔素の消費効率が悪いのだと思う。
そろそろ一の豆の栽培が始まる。エルカにはオカリナを使ってみてもらい、観察を続けよう。
ブエラ・セッタは紙面を黙して読む。それをコ・ニアとコヴ・ラドが見ている。
ブエラ・セッタの側には砂時計が置かれている。その静寂は、二人にとって流れ落ちる砂の音すらも聞こえそうな程であった、
応接間の暖炉の薪が音を立てて崩れる。
それを聞きつけたコ・ニアは火の側に寄り、火掻きを行い、薪を足す。
「お前たちは、一体何をやっているんだい。」
改めて、ブエラ・セッタがそれを問う。眉間に指を当て、目の疲れを和らげる。
「この知らせには幾つも判らない事がある。それは理解った。この度の豊作とは無関係の知らせであるというのも理解をした。」
そう述べ、手にしていた手紙をコヴ・ラドへと差し戻す。
「私にも理解が及ばぬ事が多いのです。何しろ我が領は、その渦中に居ない。むしろ恩恵に甘んじる立場でしてな。」
コヴ・ラドは再び手紙に目を落とす。読み返す部分と、未読の部分をその目で追っていく。
「この度の豊作は、詩魔法と無関係?これでは私が、無駄な労力を使って小言を言っていただけになる。」
まだ砂を落とし続ける砂時計を懐にしまい、ブエラ・セッタは深い息をついて椅子にもたれかかる。
「ええ、農耕改善は詩魔法と無縁の知識で進められています。寧ろ発想は、詩魔法の及ばない物を育てようと試行錯誤を重ねている。その協力を、ディル領とリゼウ国にも求めているのです。今回の豊作という結果は、その過程で偶発的に発見されたものに過ぎません。」
コ・ニアは静かに、淡々とそう述べる。
ブエラ・セッタはその目を閉じ耳を傾け、その言葉の意味を熟考する。
「書中には私の知らない名が二つあった。そしてあのジエが、ヘスを差し置いて陣頭に立って書を認めている。ディルには一体何があるというんだい?」
「お話する訳には参りません。件の農耕改善にはまだセッタの入り込む余地は御座いませんもの。先行きの不明なお話に振り回されては、ブエラ様の御体にも障りますわ。」
「それに全てが無関係とは申しません。全体の流れを見れば、詩魔法も詩魔法師も、その存在がより色濃く不可欠なものであると裏付けられています。ただ、ブエラ様のお持ちになった御懸念は、不要になったのです。」
嘆く声に、コ・ニアは声の主に対し目を細め静かに述べる。
「文面の内容は穏やかなものじゃない。ディル領が単純に厳しいという話でもないようだ。」
ブエラは自身の言をひとまず置いて、書中の内容について口にする。
その言葉は静かに、重い。
「その様ですな。そして我が領でも同様の問題が起こっていないか、急ぎ調べる必要があります。ニアが持ち込んだ手紙は、正しく火急であったのです。」
コヴ・ヘスは手を掲げる。その合図を受けて、コ・ニアはそれを察し二人の側を離れる。
退室の会釈をし、戸の向こうへと去っていく。
「セッタでも起こる事であるとしたら、それを事前に知れた恩をお前とヘスに受ける事になる。」
書中の文面に記されている通りであるならば、それはブエラ・セッタにとっても火急であると理解はしていた。
「求めませぬよ。ただ、支援は出来かねる。我が領はまず、これを知らせてくれたディルと自領を救わなければならない。それはこの先を見ても、今はセッタよりも優先せざるを得ない。」
コヴ・ラドは一寸を迷わずそう告げる。ブエラ・セッタまた、それを受け頷く。
「解っているさ。お前とヘスの仲の事を抜きしても、だ。私は私の範疇で出来ることを、セッタでせねばならない。母の小言をただただ煩わしいと思う我が子を、何とか説き伏せての。」
そう言うと座したその腰をゆっくりと持ち上げ、ブエラ・セッタはコヴ・ラドに頭を下げる。
「それを超えて生き延びておれば、また話を聞きに来る。その時はお前たちの悪巧みに協力させとくれ。それで幾らかはこの度の詫びと恩を返せるだろう。」
「もし後二年、この国が停滞を続けていたならば、その御懸念の通り、私は一つの可能性として詩魔法について再考をしていたかも知れませんね。最もその頃にはこの国の存続自体が危ぶまれ、誰も私を諌めるものなど居なかったでしょう。エスタ領もディル領も既に無く、王領の存在も疑わしい。」
自らの執務室に戻る最中、コ・ニアは誰に宛てるともなく、そう呟いた。




