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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
三国の転機
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飢餓の連鎖

欲求。人は欲求で生きている。

 我々の世界ではアブラハム・ハロルド・マズローの考察がよく知られているだろうか。


 生理的欲求・安全欲求・社会的欲求・尊厳欲求・自己実現欲求。


 空腹を覚え、眠いと思う。寒さを感じ、暑さを嫌がる。

 時に不安から自らを守りたいと考え、時に恐怖を乗り越えるために敵に立ち向かう。


 そうして、誰かを助け、誰かに守られる存在でいたいと感じる。

 その中で、誰かを素晴らしいと思い、誰かに素晴らしいと思われる。

 やがて、自分を取り巻く全体像で、明日の幸せな夢を見る。


 しかし、それを尊ぶ事もあれば、戒める事もある。失敗に学び、我慢を覚える。


 自分の思い描く明日を実現するために、時に人は我慢をする。

 それを尊び、それに助けられ、或いは不安を薄れさせ、恐怖を遠ざけることもある。


 人は野生のままに生きる動物ではない。

 そう自負する事で、望んで生きる事を辞める事さえある。




「ジエさんは、今回のこの村の出来事は何が原因だと思う?」

 その姿に見かねた幢子は、コ・ジエの背でそれを問う。


 目の前では、村の大人たちや子供達が白湯を啜り、豆を口に運んでいる。


「領主一族の不明だと考えています。もっと早くに気づくべきだった。」

 自らの家の中で、動かず、じっと寒さと空腹に耐えていた大人たちは、子供達が温かい暖炉の前で白湯を飲み、豆を食べているのを見て、一人、また一人と食事をし始めていった。


「気づけなかったよね、ジエさん。でも気づけなくて当然だと思う。」

 幢子はジエの腕の裾を掴み引く。それが何かの合図と受け取ったコ・ジエは、背を向けた幢子の背中を追う。幢子はそのまま、教会の炊事場へと足を向ける。


「エルカ、ちょっといい?それと、そこの貴方も。」

 炊事場にいたエルカは、この村の詩魔法師と話をしていた。エルカには思い至ることがあってそれを確認していた所であった。当の歌魔法師の顔色を見て、幢子もまたそれを察する。



「始まりは、詩を歌っても、子供たちが寒がったり、空腹を訴えたことでしょ。」

 幢子より数歳ほど年上と思われる女性は僅かに驚き、間を置いて静かに頷く。


「三の豆の収穫を前に、村の食料が枯渇しかけたのです。大人は皆、子供の為にと食事の量を減らし与えました。空腹を口にしていた事も多かったように思います。きっとそれを聞いていたのです。」

 彼女はそうして、小さく震えている。エルカはその手を取り、両手で息を吹き込み温める。


「我慢が成功して上手くいくとね、癖になるんだよ。でも、それが良くないこともある。」


「大人が我慢した事が原因で、子供も我慢をしたと?」

 コ・ジエが問うと、幢子は少し悩んで、一応に頷いた。


「今この場だけ見ればね。でももっと大きな原因がある。大人たちは我慢が成功することだけを子供に教えちゃったんだよ。上手に我慢が出来れば、皆が喜ぶ。でも、実際は我慢はできてなかった。」

「魔素切れ、ですね。」

 エルカは一種の確信を持って答える。詩魔法師だから、ここで起こった事が理解できる。


「大人たちは空腹を慰めるための詩を請いました。それは何年かに一度はあることで、今回もそうだと思ったのです。私は歌ったのです。ですが、空腹は、隠せていませんでした。」


「それでも三の豆を得て、安堵したのです。そして冬季がやってきました。子供達は、食べても空腹を訴え、寒さを訴えました。」

「自分が魔素切れになっている自覚や、子供に魔素が減っている自覚は?」

 彼女は首を横に振る。やり取りをずっと聞いているコ・ジエはその内容を頭で考察していく。


「長時間、魔素が枯渇している状態で慣れてしまうと、自覚が薄くなっていくのです。」

 エルカがコ・ジエにそう付け加え説明をする。


「極端に言えば、魔素なんて身体になくても、実は人は生きれるんだよ。でも溜まっていく事で魔素が身体にあることが普通になり、魔素が減ると違和感や不快感、不調を感じるようになる。」

 幢子は、自分の身体がいつの間にか、この世界に適応し順応した体験を踏まえ、述べる。


「魔素が無くなるとどうなると思う?その結果を想像してみて、ジエさん。」


「詩魔法は、効果がない。」

 考える時間は必要なかった。自身も、幢子とエルカが行っている研究を、把握する立場にあった。


「そういう事。十年、二十年としてきた「我慢」の誤魔化しが効かない、そのままの飢餓が起こる。寒ければ寒いまま、空腹や栄養失調は命に関わる問題になる。それらを補うために溜まった魔素はその場から不完全な詩魔法で不完全に消費されていく。子供達にも大人達にも、誰も理由がわからない、飢餓の連鎖が深刻化していったんだよ。」

 幢子はそこまで言うと、エルカも、コ・ジエも、同様に事実を直視できず、目を伏せ、奥歯を噛みしめる。


「そういう、理由だったのですね。だから歌っても、子供達は疑うような目で。」

 彼女はそう呟くと一筋の涙がその頬を伝う。孤独と不安が止めどなく溢れ出し、両手で顔を覆う。


「こんな生活終わりにしよう、ジエさん。ジエさんはそう思って、方針を決めたんでしょ。他にもこんな村がこの領中、もっと言えば国中であるはずだよ。」

 コ・ジエの拳が強く握られる。泣き崩れる彼女の手をエルカは優しく包み、その肩を抱きしめた。

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