ディル領の割譲
サザウ国 ディル領 コヴ・ヘスのある日の日記そのハチ。
あまりの慌ただしさに、往年の冬季とは比較にならない雑事が続いていた。
ジエの手紙による再度の提案もあり、ポッコ村を近くの村と統合の計画を更に推し進めることとする。
当初送り出した派遣青年団は村の生産活動に順応し、雨が降れば文字や数字すらも教えているという。
彼らが作った煉瓦や、割った薪などが日数で示されている。
あまり重要な数字ではないが、ジエによる村の差配は、役人としてだけではなく、コ、領主一族としてもその著しい成長に心が躍る。
登城を済ませ、開拓村の統廃合の根回しをする必要があるだろう。
合わせて、煉瓦の製造許諾認定、陶器の製造に関わる産業認定を得る必要がある。
都合三枚の書状を得るのに少なくない貨幣が必要になる。
税を支払った際に、王に直接願い出る必要があるだろう。
これらの事は、ダナウに知られぬよう進める必要がある。幸い、噂話として我が領の貧窮は既に伝わっている。
住民の減少による廃村という形で進めることは出来る。
噂ではなく、来年にはそれが見えているというのが口惜しい事ではあるが。
認定については住宅の建築に必要に迫られた、趣味が高じた愚かな足掻き、といった体を一貫すれば、それを押し通すことも出来るだろう。
今日も灰と陶器を乗せた荷車がエスタ領へと出ていく。沈む領からは灰すらも奪われる。
コヴ・ヘスの前で、国王ラザウ・サザウは一枚の書状に判をついた。
「ダナウ、そしてヘス。互いの申し出の通り、本件を認めよう。」
コヴ・ヘスは、その言葉、だけで済んでしまった事に奥歯を噛みしめる。
「本年のディル領の税の納入はこれを免ずる。代わりシギザ領は以降、領地拡大を鑑みた増税を行う。ひいては本年、ディル領の納税予定額を肩代わりせよ。」
せめて判を打つ前に、言葉をかける事ぐらいは、と思う気持ちが、コヴ・ヘスの胸中を占める。対して、コヴ・ダナウはその笑みを隠さずに居る。
形式を繕うため、両者はその場で握手を交わす。
「しかし村はそのまま放棄し、代々切り開いた畑を捨て、領民だけは引き取るとはな。」
「コヴ・ヘスの領民に対する想いは、私の心にも強く響くものがあります。」
コヴ・ダナウの表情は一切崩れない。終始の笑みを浮かべている。
黙したまま握られた手が離れたのを待ち、コヴ・ヘスは珠と浮かべた額の脂汗を拭うこともせず、踵を返す。
「ところで、ダナウ。昨年、買い入れた鉄の皿についてだが。」
自らが去るも待たず、歓談を始める旧友に、コヴ・ヘスは酷い落胆を抱えながら、その場を離れた。
「苦渋の決断であったな。ヘス。」
王都でのコヴ・ラドの仮邸に足を向けたコヴ・ヘスを、主自らが出迎える。
「失ったものは少なくない。だがこれで時間は稼げる。リゼウ国の使者はいらしているのか?」
「ああ、現在、ジエ君、ニアと共に応接室で待っている。」
コヴ・ラドの差し出した布巾に、冷えた脂汗を拭うこともせずこの場へと足を運んでいた事をコヴ・ヘスは漸く思い至る。それを受け取り、額に当てる。
「此度の会談、公式なものではないとは言え、私はジエにそれを任せることにした。」
「おお。となると、時代のコヴとして成ったのか。立派になったものだ。私には昨年、共にディル領へと踵を返した事が、まだ昨日の事のようだ。」
「子は育つ。全てを次代に手渡す日はそう遠くない。」
コ・ジエはこの場で初めて接する京極栄治に、幢子の姿を重ねる。
黒い目、黒い髪、顔や鼻立ちは確かに同郷の出を思わせる部分がある。
「初めまして、ディル領のコ、ジエです。ラザウ国の使者、キョウゴク・エイジ殿。以後お見知りおきを。」
「アンタがジエさんか。河内さんはこの場に来なかったと聞いて、残念という気持ちがないわけじゃないが、以後宜しく頼む。」
「事前によく話し合い、今は村を任せる事に致しました。彼女の立場は今、非常に繊細です。」
両者は手を取り、握手をする。
栄治の言葉に、コ・ジエは鼻につくようなものを感じる。
「私もまたトウコ様にお会いしたかったです。今度は直接、お話したい事も沢山ありましたので。」
「トウコ殿にはそうお伝えしておきますよ、ニア嬢。」
コ・ジエは自分が知る姿とは違う雰囲気を纏ったコ・ニアに若干の違和感を感じる。
しかしその正体を手繰る事よりも、目の前の異邦人に対する警戒と腐心を優先する。
「待たせたな。」
コヴ・ラドに伴われその場に現れたコヴ・ヘスが、一同にそう発する。
「父上。先に親交を深めておりました。王城の様子は如何でしたでしょうか。」
頭を下げるコ・ジエを手を掲げ制し、コヴ・ラドが椅子に座するのを待って、一同は席に腰掛ける。
「割譲は正式に決まり、今年の税については免除を受けた。向こう三年の統合先での詩魔法師の重複赴任も勝ち得てきた。翌年以降の税額については来季中の内政府での討議となるだろう。」
全面的に自身の願い出た通りの結果に、父の苦労と苦渋に、改めてコ・ジエは深く頭を下げる。
「よしなさいジエ。使者殿の前だ。この度の会談は次代のコヴとして、このコ・ジエに全てを任せるつもりで居る。宜しいですかな?」
栄治はコヴ・ヘスの言葉に頷く。目の前の好青年のその手腕に期待をしながら。