鉄を作るための鉄
サザウ国 ディル領 コヴ・ヘスのある日の日記そのロク。
色々な幸運も重なった。諦めていた貨幣の工面がそれを出来たことは、安堵に尽きる。
だが、それと共に多くの問題が現れた。
我が領と同様に、リゼウ国にもまた黒髪・黒眼の異邦人の影が立ち居振る舞っている。
その異邦人が直接こちらに接触を図ってきた。
既に我が領に、陶器を焼く窯元がある事、そしてこの度の陶器相場を利用した独立商人たちからの貨幣の獲得を、共に感づいている。
扱いを誤れば、私は新たな難局を迎えることになるだろう。
走り書きされたその辿々しい筆跡の書き添えを見れば、この地域に来て日が浅い事を伺わせるが、それに反してスラールの語彙を実に堪能に操っている。
私の知らない品目や単語すら指し示す。
これらに一致する人物、我が領に頭を悩ませる客人と同様であり、その同胞である事は、ほぼ間違いあるまい。
書き添えに記された、母国語と思わしき一文は、見たこともない文字である。
何らかの暗号か、或いは隠すことすらせず、相手にそのまま連絡を取ろうとしているものだろう。
書き写しはしたが、口惜しい事にそれの解読を試みる時間はないだろう。
私に差配できる事を既に超えている。
そのままこれを渡し、事態の推移を受け入れるしか無い。
「そうか。ついに作ってしまったか。」
コヴ・ヘスの目の前には、三つの握り拳程の大きさの塊が鎮座している。
幢子を伴うコ・ジエは、それを差し出し、コヴ・ヘス側へ立ち向きを変える。
「良い。ジエ、お前はそちらに居なさい。」
コヴ・ヘスが手を掲げ、その素振りに戸惑いながら、コ・ジエは幢子の後ろに控える。
「初めに一つ聞きたい。コウチ・トウコ殿。貴方はこの鉄を、何を思って作った?この鉄で何をする?何を作るのだ?」
コヴ・ヘスは、その言葉を投げかけた相手をじっくりと見つめる。
その一挙手一投足を見逃さぬように。
「鉄を作るために使います。鉄を作らねばならないから作ったのです。」
一寸の間を置いて、幢子は迷いつつ答えた。
「答えとしては不明瞭だな。率直に言えば誰かの指示であったのかと聴いている。」
「父上!」
その問いに、コ・ジエは反射的に抗議する。そうしなければならないと、自然と声を発し、そして自身の行動に驚くように、口元を抑える。
「リゼウ国か、或いは、また別の遠い異国か。この鉄は、我が国に大きな混乱をもたらすだろう。今もその気運が既に現れつつあるが、さらなる混乱だ。この意味はわかるな?」
「それを質したとて、答えは得られないかも知れない。私の命が失われるやも知れない。だが、問わずには居られないのだ。我が領を、サザウ国を、この鉄でどうする?」
問いに対し、その答えを発せないでいる幢子の目を、コヴ・ヘスはじっと見ている。
その剣幕に、コ・ジエもまた口をつぐむ。
「ヘス様は、その、怖い、と思っていらっしゃるのですね。これから起こる、何かが。」
幢子は目を閉じ、言葉の一つ一つを確認しながら発していく。
「この鉄で武器を作る。その武器でシギザ領、そしてバルドー国と戦え。最後にはそこへと導かれるのではないかと思っている。トウコ殿の後ろにいる何かの思惑によって。」
堰を切ったように、コヴ・ヘスが問いを重ねる。
「ヘス様は、その様に考えていたのですね。」
幢子の答える声は冷たく、淡々としている。
コ・ジエは幾度も声を発そうとし、それを出来ずその度に奥歯を噛みしめる。
「答えよ、コウチ・トウコ。お前は何者だ。お前たちは何者だ。」
「私はもう、恐らく故郷に帰ることが出来ないのです。ですから、ここで生きていくしか無いと思っています。五年、十年、命が無くなるまで、この世界でこの地で生きていくのだと思っています。」
幢子は言葉を選び繋げていく。
少しずつ思っていたこと。
コヴ・ヘスの吐露に、そこに向き合うためには、前提が必要であったと考えた。
「私は、この地で生きていくしか無いのです。ですから、自分の命を失う事にもなりかねない、戦争など考えたこともなければ、この鉄は武器ではなく、自らを守る手段として使いたいと考えています。」
「手段として使う。この国を、領をシギザ領、バルドー国から守るというのか?」
幢子は一寸考え、そして静かに首を振る。
「見える敵、直接的な相手から守る、というものではありません。」
「例えば、畑。鉄があれば良い農具が作れるでしょう。作地も広がり、収穫も増える。」
「例えば、家。鉄で作った金具があれば、雨で立て付けが悪くなる戸が減り、隙間風に凍える冬から身を守ることが出来ます。」
「例えば、木。鉈が増えれば薪をそれだけ多く割れます。ノコギリを作れば木を切り、より自然の実りの多い森を人の手で作り出すこともできます。器具が普及すればより精密で多彩な加工品を、より早く作ることが出来るようになるでしょう。大型の動力を作ることだって視野に入ってきます。」
そこまで言葉を繋げ、一度口をつぐみ、幢子は、説得ではなく、ただ自分のやりたい事だけを伝える決心を固める。
「私は、まず鉄を作るために鉄を作ります。そしてここで生きる人達がこれからも生きていくために、この鉄を使うんです。これが以前も言った、インフラです。」
「人の命を奪う戦争のために武器を作る。そんな非効率的なものに使うために鉄を使う余裕なんて一欠片もありません。他に作らなければならないもの、作りたいものが沢山あるんです。私が生きている間、生きていくために、きっと、ずっと。少なくとも、今は。」
言葉を重ねていく間に、徐々に頬を赤く染めていく幢子の表情を、コ・ジエはじっと見ていた。




