新しい楽器
幢子の記録 詩魔法そのイチ。
私はこの世界に来て、初めて出会う詩魔法とを言うものを知った。
詩魔法は凄い。目の前で怪我をした大人が、その傷を塞がれていく。
けどその皮膚の下まではわからない。少し触ってみたが触れると嫌がる所を見ると、痛みは取り切れないのだろう。
黒曜石で手を切って、ちょっと引くくらい血が出た。傷口を舐めても、血がにじむ。
村の子供が慌ててエルカを呼びに行った。
エルカは簡単な歌を歌ってくれたらしく、血が止まり傷も塞がった。残る痛みはない。
雨の降る中、エルカは畑の前で詩を歌う。
そんなに強くない雨だけれど、少し冷える。そんな中、エルカは豆の芽が出ることを祈って詩を歌う。
肥料を蒔いた方がいいと思うのだけれど。
翌日、エルカがくしゃみをしたが、豆の畑に芽が出た。
一斉に芽が出る。気持ち枯れた声で、今日もエルカは詩を歌っている。
この世界は肥料がなくてもいいらしい。
鉈を借りて簡単な木枠を作って、煉瓦種作った。
焼く。少し火傷をしたけれど夜寝る前にエルカは歌ってくれた。
気にするような火傷じゃないのに。朝起きると火傷の跡はすっかりと消えていた。
その日の午後、畑の前で座り込んでいるエルカを見た。
魔素が切れて少し疲れてしまったらしい。
いよいよと強い雨が振り始めたその日、幢子は教会の暖炉の前で穏やかな休日を過ごしていた。
東屋では煉瓦や素焼きの代わりに瓶に湯が炊かれ、スープが作られている。
子供達は教会の隅に集まって、オカリナを吹いている。
「あ、忘れてた。」
幢子が声を上げる。
炭に一応の目処がついて、製鉄のための「たたら炉」を考え始めていたが、ふと手を止める。
「面倒事なら早めに具体的な工数と資材を教えて下さい。必要なものからお願いします。」
村の主計をつけながら、控えの紙を一枚取り出し、コ・ジエは準備する。そのあまりにも淡白で乾ききった仕草に、幢子は思わず口元を緩める。
「そんな大事じゃないよ。陶器でナイフの刀身も作ってもらってるけどさ、似たような感じで、誰かに作って欲しいものがあったなと。」
「急ぐものですか?それは商材になりますか?技術的に難しいものであれば、トウコ殿が試作を作ってから、作成工程の整理を。」
コ・ジエが主計を淡々と続ける横で、彼の用意した控えの紙を引っ張り、幢子は羽をインクに浸す。
「最近ジエさん動じないよね、ちょっとやそっとじゃ驚かないし。」
「この村で鍛えられていますから。誰に、とはあえて言いませんが。」
幢子の手の羽が、カリカリと紙の上を走る。
「まぁ、作ろうと思っていた楽器なんだよ。冬に子供達と演奏会するつもりだったのに、村の外からお客さんが沢山来たり、大事が始まったりして、慌ただしい感じだったからね。」
コ・ジエの手が止まる。そして急に席を立ち上がる。
「エルカを呼んできます。」
「どしたのかな?ジエさん。ちょっとやそっとじゃ驚かないんじゃないの?」
書く手を止めて、少しだけ意地悪に、口元を緩めて幢子はその背中に言った。
やってきたエルカは新しい楽器と聴いて、その場にいち早く飛び込んでくる。
「トウコ様!新しい楽器を作ると聴いたのですが、本当でしょうか。」
その目は輝き、頬は赤く染まっている。
「ごめんね、エルカ。歌って疲れてたんだよね?」
朝、雨の降る中、エルカは詩を歌うために豆畑に出ていたと幢子は記憶していた。
雨の中ではオカリナはあまり適切な楽器とは言えない。
エルカが雨の中、詩を歌うしか無いというのは幢子にも理解できていた。
畑に詩を捧げるという事に関しては、エルカにしか判らないことも多い。
「身体と服を乾かして、火の前でうとうととしていましたけれど、新しい楽器と聴いて目が冴えました。」
コ・ジエが遅れて戻ってくる。その足取りは、幢子の目にも見えて重い。
「ジエさん、エルカ、服乾かしてたんでしょ。まさか覗いたりしてないよね?」
「陶琴、ですか?」
図解と簡単な材料と工程が書かれている紙を、エルカが見ている。その後ろからコ・ジエは紙を覗き込む。
「そう。煉瓦ほどじゃないけど少し厚めの板を並べるの。長さも変えてね。作るのはオカリナよりずっと簡単だし、音階の調整や試作も終わらせれば、型枠を作って、どんどん作れちゃうやつ。」
「私が作ってもいいですか!作ってみたいです!」
エルカの弾む声に、幢子は手を添えて静止させる。
「駄目、エルカは雨季はお仕事が大変でしょ。代わりに、ジエさんに作ってもらっちゃおうか。」
「私がですか!?」
驚くコ・ジエの前に、幢子の目は冷たい。比してエルカの目は、楽器に対する嫉妬にも見える。
「煉瓦不足で新しいことも出来ないし、その煉瓦種もこの雨季だと一度に沢山は乾かせないでしょ。だから今のうちにパパッと、勢いで作っちゃおう。収穫の頃にはそんな余裕なくなる予定だし、ある意味、陶器をやってみる最後の機会だよ、ジエさんも。」
殊更意地悪そうに言う幢子と、それに困る様子のコ・ジエを、エルカはじっと見ている。
「たまには新しいことをやってみるべきだよ、ジエさんも。鍛えないとね。」
エルカにとって何よりも一番に羨ましかったのは、幢子と一緒に何かを作れる、という事だと、当人たちはまるで気づいていない様子であった。




