治験農場
葉肥、根肥、穂肥
肥料と言っても様々であり、その種類も、その投入時期も様々。
稲作を題材とした話は多いが、稲は特にそれが顕著に見られるからであろう。
自然界に生育する、自生の強い植物と異なり、人が人によって人の手により増やした作物は非常に不安定になりやすい。
周囲の環境、交雑、成長に必要な栄養素の確保、細菌の繁殖や周辺の害鳥、害虫、或いは益鳥、益虫の存在や生息数。
そうした中で、人々はそれを観測し、分類し、対策し、整えていく。
肥料はそのわかり易い例の一つであり、それだけに重要な要素の一つと言える。
リゼウ国、スラール海沿いの港では、冬季から様々な変化が起こっていた。
海岸に多くの簀子が張られ、そこに海女たちが引き上げた海藻が並べられ、干されている。
その日の釣果にもよるが、余分に魚をとることも増えてきた。小さな魚が好んで取られ、海水を煮立ててかさを減らした液に一度浸し、そして広い木板の上で干されている。
そうしたものを買い入れていく国主の使いの荷車が、毎日必ず現れる。
そして、乾豆と交換をしていく。
港では豆を食べる機会はそれほどなかった漁師も多い。
だが、かつては口慰みに焼いて食べるものだった海藻を、採り尽くさないように気をつけて採り、干して渡せば、乾豆になる。
それまでは漁師が出入りするだけの様な小さな漁港ですら、やがてくる雨季を前に舟を出し、降って湧いた騒ぎとなっていた。
「草木灰、鶏糞、海藻粉、貝粉、落ち葉堆肥、数は少ないが魚粉、虎の子の木酢液。」
栄治は並ぶ肥料を一つ一つ確認していく。
「既に諸兄には話をしてある通り、こいつらは取り急ぎ集めた。だから俺も素直に言えば自信がない。 だから徹底的に調べる。いいな。解らないから調べるんだ。理解は後から付いてくる。何が起こるのかを逐一確認しろ。何かに気づいたら役人に報告しろ。役人はそれを全て記録しろ。」
兵士たちが並んでいる。その表情は一様に硬い。国主の激励とも異なる、目の前の男に対して、その発する言葉の意味が理解できない事も多い。だが確実に解る事もある。
「それと、腰が痛くなって文官に乗り換えたいやつがいたら名乗り出ろ。文字の書き方から数字の数え方から、全部教えてやる。大歓迎しよう。出世も約束するぞ。」
役人たち一斉に口元を抑えて吹き出す。兵士たちも実情を知っているものは苦笑いをこぼす。
「安心しろ。上手く行っても行かなくても、仕事が終われば全員に鶏を食わせてやる。卵を焼いてやる。だが上手く行けば、更に鶏は増え、卵も増える。食ってみてその意味が解っただろ。そのうちもっと美味いものを食わせてやる。豆以外のものを俺は知っている。俺をもっと働かせてくれ。寝る間もないと嘆かせてくれ。お前さんたちの出す結果全てが俺の仕事になる。」
栄治はそこまで言うと手を掲げる。それを合図に役人が声を上げ作業が開始される。
幾つも区切られたその硬い更地に水が撒かれ、木鍬が振り降ろされていく。
「さて、どうなるか。」
出来る準備はした。栄治は覚悟を決める。今日のその日のために、ディル領からオカリナも仕入れた。事前の下調べも、いくつかの予防線も張ってある。
兵士たちを労う、覚束ないオカリナの音が響き出す。
軍属の数人の詩魔法師たちもまた、今回の調査には組み込まれている。そのために、計画の規模がそのまま二倍にもなった。成果は出さねばならない。
「始まったか。」
栄治の後ろに数人を伴ない、その者が顔を出す。
国主、アルド・リゼウである。
「ま、ボチボチだな。ここまで来たら引き返すことはできん。」
アルド・リゼウは懸命に木鍬を振り下ろす兵士たちの近くへと歩いていく。その側を栄治もまた伴って歩く。見知った顔の役人、見た記憶のある兵士、すれ違いながら声をかけていく。
「農耕改善。既に成果を上げ始めている飼料の改善と同様、信じさせてもらうぞ、エイジ。」
「そりゃいつの間にやら、随分と信頼されたもので。」
「当然だ。お前は幾つもの難事を次々と踏み越えてきた。任せれば、成果を出す。その成果を出すための方策を考えて、その方策のための準備を成し遂げる。それが、私をこれほど期待させる。」
国主の言葉は、栄治にとってはそれほど有り難いものでもない。ただ、目の前の問題を解決しなければ、明日は我が身だと思い知った。
命の手綱が、今この段階では、彼自身に悟られずとも、彼に握られている。
放逐されれば、待っているのは栄養失調からの衰弱だろう。
あの不安げなオカリナの音が、少なくとも今は必要なのだ。
「あの、海藻と豆のスープと言ったか。美味いな。贅というものを否応なしに呼び起こす。湯に卵も溶いてあの様に贅沢に浮かべるなど、ここ数年は自らを戒めていた。」
「食わねば、飢える。兵士も、農民も、官僚も、国主でさえも例外ではないだろう。お前さんが一番最初に食って、浸透させるのが一番だろう。今この状況に於いては、上役の清貧は、下を泣かせるだけだ。」
「ここにいる皆が、あのスープを口にできるほど、まずは鶏を増やさねばならん。」
アルド・リゼウはある種の決意を持って、それを口にする。
そのためにこの場を作っている。
「国主であれば、もうその更に先を、見据えておくべき、でしょうな。」
多少の「おべっか」を意識し、栄治は言葉を返す。
考えるまでもなくそれを悟られると解っていたが、ちょっとした皮肉も含めてであった。
「お前もだぞ、キョウゴク・エイジ。此度の事が成功すれば、お前を宰相に取り立てる。」
「それはまた、面白い冗談だ。精々、期待させて貰うとしよう。」
「そうだ、お前も私の期待に応えよ。応え続けよ。」
そうして、国主として彼は歩く。行く先々の兵士に声をかけながら。




