食事情
カルシウム。
多くの生物にとって必要なミネラルの一つ。
鉱物に分類されるが、自然界には化合物として様々な形で存在する。
人間社会にとって最も知名度が高いカルシウム化合物は、炭酸カルシウムであろうか。
石灰として知られ、漆喰、飼料、肥料、食品添加物、様々な化学製品の原料、或いは、顔料。
摂取することで陸上生物には体格を維持するため無くてはならない骨や外殻となっていく。
生物を見る際にはこのカルシウムとの接点が多い。
魚類の骨、貝の殻など海中を生きる生物にもまた、カルシウムは必要な存在であり、身近な存在である。
「降参だ。どのみち待ってても遅かれ早かれ俺たちまで栄養失調になるだけだ。」
栄治は幢子の目から顔を背け、両手を上げる。
「ただ、俺達は医者じゃない。まして栄養失調の症状が視認できないなんてのは絶望的だ。直ぐにできることは限られてるぞ。」
幢子は栄治を見て頬を緩ませる。栄治の頬にもまた赤みがさしているのが、幢子には感じられた。
「土壌改良もする。食事情も改善もする。だが俺にできるのは食卓に並べる所までだ。得意不得意もある。知らないことだってある。その先の事までは、責任をもてと言われても無理だ。結局の所、どんな結果が出るかは未知数だ。それでよければやってやるよ。」
「それでいいですよ。今が最悪なんです。思いついたことを全部やっていきましょう。」
幢子はその目線を栄治から、三人に向き変える。
「かと言って何処から手を付ける。今手元にあるのは豆、豆、豆だ。」
「貝殻はあるでしょう?鶏さんがその状態ってことは人の方もそうじゃないでしょうか。」
「過剰摂取のしきい値が判らん。今がどの程度足りてないのか、どの程度吸収できるのか。全く判らんぞ。だったら鶏卵の殻を砕いて炒めて、粉末を湯に溶かした方が吸収はいい。だが、そいつは肥料でもある。炒める燃料があるなら、肥料にして収穫を上げる方が現実的だ。」
「いいか?わかり易い例を教えてやる。一汁三菜だ。」
幢子にとっても馴染みの深い、しかし久々に耳にした言葉を栄治は引き合いに出す。
「主食を豆とすると、汁が一品、三種の野菜だ。学校給食を意識しろ。」
「牛乳ぐらいしか思いつきませんよ。鮮度なんて保てないですし。」
栄治の問に対して幢子が頭を悩ませる。
「代わりに豆乳絞ればいいでしょうか。でもそうすると主食がなくなりますよね。」
「豆乳にすればいいことがある。なんと絞りカスが得られるぞ。これは肥料として使える。」
二人の他愛のないやり取りすらも、二人の領主にとってはどれをとっても意識をしたことのない事ばかりである。受け手として会話に耳を傾ける事が自然となっている。
「主食がなくなってしまってはお腹を空かせるだけじゃないですか。噛むことが満足感へ繋がるって聴いた気がしますよ。まずは三菜を何とかしてくださいよ。」
「いや、汁の方がまだなんとかなる。海産物を使えばいい。なんでもいい、港で豆と海産物を交換するんだ。海藻でも魚でも湯に放り込んで溶かし込んで汁にすればいい。塩や貝殻は流通に乗るんだ、干物ぐらいあるだろう。食料に回せ。」
幢子と栄治がそろって二人の領主を見る。突然と振られた領主たちは頭を抱える。
「大国の海路から持ち込まれるものでなら存在するが、我が国にはその干物に加工する習慣がない。豆で事足りると、足の早い魚をわざわざ保存食にする習慣そのものがないのだ。漁師や港にはその道具すら無い。」
「そこからなのか。刃物一本あれば事が足り、いやその刃物が無いということか。」
「刃物なら、幢子様、ありますよ、ね?」
会話に取り残されていたエルカが恐る恐る口を開く。
「あ、うんそうだね。解った。必要な数がわかればそれに応じてどんどん作るよ。」
幢子が笑う。そうして自分の髪を持ち上げる。
「この髪ね、陶器で作った即席の鋏で切ったんだ。陶器のナイフならまとまって作れるよ。」
「本当は内臓は肥料になるが現段階では処理できん。骨だけは残して干物にすれば、湯で煮出して残った骨を砕いて多少は肥料になる。どの程度効果が出るか調べてからになるが、何もないよりはマシだろう。」
「そいつが届くのを待って、リゼウ国へ帰りすがら港で干物を教えていく。よし、後で信頼できる漁師を紹介してくれ。領主からの依頼って事で先に通貨か何かを渡せば、今後商材になるはずだ。ナイフを落として、干物と豆を交換して、まずは食卓の豆の比率を少しでも落とせ。」
「ねぇ、砂鉄は駄目なの?この辺りで採れるんだけど、ほんの微量、お湯か何かに溶かして使うとか。鉄分になったりしない?」
「止めておけ。効果が絶対にないとは言わないが、妙な民間療法を作って問題が複雑化したら厄介だ。それだったら近くの河で川魚を釣って内蔵ごと焼いて食うほうがいい。銛で漁をさせろ。」
「後は山で樹の実や柑橘類を得られれば、その苗木を人里に移植して育てれば、数年後の事情が変わってくる。リゼウ領のコヴ様よ、あんたの所で茶を飲んだが、あれは何処で仕入れた?」
栄治の記憶にはまだ記憶に新しい。先日茶碗で飲んだ茶には、その香りに覚えがあった。
「何の話だ?特別変わったものはないはずだ。この茶と変わらぬ物ばかりのはずだが。」
「だったら、あのお嬢さん何か隠してるな。一度会う必要がある。可愛い顔をして食わせ者だな。」
コヴ・ラドが顔を僅かに歪ませる。だが、それは一瞬の事で、直ぐ会話の行く末に再び耳を傾ける。
こうして陽が落ちていく。
栄治が話を振り、幢子が考える度、会話が進む度に、商材が増えていく。
今は扱えない品であったとしても、明日の商材、翌年の商材となり得るかも知れないもの。
それは二人の領主にとって未知のものばかりであった。




