都会に出た同郷の友へ宛てた手紙
鋏。
その用途は薄く柔らかいものから、固く分厚いものまで、様々なものを捉え、固持し、ときに切断する。
二枚の刃物を重ね合わせれば、切断を用途とするものになり、紙や理容、食材の加工など幅広い。
刃物でなくとも、「挟み込む」という用途に合致すれば、鋏と呼称することもある。
金属加工などで用いる「やっとこ」、ペンチ等、形状が類似するものも多い。
また切断を用途する面から名称に鋏とされるものも多い。
洋鋏に分類されるものが主流となりつつある今も、裁縫、工芸の界隈では内側に二枚の刃を向けた支持点を持たない凹型の和鋏も姿を消したとは言えず、利便性に応じて使い分けられる。
二種は、洋鋏をローマ型、和鋏をギリシア型を起源とし、その歴史は古い。
材質は金属のものが一般的だが、セラミック製のものや合成樹脂等を用いた例も近代では多くある。
「だからこうだって。見てごらんよ。」
村の少年が陶器の煉瓦型に水で練り込まれた粘土をしっかりと詰め込む。
その手には陶器で作られたシャベルと押しゴテが目まぐるしく入れ替わる。
「しっかりと詰め込まないと、型から引き抜いた時に崩れてしまうし、乾かして焼いた後にも割れやすいんだ。これで、しっかり押して詰め込まないと。最後に上を平らに慣らすんだよ。見てる?」
少年の手に握られた器具も、この村に来て初めて手にしたばかりのもので、煉瓦種を作る当番は日毎に薪割りと交互にやってくる。
まだ慣れていない青年にとっては、この村の少年たちは作業にいちいち小言を言う爺さんたちと変わらないかのように思えてくる。
「おじさん。ほら、どんどんやって覚えて。まだ覚えることは沢山あるんだからね。」
覚えることは沢山ある。それは村の子供が皆、口癖のように言う。
始めは幢子が言っていた言葉だが、それを真似するように子供達も口にするようになっていった。
実際、煉瓦種を作る速さも、漆喰を練る作業や火を起こす速さも、窯の前で薪をくべる判断も、子供達が的確であるのが嫌でも分かる。
青年は火の前で小さな火傷を幾つも作っていたが、子供達はそんな事にいちいち構わず、自分の村の子供達のように泣いている姿もまるで見ない。
自分たちの方こそがただ大きいだけの子供であるかのような、そんな複雑な心境に囚われながら、青年は型に粘土を流し込む。
飯だけは惜しまず食わせてくれるのだ。昼の炊き出しが始まるまでの辛抱だと、腹を慰めながら。
「トウコ様!動かないでください!」
エルカが、手元を震わせながら嘆く。
「わかった、わかったよ。でも少し顔を傾けた方が切りやすくない?」
幢子は椅子の上でじっとしている事に耐えきれなくなってきていた。
しかし、エルカはその震える手で、まるで大任に必死で立ち向かっているかのように真剣な声でそれを静止する。
時折、カチリと音を立てると同時にサクり、サクりと、幢子の髪の毛は地に落ちていく。
前髪や耳にかかる髪の煩わしさに、そろそろ髪を切りたいと陶器のナイフを重ねて即席で洋鋏をあつらえた幢子は、それをエルカに託して、散髪を願った。
「エルカ、大丈夫?おかしくなってない?」
エルカの心境は極度の緊張状態にある。幢子から託されたそれは扱ったことがない刃物なのだ。
ナイフくらいならある程度の慣れがあるものの、鋭く研がれた刃に尖った先端、それが幢子の肌の直ぐ側を流れる黒い髪に通っていく。
今更、使った事がない、怖くてできない等と口に出す勇気もなかった。
「切りづらい?少し傾こうか?」
「お願いですから動かないで!」
エルカは幾度目かの悲痛の嘆願をする。サクり、サクりと幢子の髪が落ちていく。
幢子とエルカの間に静かな時間が流れている。
外では村の子供の誰かが、煉瓦種の作り方を説明して回っている。
本当なら散髪は適当に済ませて、外で何が起こっているかを見に行きたい幢子は、その度にエルカに静止を叫ばれる。後どれくらい時間がかかるのかが心配になってきていた。
「トウコ殿!館から使いと手紙が!」
そこに幢子が居ると聞きつけたコ・ジエが、慌てたように戸を開く。
反射的に幢子はそちらに振り返ろうと体を動かす。
「あっ。」
その瞬間に、カチリ、サクり、と音を立てて、大胆に髪の毛が落ちる。
「動かないでって言ったじゃないですか!」
涙混じりのエルカの声が、劈く様に部屋に木霊した。
肩幅まで切り揃えられた髪に、前髪の煩わしさもなくなり、幢子は満足そうにしている。
緊張に耐えきれなくなり、鋏を投げ出してしまったエルカに代わり、同じ様に怯えながら、コ・ジエは幢子の髪を切り揃えた。
エルカは、幢子の切り添えられた髪の出来を問われ、泣きながら大丈夫だと頷いた。
気まずそうにするコ・ジエを横目に、エルカがそういうのならと幢子も安心をする。
「で、ジエさん。何があったの?」
コ・ジエから手紙を手渡され、そこに蝋で押し添えられていた走り書きの紙にまず目が行く。
『都会で暮らす同郷の友人に、田舎者が肉や野菜を贈る事は珍しい事ではないのだが、残念な事に野菜も肉も手元にない場合は、逆に藁にもすがる思いで融通を求める手紙となる事も少なくない。恥ずかしい話だが、できれば上に書かれたものを手配してもらえないだろうか。そうして貰えれば、肉や野菜は必ず送る。』