父がそうするように
木酢液
木炭精製時の代表的な副産物。その用途は多い。
木材の炭化開始前の蒸留時に発生する煙に多く含まれ、煙突途上などから水蒸気と分離し抽出する。
鼻腔を刺激する強い臭いを持ち、嫌悪感や咳を催す人も少なくない。
効果にばらつきがあるが農薬としての機能を望める他、土壌の調整にも効果を期待できる。
化学分解、合成により酢酸やメタノールの精製にも用いられてきた過去もある。
有毒面と有益面の双方を持ち合わせるが、その扱いには十分な知識と理解を必要とする。
こうした副産物の精製、利用の知見や理解が、やがて化学製品という学問開拓へと昇華していき、数々の化学製品が生まれていくのである。
「まぁ、木炭にはなっているのだけれど。ねぇ。」
二号窯については、多くの後遺症が発生した。それは幢子も十分に知らされ理解をしている。
幢子は出来上がった木炭を一本、草布の袋からつまみ出し、じっと眺めている。
その品質や生産性、手順にはまだまだ研究と実証、実地作業が必要だと、幢子は頭を悩ませる。
「トウコ殿。二号窯をまたお使いになるおつもりですか?」
コ・ジエは恐る恐る尋ねる。
あの臭いには、どうにも嫌悪感を感じてしまう。
窯の中に張り付くかのような臭いと、染み付いた跡。木炭を掻き出す幢子にもそれは浸透し、まず子供達がそれを批難した。
村の婦人たちも慌てて湯を炊き、そもそもが没頭すると不精になる幢子は散々な目にあった。
「木炭としては、そううまくいってない。窯の大きさ、量、加熱速度、温度。水分が抜け終わって、炭化が開始してからの具合の見極めなんて、熟練の職人でなければ無理と言うし。」
せめてあの臭いの根源である木酢液の抽出も含めれば、採算としては取れたのだろうが。
炊き始めて臭いが出始めてから、幢子もその存在を思い出したのだ。
幢子が焚いた木炭は、炭と煤の中間といったものであった。
ただ、生焼けの物はない。
火をつけようにも中々つかない。焚き火に放り込んでようやく燃焼を始め、それほど持たずに白く灰となっていく。
見切り発車感は否めない。
この冬の間に後何回、あの作業を試みることができるか、そして成功品質へと近づけられるかで、春からを予定している製鉄の難易度が変わってくる。
二号窯そのものへも手直しと、せめて木酢液の抽出するための煙突の延長は必要だと考えている。
或いは二号窯での再利用可能な大量生産ではなく、小口で管理しやすい土釜か複数機の小型窯で回数を思考するシフトチェンジをタイムリミットを定めて視野に入れたほうがいいだろう。
だが幢子の目の前でコ・ジエが論じるそれは、現在の幢子に自由になる時間が少ないことを繰り返し示している。
幢子の裁量や知見を必要とすることが、今、村には多すぎる。
一号窯はもう当番制で動いているが、素焼きの施釉や、窯から上がった陶器の見分は、村人たちはまだ自分の裁量に不安を持ち、幢子に確認を求めている。
とはいえ、煉瓦種や煉瓦の作成にそれがない所を見ると、幢子は、それぞれの自信と時間の問題だとは思っている。
しかし、村人はこの冬季にありながらもう終日稼働をしている。
幢子の二号窯利用を専属し手助けする余裕と理解は、現在の所、この村にはまだ無いと言える。
越冬と来年度の納税基準を確実に満たすためには、習熟のための窯の操業を止めるわけには行かない。現在の所、商業的利率と時間効率の悪い炭焼きは、幢子の研究時間を燃料としてしか動かせない。
強いて可能な範囲といえば、焚口の薪と、炭にする薪を用意してもらう所までであり、それを加味しても準備に数日が必要である。
そして連続の運転にもまた研究途上故に問題がある。
「コストが足りてない。」
幢子はここにきてついにそれを口にする。
言わないように、そうならないようにしてきたつもりであったが、不意に口をついて出てしまった。
「コスト、というのは?」
コ・ジエは聞き慣れない言葉に、それが何かを尋ねる。
物資や原材料であれば父に上申し、その所在や手配を検討しなければならない。
「人的資源、村人の人数も、木材も、それを加工する道具も、人が居てもそれを理解して作業に当たれる知識も、私の時間も、全然足りてない。」
理解できる言葉の形で、幢子は言い直す。
「まずトウコ殿が今しなければならないことは何です?言ってみてください。」
間髪をいれず、コ・ジエがそれを問う。
「鉄を作るためにちゃんとした木炭を作る。」
少しの間をおいて、幢子は答える。
「そのために必要なもの。まずそれだけを考え、大事なものから言ってみてください。」
コ・ジエは取り出した羽ペンにインクを浸し、紙に添える。
「木材、木炭にするための広葉樹のもの。木材、窯を炊くための燃料。人、火を見てくれて薪を足してくれる人。人、それを交代で行ってくれる人。三号窯、そのための材料は石灰と煉瓦と新しい東屋。後、問題を把握し改善を検討する私の時間。」
翌昼、村を荷車が旅立つ。
領主の館へと向かうその積み荷には一通の手紙が添えられていた。




