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詩の空 朱の空(仮称)  作者: うっさこ
動き出す大国
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言葉の壁

 宴会の後、リゼウ国王城の中庭はいくつかの篝火と夜番の兵たちを残して静かな夜を迎えていた。


 いかに祝い事であれ、それが国主であれ、翌日も野良仕事がある。極めて納得の行く理由であり、三の豆の収穫を前にした大事な時期も事実であった。

 返って仕事に身が入る。宴会の終盤、口々が発していた言葉であった。



 先程まで、しきりに眠りを誘っていた、そんな穏やかで、優しげなオカリナの音色が鳴り止んだ事に、サウザンドは夜風を浴びながら気がついていた。


「お話、いいですか、少し。」

 辿々しい、そんな言葉で、声が耳に届く。


 その声の主が、直ぐ近くに立っている事は、背中越しにも解っていた。

 帯剣に手をかけるまでもなく、それを退けるのは容易ではあったが、振り返り、応える。


 壁の影に隠れるように近衛が一人立っていたが、サウザンドは手を掲げ、目をやって、その必要がない事を知らせる。


「構わない。」

 そう応えると、相手は上目遣いで、上気し赤く染まった頬を持ち上げた。


 サウザンドは、何処か遠い記憶、同じ様な事があった気がした。

 しかし無関係のセピア色となった断片的な映像が脳裏に浮かぶばかりで、思い出すことができずに居た。


「私、詩魔法師、です。エルカ、です。」

「前に、お前の国で会った。覚えている。」

 一年少し前、一連の事件で顔を合わせていた事はサウザンドも覚えている。


 エルカにしてみれば、再開から今まで、ついぞ言葉を交わす事なく、今日こんにちまで来てしまっていた。


 ずっと気になっていた腰元の赤いオカリナ。

 遠目に何度も何度も見返して、リゼウ国の詩魔法師に遠視の詩魔法をかけて貰ってまで、入念に見直して、それが幢子の持っていた、村で一緒に作ったオカリナだと確信を持っていた。


 それを尋ねようと思っても、言葉の壁もあり、先延ばしにしてきた日々。

 この城での役目も終えて、サザウ国に帰る日が近づいている。

 これが最後の機会だと、自身の心を奮い起こす。


「その、オカリナ、どこで。」

「オカリナ?ああ、そうか。そうか、オカリナ。同じ言葉なのだな。」


 恐らくそれが、転移者、この世界で幢子が作ったモノで、この世界で幢子が作った言葉だからだろう。サウザンドはそう理解し、思わず頬を緩め、静かにその言葉を繰り返した。


「この間来た時に、貰ったものだ。ああ、どう伝えたら良いか分からない。」

 悩みながら、こちらの言葉を交えながら、サウザンドは彼女に伝えたい言葉を辿々しく発する。


「返して、私の。私たちの。」

 エルカは、瞳に涙をにじませ、ずっと伝えたかった言葉を発する。


 エルカが発する言葉を聞き取れながらも、理解が及ばず、更にはその瞳から溢れる涙に、サウザンドは思考が追いつかずにいる。


 同時に、今にも距離を詰めてきそうな彼女を、影に隠れた近衛が敵として認識しまわないか、その雑念が脳裏を刺し、戸惑い、動揺が色濃くなっていく。

 彼女を、前世の姉、河内幢子こうちとうこじぶんの様に溺愛できあいしていると紹介された事を思い出し、それが何年ぶりかという焦りを生み出した。


 とうこ溺愛できあいという、意味。

 それを、自分は「妹であったから」知っている。


「手を出すな!」

 サウザンドは思わず叫ぶ。それは影に身を隠す近衛に向けてであったが、それを理解できるわけもない目の前に必死なエルカは、ただ声色の変化に怯え、身動みじろぐ。


 二人の間に、凍りついたような時間が流れていく。

 時間が過ぎていっている、という事実を、吹き抜けて髪を揺らす南風だけが知らせていく。



「通訳、致しましょうか?」


 くすくすと、楽しそうな笑みを漏らし、言葉だけが先に現れる。

 言葉に少し遅れて、二人の間を割るように、唐突に彼女が姿を見せる。


「ニア。」

 安堵の表情を浮かべたサウザンドの目に、誰かへの明らかな敵意を向けたエルカの形相が飛び込んでくる。

 それが、自分ではなく唐突に現れたニアに対するものだと理解するのに、僅かとはいえ時間が必要であった。


「オカリナ、返したくないのでしょう?」

 ニアのサウザンドに微笑みかけるその目は、優しさと自信が混ぜ合わさった、心強いものに確かに思えていた。


「何か誤解があるようなのだ。これは、私が、以前の持ち主から貰ったもので。」

「ええ。素敵な贈り物、ですものね。」

 まるで、全てを知っているかのように、ニアは頷くと、その自信に溢れた瞳に促される様に、サウザンドは気持ちを落ちつかせた。



 ニアが、目の前のエルカに対して、言葉を投げかけている。

 断片的な単語、オカリナという言葉。


 未だ、理解の及ばない文法に依って紡がれる流暢な会話に、サウザンドはただ見ているだけで、ニアを信じて任せる事しか出来ずに居た。


 やがて静かに、力なく、ただ涙をこぼし続けるだけとなったエルカを前に、ニアは振り返り、サウザンドに微笑みかける。


「この場は、これでいいでしょう。」

 円満な解決が行われた、とは思えないながらも、サウザンドにはそれを信じるしかなかった。


 銅の緑青の様な鮮やかなオカリナを抱え込んで、ついに膝から崩れ落ちて静かに泣き続ける、そんなエルカを見て、僅かに心を曇らせる。


「後は、トウコ様が解決してくれますよ。きっと。」

 そう述べて、満足そうに左腕にしがみつき、自分の顔を見上げ、笑みを浮かべているニアが、一切それらしい素振りを見せず、その左手で帯剣の柄を抑えている。


 それに気づいて、サウザンドが慌てて影に潜んだ近衛に目を向ければ、今にも飛び出しかねない様相であった。

 押し留め、まるで褒めて欲しいかのようなニアの頬をつまみ、それから、この場で、できる事はないのだと、自分に言い聞かせる。


 押し殺すような静かな嗚咽共に、エルカの口から繰り返し聞こえてくる、「トウコ」という、見知った名前。

 今はただ、この場にない彼女おねえちゃんを信じて、大きなため息を吐き出した。

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